受験老人日記~高齢で医学部と司法試験に大挑戦~

還暦を迎えた男が、医学部と司法試験を同時に合格することを目指すという無謀な冒険に乗り出した

経緯(19)~成績開示~

(前回の続き)


さて、経緯が長くなってしまった。
1回1回の読み切りとして面白い記事を期待して読まれている方は不満かもしれないが、
今は受験老人は、自分の頭を整理するためにこの経緯を書いている。
いわば、自分のための「受験老人日記」である。
それが第一の目的になるのは当然だと思う。他の方のブログはどうか分からないが。
とにかく、アクセス数を稼ぐためにこのブログをやっているわけではなく、
自分の記録をとり、そしてやる気を出させるために書いているだけなので。
ただ、それに加えて、何かしらの有意義な情報や教訓を読者に与えることができれば
それに越したことはないと思うが。


ということだが、とにかく、前回、お話ししたように、
医学部受験で、受験老人は不合格だった。(そもそも4年前のことになってしまったが)
別に落ちたことにそれほどショックではなく、
むしろ通っていたら親の介護があるからと断るのが申し訳ないと思っていただけに、
ちょうどよかった・・・・。
あまりこれを強調すぎると、負け惜しみと捉えかねられないのでもうやめる。


さて、成績開示結果が届いたとき、驚いたことに、
何と合格最低点を18点あまり下回っていたことが分かった。
(実際に紙媒体で残っているが、大学名があからさまになってしまうので)


受験老人は、これにはさすがに、首をかしげた。
というのは、受験老人としては、今回の筆記試験の出来からして、
合格ラインはある程度余裕を持って超えているだろうと予想していたからである。
最初に受けた時は合格ラインを5点上回っていたが不合格になった。
その時よりははるかによくできていたはずなのに。
しかも、今回、合格最低点が下がっていた。
そうなると、ますます余裕を持って合格最低点を超えていたはずなのに???
少なくとも、合格ラインを30点は上回っているはずだった。
受験老人のこれまで3回の受験の相場観からして、それはおそらく正確だ。


それが、18点も下回っている・・・
30+18=50点くらいの、この感覚とのギャップはいったい何???


その時、はたと思い出した。
3次面接の前に受験生が集められた時、教官が言った言葉・・・
「前に呼ばれた人は、もう一度面接を受けていただきますが、それでも、まだ合格するチャンスは残っています。」


つまり、3次面接が決まった段階で、50点ほど、基礎点から引かれたに違いない。
それなら大いに納得できる。
又は、50点ではなく30点引きくらいで、さらに3次面接の結果さらに20点引かれたか。


とにかく、そうこうして、得点から減点されたうえで、合格ラインを上回っていれば
合格ということだったのだろう。
それなら、大学としても、合否のラインを明確に設定できる。
1回目の受験のように、合格ラインをオーバーしても不合格ということはなくなる。


受験老人は、そのことを猛烈に大学に確認してみたくなった。
しかし、やめた。
それを大学に確認しても、正直に答えてくれるはずはない。
それに、そもそも受かっても行かないのに、そんな確認までする必要はない。


ただ、今回、50点のハンディキャップというのが分かっただけでも良かった。
(それ自体も思い込みにすぎないのかもしれないが。)
そうすると、返す返すもったいなかったのが、2回目の受験だ。
2回目の受験では、受験老人は合格ラインを7点下回り、不合格だった。
ただその時は、受験老人は3回目の面接は受けなくてすんだ。
そうなると、ガチでの勝負だったことになり、合格ラインを上回れば合格だったのだ。
ただその時は、直前で受験科目を変え、変えた生物で大失敗したのだ。
よくよくたたられている。


なんだかんだ言ったが、この3回の受験で分かったのは、
大学側も、状況を踏まえて体制を整えてくれたんだなあ、と思ったこと。
50点引かれるのなら、50点、最低ラインを上回っていればいいだけのことだ。
実際に、受験生の最高点は合格ラインを100点以上、上回っていた。


受験老人は、今後どうするか、考えた。


(次回に続く)


(12月21日)
なし
(12月22日)
なし
(12月23日)
なし
(12月24日)
なし


4日間全滅。というのは病気だったため。情けない。
驚いたことに、高熱が出た。39度7分まで上がった。こんなの、人生初だ。
仕方ない。また一から積み上げていくか。