このブログ、現在は毎日2回、朝6時と夜8時に更新させてもらっている。 しばらくこのペースで続けていきたいが、今日だけは夜10時に更新することとした。なぜなら今回の話は読者が食事中だと気分を害するからである。(といっても夜食の方もいるかもしれない。失礼。) 現在、ブログ上では私は中学を卒業し、高校に入学したところまでになっている。今後もしばらくはこの半生記を続けていきたいが、ふと、私が幼稚園の頃の…
それからというもの、私の勉強もやや投げやりになった。 中学の最終学年も夏を過ぎ、周囲は高校受験を次第に意識し始めているのが分かった。 だが大都市ではなく、また今から40年以上も昔のことである。 たしかに高校受験はあったが、おそらく今とは様相を異にしていた。 公立高校の方が私立高校より難しく、偏差値も高かった。 その公立高校も、普通科は総合選抜方式、すなわちいくつかの学校群がグループを作って入学者…
さて、私の中学校時代の話に戻る。 対人恐怖を克服した喜びから、私の躁の時期はしばらく続いた。 調子に乗って、当時、私が好きだった女の子に告白した。 こんなに調子がいいのだから、きっとうまくいくと思っていた。 我が世の春である。 だが、結果は、見事にふられた。 その女の子が友達を通じて私に送ってきたメッセージは 「○○君のこと、昔は好きだったんだけれど、途中から、勉強しかしない変な人というイメージ…
一昨日の新聞に、司法試験の合格者が1525人で今までで最少だったという記事が掲載されていた。 以下、ちょっと数値の話になる。説明が分かりにくかったら申し訳ない。 受験者の総数は5,238人なので、合格者が1,525人ということは、合格率は30%弱。 こりゃ、合格率は高い。ちょっと勉強すれば誰でも通るぞ、と思う人も多いかもしれない。 しかし、この数は、法科大学院を修了して受験して合格した人(第1ル…
考えてみると、中学3年生の、あの対人恐怖から脱出した時期、それこそ私の人生において、もっとも頭がよかった時期だったのではなかろうか。 やることが楽しくて仕方なかった。先生の話は1を聞いて10まではいないが3か4くらい理解できた。 理科の教科書を読んで、実験の裏にある原理を自分で推定して導くことができた。 それを教室で披露すると、先生から、「お前は答えを知っていたのだろう。」と皮肉っぽく言われた。…
私は次の日から授業中に質問をすることにした。 私にとって幸いだったのが、できない生徒と違い、自分は極めてよくできる生徒だったことだ。 だから、質問はいくらでも考えることができ、先生の答えに対してさらに疑問を呈することもできる。 ええい、ままよと手を挙げた。「先生、質問があります。」 その声も震えた。いつものように、私の心臓は早鐘のように鳴りはじめた。 だが、今度こそ、絶対に逃げないぞ、という覚悟…
その本を読み進めていくと、著者が不思議な夢を見たことが書かれてあった。 お父さん、お母さん、ごめんなさい。 そうして何度も何度も自分が謝っている姿である。 著者は、対人恐怖症に苦しみ、それを克服するためにいろいろな修行をした。 だがそれらはいつも中途半端に終わっていた。 直接やらねばならないことと向き合ってはいなかった。 自分はいったい何をやっていたのだろう。 結局、苦しみから逃れようとしていた…
そのような状態はずっと続いた。 授業中、順番に当てられる。 当てられる少し前から私の心臓は早鐘のように鳴った。 口がバクバクして声が出ないのである。 先生が、そして皆が怖くなった。 自殺も考えた。 その頃はおそらく、うつ病とも言ってよい症状になっていたのだろう。 治る方法は試してみたが、どれもうまくいかなかった。 古代ギリシャの哲学者・雄弁家が石を口に突っ込んで話す訓練をしたと聞けばそれを真似た…
それ以来、私はなぜか、授業で当てられると緊張して声が震えるようになった。 なぜか分からなかった。 皆は驚いて私を見、私が震えるのを面白がった。 (実は自分自身がそう思っているだけだったのかもしれない。) 特に困ったのが音楽の時。 一人で歌うと、緊張で声が震えた。 ビブラートどころではない。声が出ないのである。 先生は、もっと腹に力を入れろと言った。 だが私は当時、運動部に所属し、腹筋は何百回でも…
引き続き、中学校時代のこと。 勉強さえできれば誰にも文句はつけられない。意地でもトップを取り続け、誰からも文句は言わせない。 そのような意固地な私の姿勢が、とうとう破綻をきたしだした。 勉強さえできれば、生活態度は悪くったっていい、という姿勢である。 確かに他の生徒からは表面上、一目置かれていた。 いつも試験で1番をとる人、というレッテルが貼られた。 でも、それだけである。 あれだけだらしなく、…
今回は受験勉強から離れて、ちょっと一服。 最近、大坂なおみ選手を激しく見直している。全米オープンに優勝したからではない。彼女の姿勢にだ。 登場したばかりの頃は、けだるそうな姿、途中で泣きだす姿、インタビューへの回答があまり要領を得ない姿を見て、 私としては、ああ、この娘は、あまりきちんとしていない、わがままな娘さんなんだろうなあと思っていた。 だが、私のそうした考えは180度、転換した。 決勝で…
実力テストで二番になって以来、皆の私を見る目ががらりと変わった。 そんな時、家庭訪問があった。 先生は私の親にこう言った。 「実力テストの結果をほかの先生たちと話したとき、○○君(私の名前)が2番だったと言っても、誰も信じなかった。それくらい○○君の態度が悪かった。中には、きっとカンニングをしたんだろうと決めつける先生もいた。」 失礼な話である。でもそれくらい、私の授業中の態度はよくなかったので…
入学した直後の実力テストが戻ってくる前、クラスの中ではその結果がどうなるか、結構話題になった。 なんせ、試験の結果が順位づけされるのである。学校全体で400人の生徒の中で。 当時は今のように中学受験がなく、大部分の者はそのような試験は受けたことがなかった。 だから、それによって、自分という人間が初めて評価されるようなものだった。 頭のよさそうな奴らが集まると、皆、クラスで一番成績がいいのは○○だ…
もう少し、私の背景を語ることを続けたい。 私の入学した中学校は1学年400人くらいのまあまあ大きな学校だった。 その中学校には、もともと私が通っていた小学校以外に周辺のいくつかの中学校から生徒が入ってきていた。 私が中学校に入学してすぐに思ったのは、厳しい学校だということだった。 明治の初めにできたその校舎は、文化財にも指定されるくらい古い建物だった。 中学校に入る前に、男子はみな丸坊主にされた…
それでは元に戻って、私の子ども時代のことを書く。 6年生になった。 前回、田舎なので中学受験はない、と書いたが、1つだけ例外があった。 それは県庁所在地に位置する我が県唯一の国立大学の付属中学の受験だった。 そこは高校がなく、中学校までだったが、県内の優秀な子供たちはこぞって受験した。 私も、受けてみようかなあと思った。 というのは、勉強をほとんどやっていないにもかかわらず、実力テストではい…
この日記ではこのところ、私の子供時代からの経験を綴っているが、今回は、最近のことを書かせてもらう。いつもより長くて読みにくいが、御容赦願いたい。 先日、職場である研修があった。それはコミュニケーション研修。 仕事相手や職場内での意思疎通をよくしようということで、外部講師を呼んで行われた。 私は普段、職場では閉鎖的な部屋にひきこもっており、部屋を訪れる人たちと話すほか、積極的な人との対話がない。い…
小学5年生頃になると、少数の子どもたちは学習塾に通うようになった。 といっても田舎のことである。中学受験があるわけではない。 でもなぜかその塾は評判で、頭の良い子も悪い子も、次第に行くようになった。 私の家は、両親ともに教員をやっていたため、そんなに裕福でないことはなかった。 だから、私も学習塾に行きたいと思った。 というのは、学校の勉強が詰まらなかったからだ。 学習塾に行けば、もっと高度の内容…
(前回からの続き) 漢字テストで名前を書き忘れ、零点をとった私に、先生はこう言ったのだ。 「あなたは罰として、冬休みの間、教科書に出てきた漢字を全部、10回ずつ書きなさい。」 私はげっと思った。これまで習った範囲は相当ある。当時の教科書は上下巻になっていたが、上巻全部と下巻の3分の1までやらねばならない。 そんな理不尽な宿題を出した先生に対し、私は抵抗することもしなかった。 その年の冬休みは私…
このところ、このブログの題名とちがって、私の小さい頃の勉強についての話に終始しているが、引き続き。 私が小学校4年生の時のことである。 私の担任の先生は、国語の単元がひとつ終わる都度、漢字の10問テストを実施した。 学期のうちに10回行い、学期の終わりには合計点の成績優秀者を表彰した。 私は相変わらず、ほとんど勉強というものをした覚えはなかったが、それでも、まあまあ良い点をとれ、1学期の時はクラ…
私が生まれて初めて、おっ、自分も満更ではないな、と思ったのは・・・・ 小学校3年生の時だった。 私はいつもあまり試験の点数はよくなかった。勉強しないからである。 だがある時、先生がある変わったテストをした。 そのテストを見たとき、私はちょっと驚いた。 どれもこれも、知らない内容である。 これは私が授業を聞いていなかったからではない。 その範囲は、これから習うところだった。 当然、皆は驚いて、文句…