経緯(16)~学長との対峙③~
(前回の続き)
受験老人が、卒業後、医師としてどのようにやっていくかについて、話したこと
それは、「オンライン診療、医療機関の連携、AI診断、治療ロボットの活用」だった。
それらを用いることで、どんなへっぽこ医者でも、一定レベルの医療を患者に与えられる。
しかも、患者を待たさずに・・・・そういう理屈を展開したのだった。
この大学のある県は、県の半分は大都市圏にも近く、病院もたくさんあるが、
残りの半分は病院がほとんどない。
そんな病院過疎地では、急病になっても、病院まで遠くて行けない。
しかし、IT医療が普及すれば、患者は病院に行くことなしに、オンラインで医師と対面し、
自分の表情や手足の様子も見せ、判断を仰ぐことができるようになる。
また、過疎地でなんとか病院に行けても、全ての病気に対応できるわけではない。
そんな場合は連携した別の専門病院にオンラインでつながるようにし、判断を仰ぐ。
また、それ以前に、AIが発達してきたら、
AIに全ての患者の医療情報をインプットし、AIに判断させることができる。
そして、その指示に沿ってレントゲンを撮ったり血液検査をしたり、
もっと原始的には聴診器をAIにつないでAIに心音を聞かせ、
それらデータをもとにAIに病名と治療法を決めさせる。
・・・そうすれば、どんな医師でも、一定レベル以上の医療を行うことができる
という理屈である。
さらに、医療ロボットを導入することで、
かかりつけ医がするくらいの簡単な手術は代行できるようにする。
こうすれば、医者の負担は大いに軽減される。いや、医師以外でも診療できるようになる。
極端に言えば、技師と看護師だけにを常駐させ、
オンラインも含め、AIの指示に従って注射や画像撮影などを行えばよくなる。
まあそれなら医師すらも不要という理屈になってしまう。
こうしたAIの、生身の医師に対する優越性は明らかだ。
生身の医師なら、一人の育成に何年もかかり、また、数千万円の元手がかかる。
しかも、よい医師と悪い医師が生まれる。
判断がいい加減にもかかわらず、威厳だけは保とうとする医師も多いだろう。
それに比べ、AIはどうか。
AIは決して気分で判断しない。一定のレベル以上の判断ができる。
最初の頃はAIは専門医ほどの実力はないだろう。だがへっぼこ医者よりよっぽどマシ。
まあ、初期の頃はAIは不完全なので、AIの分析を基に医師が最終判断を下す必要がある。
だが、そのうちAIは失敗経験を基に、バグが取り払われ、どんどん完全なものになる。
しかも、いったん修正されたものは、それより悪くなることはない。よくなる一方だ。
そうなってくると、もはや医師はAIに置いて行かれるだろう。
だが、第一号ができ、一定のレベルに達すれば、それと同じものは驚くほど安価でできる。
しかもまったく同じ性質のものを、数万台、一度にできる。
そうすれば、患者の待ち時間もぐっと減り、しかも、納得がいくまで説明してくれる。
患者に対する、親身になった医療もできる。
それでも、生身の医師に診てもらいたいという患者もいるかもしれない。
AIだと信用ならん。
話をしながら、また、顔色や肌の色をみながら、患者のちょっとした変化を見逃さないこと
そんなことは人間の医師にしかできないという者もいるかもしれない。
でも、そういう、ちょっとした変化を見逃さないのがAI診断だと思う。
顔色や肌の色、患者の話しぶり等までも分析できるAIが開発されれば、それに従えばいい。
むしろ、患者の方を見ずにパソコンとだけ対話している生身の医師も多いだろう。
そんな話をあれこれしていたら、学長が問うてきた。
「そのようなAI医療ができるようなバックグラウンドを、あなたは持っているのですか。」
そう来たか。
しかし、受験老人はそれに対する回答も、用意していた。
実は受験老人は役所にいる間に、東大の博士課程に入学し、詳しくは言えないが、
遺伝子診断等も含めた社会学的な勉強もしていたのだ。
ただし仕事もあり、学位取得にはずいぶん時間がかかってしまったが。
すると、それまでずっと黙っていた女性教官が、そのことに関連したあることを質問した。
それは、それに対する生命倫理的な問題点の指摘だった。これも詳しく言えないが。
しかし、実は受験老人は、その問題についての論文を書いたことがあり、
それはおそらく日本で初めてその問題に言及した論文だった。
それを詳しく説明すると、ちょっと面接官も呆気にとられたようだった。
ただ、一方、そんな話をしながらも、受験老人は、
このような回答ぶりではおそらく合格できないだろうと思った。
なんせ、AI至上主義丸出しなのである。
ずいぶん、鼻持ちならない受験生だと思われただろう。
本当に受かる気があるなら、もっと謙虚な言い方もできていたろう。
しかしこの時は、受験老人は、受かるつもりはなく、
むしろ両親の介護を放り出すわけにいかず、受かったらまずいと考えていた。
だから、合否は度外視して、学長との話を楽しんでいたのだ。
なお忘れてはならないのは、この話は、4年前のことだということ。
まだまだチャットGPTなど影も形もない時代だった。
AIが万能だという者は、今ならともかく、
当時は医療関係者にはほとんどいなかったと思う。
なおさら受験老人の話は、聞く者に奇異に感じられただろう。
AI至上主義を唱えていた受験老人に対して、女性教官が言ったこと。
「それでも、AIではできないことがあると思います。たとえば〇〇。」
受験老人は、その言葉に、自分の迂闊さを思い知らされた。
(次回に続く)
(12月15日)
・腕立て 38回
・腹筋 57回
・筋トレ
まだ体調不良が長引いているが、これ以上運動を休んでいるとダメになる。
無理やり再開した。結構苦しい。
やはり、ちょっと休むと体が元に戻る。それが年寄りというものだろう。
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