経緯(22)~Mさんとの再会①~
(前回の続き)
受験老人は、ある分野で専門的な知識を持っており、
このため前回書いたように、兼業でブログを書くようになったのだが、
それ以外に、これまで、いろいろな所から頼まれ、講演や講義を行ってきた。
母が亡くなって1年近く経った時のこと。今から2年前、晩秋のことである。
受験老人は東北地方のある大学から招待され、学生たちに講義を行った。
受験老人はその後、北の方に足を延ばし、Mさんに会いに行こうと考えた。
Mさんのことを書く。
Mさんは、昔、役所で知り合った人で、受験老人より3、4歳年上である。
Mさんは東大を出てキャリアとして役所に入った、エリートだった。
Mさんはある時、自分の省庁から受験老人の省庁に出向してきて、私の上司になった。
一緒に仕事をしたのは一時期にすぎなかったが、性格は温厚で、一回も怒らなかった。
私とMさんは不思議とよくウマが合った。
Mさんが受験老人の省庁を去って自分の省庁に戻っても、年賀状だけはやり取りしていた。
順調に出世して、県の次長なども務めていた。
ある年、Mさんから来た年賀状を見ると、次のような文が目に飛び込んできた。
「役所をやめて、医学部に入りました。」
受験老人は仰天した。Mさんはもう50を過ぎている。
普通なら、役所のキャリアを全うして、そろそろ天下りをし始めるころである。
(天下りは当時は規定は緩かった。)
しかし、Mさんは違った。
北陸地方のある大学の医学部に学士入学したのである。
そして、Mさんはそこで学生生活を送った。
数年後、Mさんのことは新聞等で報じられた。
「還暦で医師になった官僚」として。
「人生を二度生きた人」として。
その後Mさんは、ネットをはじめ、テレビなどにも数多く出演した。
読者でもMさんのことを御存知の方はいるかもしれない。
Mさんのことは、仕事で接した感じでは、とても官僚人生をドロップアウトして
医師として再出発をする人には見えなかった。
だから、受験老人は、毎年のMさんからの年賀状や、Mさんについてのニュースを
驚きの目で見守ってきた。
受験老人の知っているかぎり、Mさんは医学部を卒業後、北陸地方で研修医として過ごし、
その後、本州の最北端の地で医師として活動していた。
受験老人は、今回、東北での講義の後、最北端の県に移動し、別の知り合いに会うことになっていた。
そこで、この機会に、湖の近くのMさんが働く病院を訪ねようと考えたのである。
Mさんに連絡したところ、快く、OKとの返事が来た。
受験老人は、久々のMさんと再会できることに胸躍らせながら東北に出かけた。
(次回に続く)
(1月4日)
・腕立て 43回
・腹筋 65回
・ヨガ
いいかげん、限界だと思うのだが、まだいける。不思議なことだ。
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