一般には科学者とエンジニアの“聖地”とされるシリコンバレーだが、ブランク氏に言わせると、その貢献を認められていないという。彼らに投資するベンチャーキャピタル(VC)の主張が通るからである。しかし、ここに来て科学者とエンジニアが主導権を握る、新しい動きがあると同氏は言う。(ITpro)
スタートアップ企業の創業者である科学者とエンジニアは、シリコンバレーで最も貢献度を“認められていない”人たちの代表です。でも本当は、一番大切な人たちかもしれません。
私がシリコンバレーで最初に働いた企業であるESLは、1人の数学博士と他の6人の科学者とエンジニアによって創業されました。私にとってそこが最初の会社だったので、私は科学者とエンジニアが創業し運営するのが当たり前だと思い込んでいました。しかし、このやり方こそが、シリコンバレーの技術革新に最も貢献したのだと気づくまで、長い時間がかかりました。
冷戦時代のスピンアウト
1950年代、米国の東海岸と西海岸では、アントレプレナーシップの文化と素地が出来上がりつつありました。両地域には、米国で最高の研究組織を抱えるマサチューセッツ工科大学(MIT)とスタンフォード大学があります。第2次世界大戦のために革新的技術を創り出した両校は、計り知れないほど大きな消費者経済と冷戦経済に向け、エンジニアを送り出しました。この二つの地区には、既にハイテク文化の走りだったレイセオンがボストンに、ヒューレット・パッカード(HP)がシリコンバレーに創業されていました。
しかしながら、両校を卒業したエンジニアのほとんどは、創業間もない企業ではなく、既存の企業に就職しました。両校の周囲の文化が変わり始めたのは、1950年代の半ばでした。
スタンフォード大――1950年代の技術革新の中心
スタンフォード大学では、工学部長でプロボースト(学術担当最高責任者)のフレッド・ターマン教授が、同大学が開発したマイクロウェーブ・チューブのプロトタイプとエレクトロニック・インテリジェンス・システムを、大学外の企業に対して軍事目的のために量産してもらいたいと依頼しました。既存の企業がその事業の一部を取り入れた一方で、卒業生または教授の多くが新しい企業を創業しました。1950年代中ごろのこうした企業の創業の動機付けは、冷戦の渦中にあるという危機感でした。そして、米軍と諜報機関は、急ピッチで軍事力を強化していました(以下の動画を参照)。