「失われた鉄道風景」写真館⑥ 昭和末期の私鉄(東日本編)

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東急の旧型車は形式がややこしい

さて、今回は昭和60年前後の私鉄の風景、東日本編です。
といっても、関東以北の私鉄の乗車経験が少ないのと、
あまり写真を撮っていないので、名鉄の写真が主となります。

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私が幼少期以降で初めて東京に行ったのが、
昭和60年のことで、そのころは東急の東横線と田園都市線以外は、
まだまだステンレス以前の旧型車が健在でした。

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まだ大井町線を走っていた、東急名物「青カエル」5000系。
平成の10年代くらいまでは全国の地方私鉄で見ることができましたが、
今や現役で走っているのは熊本電鉄に譲渡されたものだけになりましたね。

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上田交通の丸窓電車モハ5250系。
製造は1928年、まだ上田温泉電軌とよばれた時代の電車です。
こちらは1986年まで現役でしたので、
引退の2年前に撮影していたわけです。
現在は別所温泉駅などで静態保存されています。

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こちらも丸窓電車、名鉄の揖斐線・岐阜市内線用のモ510形。
大正15年に製造され、揖斐線・岐阜市内線が全廃される平成17年まで、
80年近く現役で走り続けた偉大な車両です。
少なくとも平成の年代で見ることのできた路面電車の風景の中では、
もっとも風格のある眺めの一つだと思います。

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こちらは新岐阜駅の各務原線ホームに停車中の、
美濃町線直通のモ600形。
昭和45年から導入された車両ですが、
特徴は何といっても、この小さな車体で複電圧車だということ。
1500Vの各務原線から田神線を経て、600Vの美濃町線に入るために製造された形式で、
屋根の上に冷房器とみまがうような複電圧対応用の抵抗器を搭載しています。
当然、屋根の上はこれ以上は何も載らないので、最後まで冷房化はされませんでした。
また、美濃町線の車両限界の都合上、他のどの車両よりも幅がせまくなり、
一層特徴的な風貌の車両となっていますが、
この車両幅なのにもかかわらず、当時の名鉄の伝統を守って、シートはクロスシートでした。
ただし、2列+2列はさすがに無理なので、2列+1列の配置でした。
昭和47年まで存在した花巻電鉄の軌道線の車両と並び称される「馬面」電車でした。

名鉄の岐阜県内の路線は、
平成17年に、岐阜市内線、揖斐線、美濃町線が一斉に廃止されてしまいました。
これらの路線は、古い車両がしぶとく残っていたり、
道路併用区間でも一車線の道路の端っこをちょこんと走っているような風景があったりと、
とても趣に富んだものでした。
世界の都市、例えばポルトガルのリスボンのように、
とんでもないような狭い道を路面電車が走る風景というのは、
日本ではほとんど見られなくなってしまい寂しい限りです。
(広電の小網町付近に残っていますけどね)

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名鉄といえば、7000系パノラマカーということになりますが、
これはそのパノラマカーに名鉄初の冷房車として1959年に登場した5500系との併結運転です。

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その5500系の前に、名鉄初の高性能車として、1955年に登場したのが、
モノコック車体の丸みを帯びたフォルムが特徴的な5000系です。
この車両は1986年まで運用されていましたので、撮影した1982年の段階では、
最期の御奉公の時期ですね。

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こちらは5500系と5000系の併結。

この5000系と同じ時期に同じ日本車両で製造されたのが、
長野電鉄の2000系で、2枚窓モノコック車体と、5000系の影響を強くうけた車両です。
こちらのほうは、5000系よりもずっと寿命が長く、
つい最近の2012年まで半世紀以上、善光寺平を走っていました。

次回は西日本編。今は亡き京阪京津線路面区間や、
水間鉄道の旧南海車両などの写真をお見せします。

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