ディカプリオのグレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー)
ディカプリオのグレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー)
退廃的という部分を、全面的に表現している、特に前半部のパーティの部分は、特筆できる。それゆえの3Dなのでしょう。けれども、それが後半のドラマ部で、気持ちが入っていかない。
いかにもな文学作品なはずなのに、どうして、こうなってしまったの?でも、これが、今の解釈なんだろうなあ。心理描写的な部分が、どうしても、薄く感じてしまったのが、残念。でも、ディカプリオならば、過去に何か隠しているという男が、似合う気がします。べたな恋愛シーンの部分は、おてのものって感じもしました。
ディカプリオの作品は、最近では、地味でも外れが無い、という印象が多かったが、この作品は、派手なので、その類に嵌らない。
F・スコット・フィッツジェラルドの原作は、もう、アメリカの現代、教書作品というものだから、どんなのか、と、思いました。ディカプリオのスーツは、すべて、ブルック・ブラザース、ちなみに、70年代のレッドフォードの時は、ラルフ・ローレンでした。
2002年のギャング・オブ・ニューヨークからの一連の作品も、ここで、小休止?いや、次回作品の製作兼任のウォール・ストリートが、本領発揮だろうか?
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