護身術 Ver.2.0
2008年 06月 15日
女性が性暴力目的で襲われ,無惨にも殺される事件が頻発したと思ったら,無差別通り魔大量殺人が,再び起きてしまい,暴力回避を可能とする防御の閾値レベルが高くなっているような気がします。
本日は末っ子の父親参観で,帰り際に次男の時と同じように刺又(サスマタ)に目が行ってしまいました。こっそり持ち上げてみました。見かけよりは軽量ですが,武器としては,一分の隙もないように相手を怪我させないように作ってあるので,そもそもサスマタとして機能しないのです。狼牙棒や刺又などは,要所要所に突起物が着けてあり,それは,飾りでも適当でもなんでもなく,実戦に際してそれがないと上手く機能しないのです。千歩譲って,絶対に相手を怪我させないようにするつるつるデザインで使ってと言われたら,私がもしも幼稚園職員だったら,刺又,使いやすいように改造します。無ざまに伸びた股の部分を半分ほど切り落として短くして首や胴などにダメージを与えやすく,股の部分の後ろに溶接して,引き技でも相手の脚がトラップできるように返しを作ります。
或いは,凶器を手にした相手にインファイトが使えないとどうしようもないというところで,これも不意打ちはともかくほとんど使いようがないスタンガンを置くぐらいなら,サスマタを改造して,先端部分に放電極を着けて柄の方にスイッチを着けたらとか,思います。矛盾しますが,護身用兵器の問題は,それを奪われたときに被害が大きくならないように,戦闘能力を押さえないといけないので(極端な話,凶悪犯を撃ち殺せるように銃を会学校に配備したらそれを狙われるでしょう),今の刺又の仕様なのでしょうが,いかにも中途半端です。
無改造なら,刺又部分が縦になるように構えて使って突く用法も良いと思いますが,眉間に狙いをつけて突いた後,一点は首横,もう一点は脇腹となるように,たすきがけで固定する用法も考えられます。こういう長兵器(長もの)は,柄の方を転回して使うことでその長所(全ての部分が攻撃部分であること)が生きるのですが,そうやって使えない場合は,先端部に威力を持たせるしかないのです。これでは本来の刺又と違って先端を捕まれてしまうし,そのときに返しが難しいので,用法が限られてしまうのです。残念ながら,これを設計,製作した人は,武技や兵器,捕り物というものが分かっておられないとしか思えません。一本,棍を置いてあったら,私はそちらの方を手にします。棍(或いは杖)をちゃんと練習した方がまだ使えると思います。日本の杖術も,対剣道を想定しており,実践的な技が多いのです。身につければ,素人の振り回すナイフやバットごときには後れをとりません。
琉球古武術の御殿手(うどんでぇ)に用いられる竹箒を使った術などは,身につけるのに最上級と思います。「どんなに日本刀が凄くても,竹箒には敵わない。」100歳で亡くなられた本部御殿手古武術の第12代宗家のお言葉ですが,そう言わしめるだけのものがあります(動画1:34あたりから伝家の宝刀,竹箒による対刀術が出ます)。この演舞の理解は,化勁や崩しが理解できないと,無理です。実際に,やらせ約束組み手が一般化した一部,伝統武道がありますから,化勁や崩しのレベルの武術とやった経験がないと,なおさらそれと真贋は着けられないでしょう。
多くの武術家が晩年は発勁ではなく,化勁に行き着きます。発勁的破壊力で相手を制するやり方が最良と思わなくなるためです。なお,宗家のWikiを読んでいて,この稽古で怪我人を出さない下りを読んで,私も思いました。私の師も,金的に攻撃を入れてくる組み手をされる方でしたが,私が壊れずに,そして息子たちを3人も作れたのは圧倒的に高い師の技と意識の御陰だったということです。
とりあえず,各教室に竹箒を。そして保母さんたちにウドンデェ。無理か。
事件から一週間経ちます。本人の精神的な因子と雇用や現在の経済システムなど社会的因子については,あまたのブログが書いているので,今更触れようとは思いません。本当に深い絶望からなのかどうなのか,本人の問題だから分からないが,無差別テロのようなやけくそ的な感情八つ当たりぶちまけ殺人から,確実に身を守る方法は,ないと思います。死刑になりたいというけれど,どの程度まともな死刑への想像力でそういうことを思いつくのかも分からない。一種の人生リセット・システムだと思いこんだ憧憬,「脳内死刑」だと思います。
平和な国,無防備な人間を襲う場合,その死者の数は,銃もナイフも変わらないことは昔から言われています。奇しくも,十数センチのブレードのダガー・ナイフと自動車で,5分間に7人の人を殺め,11人に重軽傷を負わせた。ある意味,使い方と場所を選べば,車とナイフで拳銃以上の殺人が可能であるという誠にやっかいな事実を証明してしまいました。秋葉原の真ん中で後ろからいきなりナイフを突き立てられるなんて誰も思いません。ポイントは,一瞬のこの狂気を先に察知すると言うことだけなのです。それが最も護身術では重要でありながら,最も難しい,少々武技を囓ってもほとんど不可能。シリアル・キラーは,長期的であってもほんの2分間であっても殺人に熟達してしまっているところがどうしようもなく危険です。迷いがないし,攻撃はいきなり致命的な部分のみに向かい,更に日常に殺人を持ち込むわけなので,殺気を読む暇もなかったり。
類似の大量殺人通り魔事件は,貧しかったけれど,人間夢に溢れていて前向きに暮らしていたという幻想の桃源郷年代である「3丁目の夕焼け」の昭和34年にも起きているそうです。こっちは女性ばかり狙われて9名連続,しかも犯人捕まらず。当時は,もっとすさまじい事件が連日だったそうで,人間は矢張りこういう都合の悪いことは忘れていくのでしょうか。
犯人は,ダガー・ナイフの使い方についても反復履修していた可能性があると思っています。 攻撃は学習されるのと,学習による攻撃の先鋭化というのが瞬時に起こるのが人間のやっかいなところです。サバイバルゲームは,犯人にとっては真剣な殺人のシミュレーションだったかも知れません。人を刺すことをいつも頭に置いている人間であったかどうかは分からりませんが,キレ方のあまりの幼児性とあまりに実践的な殺人行為に言葉を失います。
事件に関連して最近の護身術本の話ですが,かなりよく書かれていて,昔の護身術本に比べると,格段の進化です。内容については,今までの護身術本にはないいくつかの特徴があります。
・武術,護身テクニックに対する幻想を抱かせない。一方で金的の蹴り方など具体的なイメージを作りやすいように解説してある。
・また,本気で修得すべく稽古なしで用いることの非現実性をちゃんと明記している。
・過剰防衛や襲われたときの対応をスポイルする心理的に重要な課題をちゃんと取り扱っている。
・立ち技でしか対応が考えられていなかった時代に比べて,倒されて襲われたときなどへの柔術的対応など,多様な格闘技,武術の戦闘概念が導入されていて,護身術の方法論自体が柔軟になっている。
・幼稚園や小学校で配備されている,ある意味見当違いで,使い物にならない場合の多い刺又や防犯ブザーなどの利用法についても,それらを生かせるようにかなり詳しく言及してある。
・対ナイフは,お約束演舞のような上段から振りかぶってなんて,大奥女中のご乱心かみたいな間抜けな襲い方への対応ではなく,かなりリアルな攻撃への対応も記されている。これについては,私は,今回のように起きている最も警戒すべきナイフによる殺人の使用状況が進みすぎていて内容が追いついていないと思っていますが,以前の護身術本よりかなり良心的です。十数センチの刀身のダガー・ナイフを体当たりして人に突き立てることが出来る相手に対しては,きちんとした歩法(フットワーク)が身についていないと無手でサバキようがないのです。そういう意味では,極論すれば無理筋。
武術をトレーニングすることの一つの目的として,簡単に敵の攻撃をかわして,相手をたたきのめせるというような高次のレベルに至らなくても,非常時もしくは非常時に陥る前に体が動いて,危険を回避できる勘のようなものが養成できるという部分が大きいと思っています。巨大なナイフを突き通せるほどの遠慮のない行為が出来る相手の狂気に巻き込まれる前にその「場」のフィールドから離れる,また離れるタイミングを読めると云うことが大きいと思います。
今回の無差別殺人では,最初の車による攻撃自体,少々の武術を囓っていても,四六時中臨戦態勢に入れる私の師匠みたいな武人以外は,ある意味,既成観念の裏を掻かれて,やられている可能性の方が高いかもと思います。道場やリングの上の試合のように,開始と終了で格闘技の選手を守ってくれる状況とは異なるのです。
殺意を聴くことが出来るかどうか。簡単ではないけど,超能力みたいな話ではなく,悪意に満ちた攻撃が発動する,まさしくその瞬間を読むことが出来るかどうか。それが重要だと思います。但し,36計逃げる如かずは,人の悪意を聴くことが出来て初めて機能します。
子どもを守る!護身術
照尾 暢浩 / / 出版芸術社
ISBN : 4882933217
いわゆる,治安の悪い海外での護身術のレクチャーで見る標準的な戦闘スタイル。結果的にジークンドーなどのテクニックに類似しており,肘打ちによる護身は,ムエタイ,カリ・シラット,クラヴガマなどの技と収斂している。上手く導入すれば,拳を普段鍛えることのない女性においてもその威力から有効で,かなりバリエーションもあるので慧眼だと思う。一発で人を倒せるつきや蹴りを持っていない,普通の人が殺されないように抵抗する技術としては,分かりやすいと思う。でも,必要な間合いが初心者には,もの凄く近く感じるだろう。本による実習ではそこまで詰められないので,使いこなそうと思ったら実際かなり練習が必要。プロテクター購入・装着して付き合ってくれる彼氏や旦那が彼女にいれば幸いだけど,個人的な自習では難しいかも。一般の人では,残酷な言い方をすれば,無理でしょう。
せとぎわの護身術―あなたは大切な人だから
藤田 市男 / / とらのまき社
ISBN : 4434030485
著者は立ち技は空手とテコンドー,これに柔術系の技が入るところで,なかなか実戦的。ちなみにこういう技術では,多分Systemaが一番完成されていると思っています。何でもありの武術では,いきなり間合いゼロから始まる攻撃も避けれて当然と「聴勁」を鍛えるトレーニングが本当は重要だけれど,この本では,伝えるのが容易でない間合い,制空間の概念と履修方法の基礎がちゃんと記述されている。ある程度の聴勁技術は重要且つ実際的なので,教本としては外せないと思う。また倒されてからのグランドテクニックも,格闘技センスのない女性でも練習すればぎりぎり使える技術が載せてある。Q&Aや護身のその場における心構えも親切。但し勿論限界があるのは上記のとおり。
この二冊は,新しく比較的手に取りやすいし良本だと思います。日本人は,アメリカの護身術教室のYouTubeでのデモにあるようなおおざっぱな考え方が苦手で教える方も良心的だから,こういう分野もちゃんと進むかも。
追記-TAKESANさんから,サスマタの限界の御指摘がありました。集団で捕り物側が使う兵器なので,一人で立ち向かうものとしては,実はすきだらけになりやすい獲物です。これを難なく振り回せる保母さんがおいでになるという話も,一寸想像力が必要みたいです。
追記2-護身術エントリ,かなり書き加えていましたが,いわゆる,人に護身を押し付ける「自己責任論」が暴走するような人たちの勝手な理屈を読んで眩暈がしました。大雑把な理屈を書いているにもかかわらず,ネットテキストの常で細かく細かく書いていて中身のすっかすかの持論があちこちで開陳されています。
危険を避ける,ということは,そうでなくてもものすごく当たり前のことしか言えないのですよ。それすらやっていないと,どうやってそのように決めつけて人を叩けるのか,私にはよく分かりません。
追記3-攻撃に際して,きちんとした歩法(フットワーク)が身についていないと無手でサバキようがないのです。それを手に入れるために,どれくらいの練習とノウハウの伝達が必要か,理解できる人であったら,知らない,できない人を決して笑ったりはしないものです。
ましてや,人を殴ったり急所を蹴ったり,自分がまさにその危機に際してもそれができない人のほうが,世の中多いのです。このエントリは,そういう方々のために書くことは,実際,不可能です。だからといって武技に精通した人は,覚える気が無いのなら,もしもあなたが襲われたときにはあきらめてくれなどとは,いいません。そういうことが起きる社会の方に問題があると普通に考えます。私の師も,そうでした。
追記4-師の一人は,女性については,特に戦闘能力を上げるコストがかかりすぎるので(無理なので)実戦戦闘法として考える体系は,教えられないと言い切る方でした。走って交番までたどり着きなさいと。それは,一種の差別ではあって,それができない場合があるから何とかできるものがほしいという人たちに自分はある時期,レクチャーすることとあるエピソードが自分においてそっち方面のことを考えるきっかけになりましたが,それは,「私ごとき」がでしたので,本当に簡単な話ではありませんでした。
(追記ー女性だからという意味ではなく,使い物になるものを私ごときが模索するのがという意味です。女性と武術に関してはこういうエントリを書いています「近接格闘術と詠春と女性警備員」。)
私の師は打人感覚が分からないと使えないという持論から,プロテクターなしの急所うちの組み手などをこなす方でしたが,付き合わされるほうは,対峙しただけで脂汗がだらだら出てくる状況でした。師の加激は,その場にうずくまって転がる一歩手前にコントロールされていましたが,一発食らうたびに自分がどんどん去勢されていくような気分になり,組み手を続けるのはかなりの意志が必要となりました。身を守りたかったら,あれをやれと,子供たちに言う気はありません。最初の子供が生まれた報告をしたときには,師はものすごく喜んでくれました。「c_C君にもできたんだね。」
要するに武を学ぶというのは
現代社会では,訴訟リスクや刑法による処罰の後も,延々と繰り返されるストーキングなどのコストを考えると,その場で倒しても,実際はその後かなりのトラブルを背負い込む覚悟をする必要があります。急所うちを教えるのは簡単ですが,EDになったと逆に訴訟されるリスクを回避する方法はありません。そういうことを考えずに済む社会を求める動きとその努力のほうが,この世においては尊いし,社会的コストは小さいと思います。少なくとも,教える側は,そのことを知っていないとだめだと思います。
騎虎の勢で,金玉蹴るほうが楽なんですよ。あるいは,少なくとも新聞に意見乗っけるようないい大人なら,誰もが身の危険を感じずに暮らせる世の中を志向する責任があるはずで,女性や子供に,護身の重要性のみを説く言説の暴力性に無自覚でありえるはずが無いと思います。リアルに現状の酷さを理解していて,それをそのまま相手に押し付けることと,別に社会の針を少しでもまともなほうに動かそうというような両輪を回すバランスを志向していたら,おのずと口から出る言葉は違ってくるはずかと思います。
以上-古いエントリをブックマークいただいたので,追記いたしました。状況は,この頃より,更に妙な方向に転がりやすくなっていることがむしろ明確になっています。ネット論考というのは,そういった意味で,馬鹿にしたものではありませんが,実は何にも変わらないような気がするので,あくまで材料として,リアルな自分と自分の周辺を変えていくしかないのかもしれませんね。
追記5-やはりいろいろな方に読んでいただくと,表現の稚拙さがどんどん気になります。ブコメでマークされた「キ○ガイ」というのも自嘲的な表現としても良くないなと思いました。ちなみに,意識が変性して,致命的な技により,人を殴ったり蹴ったりできる状態を,武術的には「静かなる発狂」と呼んだりします。
あと,護身やセキュリティについて,公開で書くことは,本当は術的に言えば,かなり危うい作業です。被害者の実態記述や護身スキルの情報が逆に,そういうところで襲えるのだ,襲ってもいいのだという情報を与えたり対抗策を考えられたり,それをコピペさられたり,まずい部分もありますので,関係者は,さまざまな情報が披瀝されるのを見ながら内心忸怩たるものがあるかと思います。
関係ないかもしれないけど、友達が空手を習い始めました。
私は体力ぐらいはつけようとジムに通い始めました。
今回の事件から、人ごみの中に出かけるのは躊躇しちゃいますね。もともと好きではなかったけど(満員電車も)
ただ,京都の事件など,チャリンコに乗っているところを不意打ちで襲われていて,この場合,この手の女性を襲う輩に対して,少々の空手を女性が習っていても極論すると無力だったりします。武技をちゃんと身につけると言うことは,拙い状況に遭遇するその直前を感知する勘が養われるということもあると思います。
満員電車は怖いですね。動ける自由度が最悪ですから。
>走って逃げられないと意味がありません。
大笑いしました。いや、笑い事ではないんですが、自分の走ってる姿を想像して。
>その直前を感知する勘が養われる
本当にこれ必要ですね。でも不意打ちは、いかんともしがたいですか。あと逃げられない状態に閉じ込められることは、なるべく避けたいですね。
簡単に「護身しろ」なんて言って回っている人たちには、世の中には走って逃げることですらままならない人が一緒に暮らしている。そんな想像力も働かせて欲しいものですよね。私の父は晩年、肺の疾患で、歩くのも精一杯でしたし、そこまでいかなくても、走る、という負担に耐えられる人ばっかりじゃないということぐらい少しは考えてものを言えと。
私は,大したことはできませんので分野の模索を続けたいと思います。リアルに役に立つ方法を3人の息子たちを使ってそっと伝える努力はするでしょう。技は,知られたら技足り得ないので,本当は手の内としてここに書ける部分は少ないのです。
そして,そんなこと考えなくても良い世の中を求める人たちの意志とその思いを息子たちに理解させます。