書き方

2019年12月23日

個人的に、小説のレビューではあまりネタバレを書きたくありません。
 
理由は、自分にとって小説を読む楽しみは“サプライズ”と“未知との出会い”にあるからです。
 
物語の根幹に関わる重要な“どんでん返し”はもちろんのことですが…
 
自分はできることなら、その前の些細な描写についても、なるべく事前に情報を入れず新鮮な気持ちで読みたいタイプです。
 
思いもよらない展開に出会うと興奮しますし、それまでに知らなかった知識と出会うと嬉しくなります。
 
ですが、レビューで先にそれを知ってしまえば、いざ実際にその本を読んだ時「あぁ、これレビューで読んだところだな」「あの感想って、こういうことだったのか」と、既知の情報を確認するだけの“答え合わせ”のようになってしまい、読書の楽しみが減ってしまうのです。 
 
この「ネタバレしたくない」という気持ちは、自分が創作活動をするようになって(→小説サイト「言ノ葉ノ森」から余計に強くなりました。
 
「思考錯誤してひねり出した快心のサプライズを、事前にレビューでバラされてしまったがために読者の皆さまに楽しんでもらえなかったとなれば、作者がどれほどガックリするか」というのを、他人事ではなく自分事として想像できるようになったからです。
 
事前に情報を知っていたか否かで、サプライズに出会った時の驚きや感動の質やレベルは変わります。
 
本来なら感動できたはずのサプライズが、事前情報を得てしまったがためにあまり感動できなくなってしまったとしたら、それは作者・読者双方にとって不幸なことだという気がするのです。
 
なので、自分のレビューでは(古典や詩歌以外では)なるべくネタバレをしないよう気をつけているのですが…
 
実際に自分でレビューを書くようになり「ネタバレせずに本の魅力アピールするって難しい!」とちょくちょく壁にぶつかっています。
 
キャラクターの魅力をPRするにしても「この場面で“こういう行動”をとったのがカッコ良かった!」と書くと、そこがまた“ちょっとしたネタバレ”になってしまいますし…。
 
「どこからどこまでならネタバレしてもOKなのか」というラインも、たぶん人によってマチマチだと思いますので…
 
そのラインが分かっている相手ならともかく、不特定多数に向けて書くブック・レビューではどうしても気を使ってしまいます。
 
…まぁ、その分「書いてはいけない情報を避けて、いかに面白そうな文章を書くか」という修業になって、自分のスキルUPに繋がっている気もするのですが…。



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mtsugomori at 07:00

2018年08月01日

夏のこの時季になると思い出すのが、夏休みの宿題で散々苦労させられた「読書感想文」なのですが…
 
大人になってから小学生時代を振り返って思うことがあります。
 
「夏休み前の国語の授業を1時間でも使って『読書感想文の書き方』を教えてくれれば、もっとラクに書けただろうに…」と。
 
自分は学生時代、国語が一番の得意教科で、作文を書くのも物語を書くのも好きでした。
でも、読書感想文だけは大の苦手でした。
 
なぜなら自分は当時「読書感想文とは、その本のあらすじに、それを読んだ時の自分の感想交えて書くものだ」と思い込んでいたからです。
 
本を読むこと自体は大好きでしたが、その本の内容を短文でまとめ、どこそこの場面でこう思った、ここのこういう台詞に感動した、などということをいちいち書いていく作業は、正直苦痛でしかありませんでした。
 
そんな風に苦痛な読書感想文を何年も何年も続けてきた高校生のある年、自分は衝撃を受けました。
 
それは教室の後ろの学級文庫的なところにひっそりと収められていた小冊子を読んだ時のことです。
そこには過去の読書感想文の優秀作品がまとめて載せられていました。
 
「読書感想文は本のダイジェストと感想の羅列」――それまでそう思っていたのに、そこに載せられていた読書感想文はまるで違うものでした。
 
そこには「あらすじ」など無く、決まった型などもなく、自由のびのびと文章が綴られていました。
“読書の感想”というよりも、“その本との出会い”、“その本と出会って自分の人生がどう変わったか”、あるいは“その本の内容と共通する自分の人生のエピソード”を語る自由な作文のように見えました。
 
「読書感想文って、こんなに自由でいいんだ」「決まった型なんて無かったんだ」ということを、自分はその時初めて知りました。
 
そもそも自分が読書感想文を「本のあらすじまとめと感想の羅列」と思い込んでいた理由は、クラスメイトの書く読書感想文の大半(というか全て)が、そういうモノだったためです。
読書感想文とはそういう“型”のようなものがあるのだと思っていましたし、そこを外れて自由に書くのはダメなことだとさえ思っていました。
 
しかもそんな型にはまった「あらすじと感想の羅列」の読書感想文でさえ、時々はクラスの代表として選ばれ、放課後に書き直しをさせられてコンクールか何かに出させられたりしていたので「読書感想文はこれでいいのだ」と、その書き方を疑うことすらしてこなかったのです。
 
ひょっとすると、そんな「読書感想文の書き方」を自分で調べて知ること自体も、読書感想文の一環であり勉強なのかも知れませんが……それだと、家庭で取っている新聞の種類によって差ができてしまって不公平な気がするのです。
 
(自分は大人になってから、新聞によってはその年の優秀作品が紙面に載ることもあるのだ、と知りましたが、自分が学生の頃に家で取っていた新聞は、それが載る種類の新聞では無かったのです。)
 
だから、思うのです。
 
夏休み前の国語の時間にでも、「読書感想文の書き方」という授業があっても良いのに――と。
 
あるいは「書き方」とまでは行かなくても、過去の優秀作品を皆で読む、という機会でもあれば、子どもたちの読書感想文の質が変わってくる気がするのに……と。
 
自分も「学生時代のあの頃に『読書感想文はもっと自由に書いていいんだ』と知ることができていれば、読書感想文が苦痛なだけのものではなく、もっと楽しく書けたのではないか」と思うと悔しくてたまりません。
 
もっとも、当時の自分は「他の人とは違うことをする」「目立ったことをする」「何かに選ばれる」ということ自体に恐怖心を持っていたので、「読書感想文の自由さ」を知っていたとしても、それを表現する勇気がなく、無難にまとめていた可能性もなきにしもあらずではあるのですが……。



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mtsugomori at 09:00
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