■(第12話/最終回)魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~「進べき未来」感想
過去に浸るのも悪いことではない。未来に進む力になる。
とてもとても美しいまとめ方だった。
インタビューなどで「続編を望むのは、過去に執着しているからではないか?」と述べられていました。
実際それは否定できない。否定できないけれど、でもこうして前に進む。
元々まほプリは出会いと別れを扱っています。
前作では地理的に異なる存在との横方向の出会い。
今作では時間的に異なる存在との縦方向の出会い。
戦闘での演出も美しすぎます。
キュアモフルンまでは予想できても、春映画の強化フォームは全くの不意打ちでした。
一瞬「ここに来て新フォーム!?」となった後、「いやこれ見覚えあるぞ」と沸き立つ感じ。とても心地よい。
そしてこれ自体が「過去も悪くない。未来に進む力になる」に繋がってる。
意図したのかどうかわかりませんが、秋映画での複数フォームの同時戦闘と対になっていそう。
まほプリの特徴の複数フォームは、「世界には様々な人たちがいるように、私の中にも複数の私がいる」の現れだと思っています。
その同一時間の横方向の異なる存在を駆使したのが秋映画。
今作は異なる時間の同一存在(春映画、秋映画、本編の特殊フォーム)を駆使して戦った。
※オトナプリキュアも(テーマ上の文脈は違えど)「私の中にいる子供時代の私」を扱っていたと思ってます。
祖母の言葉「こうして子や孫に会えるなら、年を取るのも悪くない」は物凄く綺麗。
出会いと別れのまほプリのテーマに見事に沿っています。
私らも前作まほプリの時から確実に老いた。でもこうして続編に出会えた。年を取るのも悪くない。
あと「特殊フォーム(レインボーキャリッジ)」と「子との出会い」を決定打に使うのは、子供番組たるプリキュアの矜持を感じられるのも熱い。
この2つはプリキュア的には絶対正義だものな。
過去に執着している人の代表ともいえるヤモーが、ドクロクシー様への執着がきっかけで、グスタフさんに弟子入り(?)する未来を切り開いたのも、とても面白かった。
「過去も悪くない」をこれほど端的に表す描写はないとすら思う。
前回の不自然な裏切りも、ヤモーが相変わらず病的なまでに過去に執着していることを強調しておきたかったのかもしれない。
第1話や2話で、妙に強調されていた魔法ガール活動とルール違反も、ラストを見たら納得。
前作では「魔法にはルールがある」「ルールを守らねばならない」は繰り返し描かれていました(異なる存在とのコミュニケーションを成り立たせるには、共通のルールが必要、との理解)。
今作では守るだけでなく、ルールを作る側に成長していくといった意味合いだったんじゃないかな。学生から教師へ。その上で、当時の服装をするといったワクワクの遊び心も忘れない。
過去に浸るのも悪いことではない。未来に進む力になる。
とてもとても美しいまとめ方だった。
インタビューなどで「続編を望むのは、過去に執着しているからではないか?」と述べられていました。
実際それは否定できない。否定できないけれど、でもこうして前に進む。
元々まほプリは出会いと別れを扱っています。
前作では地理的に異なる存在との横方向の出会い。
今作では時間的に異なる存在との縦方向の出会い。
戦闘での演出も美しすぎます。
キュアモフルンまでは予想できても、春映画の強化フォームは全くの不意打ちでした。
一瞬「ここに来て新フォーム!?」となった後、「いやこれ見覚えあるぞ」と沸き立つ感じ。とても心地よい。
そしてこれ自体が「過去も悪くない。未来に進む力になる」に繋がってる。
意図したのかどうかわかりませんが、秋映画での複数フォームの同時戦闘と対になっていそう。
まほプリの特徴の複数フォームは、「世界には様々な人たちがいるように、私の中にも複数の私がいる」の現れだと思っています。
その同一時間の横方向の異なる存在を駆使したのが秋映画。
今作は異なる時間の同一存在(春映画、秋映画、本編の特殊フォーム)を駆使して戦った。
※オトナプリキュアも(テーマ上の文脈は違えど)「私の中にいる子供時代の私」を扱っていたと思ってます。
祖母の言葉「こうして子や孫に会えるなら、年を取るのも悪くない」は物凄く綺麗。
出会いと別れのまほプリのテーマに見事に沿っています。
私らも前作まほプリの時から確実に老いた。でもこうして続編に出会えた。年を取るのも悪くない。
あと「特殊フォーム(レインボーキャリッジ)」と「子との出会い」を決定打に使うのは、子供番組たるプリキュアの矜持を感じられるのも熱い。
この2つはプリキュア的には絶対正義だものな。
過去に執着している人の代表ともいえるヤモーが、ドクロクシー様への執着がきっかけで、グスタフさんに弟子入り(?)する未来を切り開いたのも、とても面白かった。
「過去も悪くない」をこれほど端的に表す描写はないとすら思う。
前回の不自然な裏切りも、ヤモーが相変わらず病的なまでに過去に執着していることを強調しておきたかったのかもしれない。
第1話や2話で、妙に強調されていた魔法ガール活動とルール違反も、ラストを見たら納得。
前作では「魔法にはルールがある」「ルールを守らねばならない」は繰り返し描かれていました(異なる存在とのコミュニケーションを成り立たせるには、共通のルールが必要、との理解)。
今作では守るだけでなく、ルールを作る側に成長していくといった意味合いだったんじゃないかな。学生から教師へ。その上で、当時の服装をするといったワクワクの遊び心も忘れない。
一時「黒幕は魔法ガールか?」との噂が出てきたのも、「ルール違反をしている魔法ガールには作品的にペナルティがあるのでは」のミスリードと、そこからの「ルールを作る(それが周囲に認められる)」の描画だったんじゃないかな。
あえて難も語るなら、視聴者側の混乱を、どこまで想定していたのかは気になります。かなりテクニカルなので。
冒頭の女の子ふたりは、前作50話で出てきた子たち。転生体ではない。
あのシーンは別の世界線のみらリコではなく、クロノウストの能力で見た過去の映像です。はーちゃんがはっきりとそう説明している。
「2人が出会った大切なシーン」の追体験なので、意図としては第一話の初めての出会いを回想させた方が、おそらくは分かりやすかったはず。
それでも50話の子たちでやったのは、ファンサービスと「もしも転生したとしてもまた出会える」という比喩的な表現かと思われます。前作の50話でも、そういう比喩として登場している。
繰り返しますが、転生体ではないし、別の世界線を垣間見たのでもない。
ただ、そういう風に受け取られかねないのも分かりはする。
前回の後の感想で、世界一巡エンドだと受け止めた方を、かなり見かけました。
過去を捨てて呪縛から逃れたのは彼女たちだけなので、輪廻転生に逃げ込むことは不可能なのは描写されています。なので公式サイドとしては予想外の受け取られ方…だったのか、それとも予想はしてたんだろうか。
時間ネタだと主には「平行世界。別の世界線がある」「世界は一つ。歴史が変わると未来が変化する」「未来は不変」の3パターン。
おそらく「平行世界」が一番人気で「未来不変」は想定すら拒否するレベルで人気がない印象があります。
まほプリ世界は、描写を見るに「未来不変」。ここが最初のハードルになってそうに思う。何をやってるのか分からない的な感想もそこそこ見かけました。
(ついでに、はぐプリも「未来不変」。こちらも、平行世界のみを想定して批判しているケースをかなり見かける)
個人的には「未来不変」ネタが好きなのと、子供番組としては失敗した世界線を許容して欲しくないので、プリキュアさんの方針は好み。
今後も妥協せずこの設定で行って欲しいです。
今後の方針ということでいえば、続編シリーズの方向性も今のものを強く支持します。
小説シリーズやオトナプリキュアでの、前作のテーマを反映した正当続編のスタイルは、プリキュアとしての確たる信念を感じて大好きです。
本編でもプリキュアさん達は様々な困難にぶつかり、続編以上の重い展開も経験しています。それらを忌避するのは釈然としない。
これからも今の方向を維持してくれることを、切に願います。
残された謎も幾つか振り返ってみる。
(1)
最初の戦闘で目撃されたエプロン姿のアイルの経緯が不明です。
アイルが過去に移動したとの発言をしていることから、第1話の戦闘に現れたアイルは未来から来たアイルで、この時間の本来のアイルがあのエプロン姿の彼(同一時間にふたりのアイルが居る)だったと思われます。が、そもそも過去移動できることがおかしい。
闇の魔法には過去に戻る魔法もある(小説版)。ですが「闇の魔法では(母に再会するという)望みをかなえることができなかった」と述べています。
アイルが過去移動の闇の魔法に気づけなかったとしても、不自然とは思わない。
また、過去移動に使われる砂時計をオルーバは紛失していますから、技術的に再現できないのかもしれない。
それは良いとしても、第1話の戦闘アイルが何者だったのかが、全く分からない。過去移動したとの発言とも矛盾。
これはもう賛否と好みが大きく分かれるところだと思いますが、アイルが最終回後にどうなったのかが伏せられていることから、解釈を任せてくれてるんだと思う。
例えば「魔法つかいに感謝したアイルは、現在ではなく第1話時点に復活することを選び、クロノウストの過去視・未来視の力を伝えた」等。
そもそもそんなことができるかが不明ですが(クロノウストは現在時制で過去を見せているのだから、過去移動に転用はできないはず)、闇の魔法に時間に関するものがあるので、どうとでも解釈やら妄想の余地はあります。
(2)
6話のアイルとの戦闘中に垣間見た、3人で映っている卒業写真。
例によって別の世界線や歴史改変も騒がれましたが、前後の流れからしても、おそらくは「こうだったら良かったのに」の連想によるイメージシーンというだけなんじゃないかな。写真を見ている朝日奈さんの表情が暗いので、「理想的な別の世界線」とは考えにくい。
ただ凄まじく分かりにくい。アイルが繰り返し「過去も未来も変えられない」とこの世界の設定を語ってくれてはいるものの、「実は変えられる」パターンが多いので鵜呑みにできません。
あまりにも分かりにくいので、(今回の50話の子たちと同様に)意図的なミスリードを狙ったのだろうか。
(3)
クロノウストは眷属ではない。と認識したのだけど、合ってるかしら。
眷属の力(香炉のアレ)を使い果たしたらクロノウストが出現したという流れですから、眷属がクロノウストを封印とかしていて、そこから解放したのだと思われます。
実際、デウスマストの「一つになる」の思想とは大きくかけ離れている。異なる記憶に閉じ込めて、混沌への回帰を阻止していますから真逆。
これが何で眷属なんだ?と頭を抱えたのですが、眷属ではなく別存在ならすっきりする。格的にもラパーパとデウスマストの共通の敵と見た方が、納得感あります。
ただこれも凄まじく分かりにくい。先ほどの卒業写真と違い、混乱したままでも特には支障はないので、設定上の自然さを優先したのかな。
眷属を出さないのは前作要素の取りこぼしになるとか、アイルが超越存在といきなりコンタクトを取れるのは不自然だと考えたのか…。
あえて難も語るなら、視聴者側の混乱を、どこまで想定していたのかは気になります。かなりテクニカルなので。
冒頭の女の子ふたりは、前作50話で出てきた子たち。転生体ではない。
あのシーンは別の世界線のみらリコではなく、クロノウストの能力で見た過去の映像です。はーちゃんがはっきりとそう説明している。
「2人が出会った大切なシーン」の追体験なので、意図としては第一話の初めての出会いを回想させた方が、おそらくは分かりやすかったはず。
それでも50話の子たちでやったのは、ファンサービスと「もしも転生したとしてもまた出会える」という比喩的な表現かと思われます。前作の50話でも、そういう比喩として登場している。
繰り返しますが、転生体ではないし、別の世界線を垣間見たのでもない。
ただ、そういう風に受け取られかねないのも分かりはする。
前回の後の感想で、世界一巡エンドだと受け止めた方を、かなり見かけました。
過去を捨てて呪縛から逃れたのは彼女たちだけなので、輪廻転生に逃げ込むことは不可能なのは描写されています。なので公式サイドとしては予想外の受け取られ方…だったのか、それとも予想はしてたんだろうか。
時間ネタだと主には「平行世界。別の世界線がある」「世界は一つ。歴史が変わると未来が変化する」「未来は不変」の3パターン。
おそらく「平行世界」が一番人気で「未来不変」は想定すら拒否するレベルで人気がない印象があります。
まほプリ世界は、描写を見るに「未来不変」。ここが最初のハードルになってそうに思う。何をやってるのか分からない的な感想もそこそこ見かけました。
(ついでに、はぐプリも「未来不変」。こちらも、平行世界のみを想定して批判しているケースをかなり見かける)
個人的には「未来不変」ネタが好きなのと、子供番組としては失敗した世界線を許容して欲しくないので、プリキュアさんの方針は好み。
今後も妥協せずこの設定で行って欲しいです。
今後の方針ということでいえば、続編シリーズの方向性も今のものを強く支持します。
小説シリーズやオトナプリキュアでの、前作のテーマを反映した正当続編のスタイルは、プリキュアとしての確たる信念を感じて大好きです。
本編でもプリキュアさん達は様々な困難にぶつかり、続編以上の重い展開も経験しています。それらを忌避するのは釈然としない。
これからも今の方向を維持してくれることを、切に願います。
残された謎も幾つか振り返ってみる。
(1)
最初の戦闘で目撃されたエプロン姿のアイルの経緯が不明です。
アイルが過去に移動したとの発言をしていることから、第1話の戦闘に現れたアイルは未来から来たアイルで、この時間の本来のアイルがあのエプロン姿の彼(同一時間にふたりのアイルが居る)だったと思われます。が、そもそも過去移動できることがおかしい。
闇の魔法には過去に戻る魔法もある(小説版)。ですが「闇の魔法では(母に再会するという)望みをかなえることができなかった」と述べています。
アイルが過去移動の闇の魔法に気づけなかったとしても、不自然とは思わない。
また、過去移動に使われる砂時計をオルーバは紛失していますから、技術的に再現できないのかもしれない。
それは良いとしても、第1話の戦闘アイルが何者だったのかが、全く分からない。過去移動したとの発言とも矛盾。
これはもう賛否と好みが大きく分かれるところだと思いますが、アイルが最終回後にどうなったのかが伏せられていることから、解釈を任せてくれてるんだと思う。
例えば「魔法つかいに感謝したアイルは、現在ではなく第1話時点に復活することを選び、クロノウストの過去視・未来視の力を伝えた」等。
そもそもそんなことができるかが不明ですが(クロノウストは現在時制で過去を見せているのだから、過去移動に転用はできないはず)、闇の魔法に時間に関するものがあるので、どうとでも解釈やら妄想の余地はあります。
(2)
6話のアイルとの戦闘中に垣間見た、3人で映っている卒業写真。
例によって別の世界線や歴史改変も騒がれましたが、前後の流れからしても、おそらくは「こうだったら良かったのに」の連想によるイメージシーンというだけなんじゃないかな。写真を見ている朝日奈さんの表情が暗いので、「理想的な別の世界線」とは考えにくい。
ただ凄まじく分かりにくい。アイルが繰り返し「過去も未来も変えられない」とこの世界の設定を語ってくれてはいるものの、「実は変えられる」パターンが多いので鵜呑みにできません。
あまりにも分かりにくいので、(今回の50話の子たちと同様に)意図的なミスリードを狙ったのだろうか。
(3)
クロノウストは眷属ではない。と認識したのだけど、合ってるかしら。
眷属の力(香炉のアレ)を使い果たしたらクロノウストが出現したという流れですから、眷属がクロノウストを封印とかしていて、そこから解放したのだと思われます。
実際、デウスマストの「一つになる」の思想とは大きくかけ離れている。異なる記憶に閉じ込めて、混沌への回帰を阻止していますから真逆。
これが何で眷属なんだ?と頭を抱えたのですが、眷属ではなく別存在ならすっきりする。格的にもラパーパとデウスマストの共通の敵と見た方が、納得感あります。
ただこれも凄まじく分かりにくい。先ほどの卒業写真と違い、混乱したままでも特には支障はないので、設定上の自然さを優先したのかな。
眷属を出さないのは前作要素の取りこぼしになるとか、アイルが超越存在といきなりコンタクトを取れるのは不自然だと考えたのか…。
(4)
ひーちゃんはどうなったのか。
ラパーパとことはの関係と同じ。と明言されているので、遠い未来か何かではーちゃんが倒れた時に現れる次世代だと解釈してます。
「はーちゃんの中にいる」というのも、合体融合ではなく、次なる存在として内部にいるイメージ。
ひすいを犠牲にしてことはが復活したのではなく、ことはが窮地に陥ったので未来を一時的に先取りしていた感じか。
朝日奈さんたちが、また彼女と出会えるのかは分からない。ひーちゃんに会うということは、はーちゃんに致死的な何かが起きたということ。
それは悲しいことだけど、出会いもある。「子や孫と出会えたから、老いも悪くない」と同じ文脈です。
またこれにより、はーちゃんが無限の存在ではないことも示唆されます。そもそもラパーパが倒れてますから、はーちゃんにも死はあるのだけど、超越存在のイメージが強いものな。
今回のラストで地上に戻ってきたのも、ことは自身が過剰に超越存在を自負する必要はないと吹っ切ったからかもしれない。
これ意外と重要で「普通の女の子」に復帰できてる。
プリキュアではしばしば「伝説の戦士と言っても普通の女の子」は強調されています。
視聴者がそうなので、特に初期は一民間人を強く意識していました。
今では姫やらロボやら宇宙人やら色々いますけど、そうは言っても「普通の人」の印象は逸脱はしていない。はーちゃんを除いては。
何せ彼女は宇宙空間であらゆる世界を見守る超越存在として終わってる。
似たようなルミナスは戻ってきてるし、アースも人間ベースなのに対し、かなり異質です。
それが次世代ひーちゃんの存在により緩和されています。
いわば前作での問題点を解消してくれた。
もしかしたら、はーちゃんの救済も構想の発端にあったのかもしれない。
最後に全体的な感想でいうと、手加減なしの全力の続編だったと思います。
インタビューで繰り返し「構成が複雑だ」と語られていたのにも納得。
これを視聴者を信じて作り上げてくれたことに、心から感謝します。素晴らしい続編をありがとうございました。
他のシリーズの続編にも期待しています。
インタビューで繰り返し「構成が複雑だ」と語られていたのにも納得。
これを視聴者を信じて作り上げてくれたことに、心から感謝します。素晴らしい続編をありがとうございました。
他のシリーズの続編にも期待しています。