前回、昔話にもかかわらずたくさんのレスを頂き本当にありがとうございました。お蔭様で私にとっては色々考えるいい機会になりまして、きょうは地下鉄に乗っていても歩道を歩いていても、また仕事の打ち合わせをしているときも零戦を眺めつつ海軍カレーを食べているときも、常にそのことが念頭にありました。
最初にニュースとして伝えておきますと、前回のコメント欄で「在香港」さん(改名了解しました。岐路に立った香港を現地で眺められるというまたとない恰好の時期に転居なされたと思います)がレポートして下さったように、6月4日の当日、いまや中国における「民主化の孤塁」(中共にとっては「反共の拠点」)ともいえる香港では恒例のキャンドル集会が開催され、4万4000人を集めました。
今年で17周年。天安門事件(1989年)に対する風化や教育現場で事件が教科書にも掲載されず無視されていること(個人的信念で事件を教材とする先生はいるようですが)、また新聞の多くが中共寄りにスタンスを移しているという状況にあって、4万人以上という動員力はなかなかのものだと思います。
たまたま大陸(中国本土)からの観光客がこのイベントに出くわして「感動した」と語った、と『蘋果日報』(2006/06/05)は報じています。別に6月4日でなくても、増加し続ける大陸からの観光客は香港で法輪功の活動に出くわしたり、『蘋果日報』を読んだりすることができます。
『争鳴』『開放』『動向』といった中共批判や内幕記事が盛り沢山の政論誌を買っていく観光客も少なくないようです。それを目の当たりにして「我々でも何かできるんじゃないか」と私に変な企画を持ち込んでくる香港人もいてこちらが閉口するほどです。……そもそも私に一体何をしろと?
ともあれ諸条件のなか4万人以上を集めたキャンドル集会は成功だったといっていいでしょう。以下は色物系姉妹サイト「楽しい中国ニュース」(2006/06/05)からの引用ですが、動員力を裏打ちするものと言えるのではないかと思います。
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●「天安門事件の名誉回復を」……香港の世論調査で支持率が過去最高に。
http://appledaily.atnext.com/(『蘋果日報』2006/06/02)
香港大学の世論調査機関がこのほど行ったアンケートによると、天安門事件(1989年)の再評価・名誉回復を「支持する」と答えた割合が53%に達し、1997年にこの調査を始めて以来最高の数字となった(「支持しない」は28.1%)。当時の学生たちの運動を「支持する」も56.2%(「支持しない」は21.5%)、また当時の中共による問題処理の手法(軍隊による武力鎮圧)を過ったやり方だとする比率も62%(「過っていない」は18%)。……中国返還の8年前に中共の本質を再認識させられた香港人は、そのときの衝撃をいまも忘れていないということか。でも事件から17年だから30代以下の世代は甚だ心許ないな。
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要するに普通選挙を実施できる民度があるのにその権利を与えられていないという矛盾にここ数年で目覚めた香港人が、政治意識を高めるなかで、自分たちの社会の民主化とリンクする形で天安門事件を再認識しつつある、というところではないかと思うのです。
課題は上述したようにジェネレーションギャップですね。私が上海で連日デモをしていたころ、配偶者(香港人)は中学生でクラスメートというか学校を挙げて支援デモに参加していたそうです。……ざっくりと言えば、30代から上でないと手ざわり・実感・記憶などによって「六四」を語ることができない、ということです。
前回のコメント欄で皆さんが語って下さった「私の天安門事件」を私は非常に興味深く読ませて頂いたのですが、つまり皆さんそれなりのお歳を召されているということで(笑)。この世代間格差は当然ながら中共政権下にも存在しています。もちろん、反日風味満点の「愛国主義教育」という形でより磨き上げられています。
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御家人さんのご友人たちは現在掲示板で見る騒ぐだけの連中と大いに違いますね。経済成長と反日教育のせいで家畜化してしまったのでしょうか。文化大革命を経験された先生も文献にでてくるような中国人ですが、どうしてこうも中国人全体は怪しくなったのでしょうか。
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……という「90」さんのコメントに私は考え込んでしまいました。昨春の反日騒動などと比較すれば確かにそういう感想が湧きます。「鏡に映りし者」さんが、「劣化した」と喝破なさった通りです。確かに「中国人全体は怪しくなった」「劣化」していると私も感じます。
ただ、それは本質的な変化なのかどうか。留意すべきことが少なくとも2点あると思うのです。第一に、中国人の根っこの部分、メンタリティとでも言えばいいのでしょうか。……そういう部分は基本的に変わっていないように私にはみえます。
「根っこ」というのは当ブログでしばしば登場する「医学が扱う範疇」というアレです。「中華を自認するプライド」と「アヘン戦争以来のコンプレックス」、この2つが一人格(一民族)の中で同居しており、しかもどちらも病気といえるほど深刻な状態にある。……これは現在の中共や中国人を評したものですが、実は天安門事件当時の知識人や大学生も同じだったのではないかと私は思います。ただ、その病状の具体的表現として向けられた鉾先が日本ではなく、中共だったということが現在とは違うのです。
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「日本も中国も戦後ボロボロの状態からスタートした。いま日本はあんなに繁栄しているのに、中国は未だに発展途上国のままで、経済的にも大きな格差がある。なぜか。建国後30年ばかりを愚劣な政治運動で浪費してしまったからだ」
という認識が当時は主流で(事実その通りだと思います)、私の好きな蘇曉康の『河殤』をはじめ80年代後半の様々な文章にこの見方が登場します。大学生はともかく、知識を吸収すべき時期を文革騒ぎで終わってしまった知識人には臍を噛む思いがあったことでしょう。大学生にしても「なぜ中国は後れているのか」と考えれば、制度、自由、民主といった政治の話に行き着かざるを得ません。
こうした「時間を浪費してしまった」「後れてしまっている」といった認識が危機感につながり、民主化運動の火種のひとつとなったことは疑いようがありません。当時の大学生が求めたのは「打倒中共」ではありませんでした。そういう意見も一部にはあったでしょうが、全国各地で展開された運動をならしてみれば、あくまでも「体制内改革を要求する=民主化」が柱だったと私は思います。
要するに、反日風味満点の「愛国主義教育」が行われていなかったため、「日本鬼子=反日」という意識は希薄だったけれども、日本を見下すような伝統的な「中華」心理、すなわち「小日本=侮日」は当時からあったのではないかと。ただ「病気」の鉾先が中共政権に向いていたため、また「後れている」という意識が自制心となって、それが目立たなかったということです。「日本はあんなに繁栄しているのに」という語気は、「日本」を「小日本」に置き換えても差し支えないと思うのです。
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対するに現在の中国人は当時と同じ病状ではあっても、まず「愛国主義教育」を受けていること、それに歪んだ形ながらも実現した空中楼閣のような経済成長でつい軽躁かつ浮薄に増長してしまい、等身大の自分を把握することができなくなっているように見受けられます。
「あんなに繁栄している」とみえた日本をいまや追い越す勢いじゃないかと考えて、「ザマーミロ小日本」という感情が強化されている。同時に中共史観と内政上の理由から政策的に「日本鬼子=反日」という意識もぐんと高められているのが現在の中国人ではないかと思います。夜郎自大といってもいいのですが、変に自身過剰になってしまっているのです。
天安門事件当時の中国人学生と私たちは、まだ「民主・自由・人権」といった価値観を共有することができましたが、自身過剰に陥っている現在はどうでしょう。「民主・自由・人権」ということを持ち出せば、
「そうだ。結局はそれがないから中国はいまも後れている」
というリアクションがあった当時とは違って、現在の大学生からは外交部報道官同様、
「いや、中国の特殊な国情をまず考えるべきだ」
という反応が返ってくるかも知れません。
それは、「中国は繁栄している」という認識が基礎になっての現状肯定です。その「繁栄」なるものが、実は国民の8割が犠牲になることと資本・設備・市場は全て外国頼みという危うさで辛うじて実現しているという歪んだ構造であることには目を向けず、その「繁栄」を自ら謳歌して消費市場の主役になっている。それが現在の大学生です。
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第二点は「範囲」の拡大が「劣化」を感じさせているということです。全国から選ばれた一握りの学業優秀者で構成されていた当時の大学生と、大学進学率が大幅に高まって粗製濫造、「大卒者は普通の労働者」と教育部がわざわざ言うほどの現在の大学生を同列に論じるには無理があります。レベルが違い過ぎるのです。
また、1989年の民主化運動が結局は知識人と大学生主導で終始して市民は応援団に過ぎなかったのに対し、例えば昨春の反日騒動は参加者の範囲が拡大して、レベルがガタ落ちしている大学生に加え一般市民までが主力の一翼を担って活動に参加しました。
それゆえに秩序や自制心が欠如しがちになり、組織防衛といった観念も希薄になって、プチ暴動のような愚劣な事件を引き起こしてしまっています。身もフタもなく言ってしまうと「レベルの低い糞のような馬鹿どもまでが活動に加わったからああなった」ということです。
いや、1989年にもよく似た事例が起きています。4月末に学生のデモに乗じて西安で破壊・略奪行為が発生していますし、成都ではこれも民主化運動の尻馬に乗った連中が市内最大のショッピングセンターを焼け野原に変えてしまいました。やはり「夾雑物」が混じると事態は暴走しかねない、ということでしょう。
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……何やら今回もとりとめのないことを書いてしまいました(反省)。標題の通り、中国人は変わったのかということを考えてみたのですが、基本的な部分は何も変わっていない、というのが私の結論です。
ただ貧富の差や地域間格差の拡大や、農民暴動や都市暴動など様々な官民衝突が頻発する現状をみればわかるように、こうした環境で次に何事かが起きるとすれば、それは「通りすがり」さんが「紅天已死」というコメントの中で指摘されたように、「民主化要求」といったような形而上の問題が掲げられることはなく、運動の主体も大学生や知識人に限定されることはないでしょう。
そうした本来「夾雑物」である層が主役を担うことに加えて「繁栄」幻想に基づく増長があることも手伝って、秩序や自制心が欠落したものとなり、一朝事あるとすれば、それが「運動」と呼ぶには相応しくない実質のムーブメントになるであろうことは想像に難くありません。不幸な結末になるでしょうが、まあそれは今年が文化大革命発動40周年であることに当局が真剣に向き合わないように、
「建国後30年ばかりを愚劣な政治運動で浪費してしまった」
という事実(それと天安門事件)を正視しなかった自業自得の成れの果てということで。中国人はそれを甘受するほかないでしょう。
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今中嶋嶺雄氏の著作を読んで勉強しています。
同じ民族を対象にした虐殺を行った点で中共は他のどんな独裁者よりも深い罪を負ってしまったのではないでしょうか
それが今も後を引いているのですかね
なので、若さというものを語るには私は立場が微妙すぎ、時代を語るには未だに勉強・経験不足です。一時間前に新エントリーを拝読しましたが、書き込みはしないで数日ゆっくり考えさせてもらおうと思ってました。でも顕利さんのカキコについ書き込みたくなりまして。
コレマタ生半な感想文は避けたいのですが、「日本の大衆は消費を謳歌する存在なのに比べ、中国の大衆は『浪費される』存在なのか」と思ってしまいます。日本の工芸品などはそれぞれの時代でメチャクチャ面白いものがあるのですが、中国のそれは儒教の影響もあり、創作がされにくい土壌となっています。自然と、大衆は創作物にエナジーを与えられることなく、「天の運行」によって命を待つだけの大衆文化に見えて仕方がありません。
易経をかじってみると分かるのですが、中国の大衆を見る目、そして運命咸は非常に冷徹で、大衆の動きそのものを巨大な潮流と思わされるものがあります。批林批孔運動で儒教の精神を追放したように見える中共政府ですが、彼らは自分達の行動が後になって易経の占断どおり、あるいは古代王朝と同じ轍を踏んでいることに内心ゾッとしているのではないかと思います。中国大衆もまた、自分達の存在が自由意志の乏しい『百鬼夜行』に等しいことを、いつの日か理解する時が来るのでしょう。
ココに集約されていると思う。
漢字コラム5 「こわい漢字」
http://homepage2.nifty.com/mogmog/column-5.htm
かつて、漢語の先生に教えてもらってかなりビビッタ記憶がありますが、いまはネットでさっと調べられます。
>中国人は変わったのかということを考えてみたのですが、基本的な部分は何も変わっていない
その通り、何も変わっていないのでしょう。元関東軍で終戦後数年間農村部を渡り歩いた親類の爺さんとの茶飲み話を聞く度にそう思います。その頃も「小日本」だったようですが(苦笑
まああの領土と多様な民族で国を維持するに、未だに独裁政権でないと維持出来ないのですから…
もしかしたら下記記者の願いは一生無理かも
記者の目:文革40年 いまだ百花斉放ならず
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20060606ddm004070019000c.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20060606ddm004070019000c.html
論説委員の面目躍如といった感じ。
たまに?と思う記述もあるけど、なかなか良い。
早い話が
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/kaneko/
それよりも前任者と較べるのも酷だと思うが、毎日新聞中国総局記事のの劣化が酷い。
↑でも中国は核保有国として21世紀の覇権国。
「独立後60年ばかりを愚劣な憲法論議で浪費してしまった」
↑そして日本はどんどん立場がなくなるばかり。
比島で戦死した爺さんへの墓参(遺骨は当然有りませんが)を兼ねて、幾多の戦神へ感謝の礼拝致します
# 海軍コーヒー楽しみだな。
と、思い切り御家人さんのエントリを無視して日記を書いてしまっては申し訳ないので、関連性を若干持たすと、六四の頃とは支那人の意識が大きく変り、鮮人のような夜郎自大の趣が確かに有りますね。
鉄鉱石・石炭・石油等の資源を中華の覇権に取り込むというと聞こえは良いです。でも、背に腹を変えられない貧乏人は、突然小金を持った時に、ついつい「高値掴み」しちゃうんですよね。足元見透かされますから。
金持ちの西側諸国が、何故その類のヤバ目の資源に手を付けていなかったのか、ちーとも理解せず買い漁る。物には相応の値段つーものが有るんだって。
恐らく、六四の惨劇よりも酷い状況を、現代の支那人は自らの子孫に遺産として残すことになりますな。
ゆがめられてしまうとの警戒論が浮上している。中国紙、環球時報はこのほど「日本漫画を警戒せよ」と
題した特集を掲載。ウェブサイトでは「日本がアニメで若者の目を歴史問題からそらそうとしている」
(南方網)との指摘も出ている。
麻生太郎外相が最近、日本の漫画やアニメの海外普及促進を訴えたことに中国側が“過剰反応”した形だが、
冷却化した日中関係が続く中、日本文化への風当たりが強まる可能性もある。
共同通信 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=GIF&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006060601001724
本気で仲良くする気持ちがあるのなら、親日は大いに結構なはずではなかろうか?とも。
>変わっていないのではないかと
中国をひとつの人間(人格)として見ると変わったのかと思います。
貧しい自分を見据えていられた者が、羽振りが良くなり迷惑なヤツに成り下がった…という感じで。
…と言ってもドラマ的教訓めいて「その素養があっただけさ」に尽きるだけかと思います。
そして、その”素養”というのは膨大にして固めようにも固まらない”砂のような”支那の
人民そのものだと私も思います。
ただ、一人一人の本質は変わらないが、支えている諸々の知識(情報)が不足し偏った為に
先天的な気質が露呈してしまったのかとも思っています。
>それなりのお歳しを
ははは・・・言われてみると私も30代になって久しいですから(汗)。
ある意味、日本も天安門事件以降の世代は、あちらの教育の一部をを受けたみたいなものかも…。
(大陸話題はヤバイから深入りしない → 無関心 → 市場・中国の売り込みを食らう)
私の職場の若い連中は半島を含めた大陸方面については真剣に考えないんですよね…。
顕利さんへ
お若いのに頼もしいです。
>同じ民族を対象にした虐殺を行った点で
ただ…連中自身が”同じ民族”とは思っていなかったのかと…(苦笑)。
三碧星さんへ
”そして運命咸は非常に冷徹で”に思わず頷いてしまいました。
で、運命にあぐらをかいてしまい、無茶しまくるのが彼等・・・と補足をば(苦笑)。
中国の『核』は世界を制すさんへ
なるほど的確ですね、中華思想でいう”世界”の中では日本の立場は無くなるばかりです。
ですから中共向けODAも不要ですよね、
立場のない国をアテにしちゃ末代までの恥ですから。
内容はずれますし、横レスですみませんが、日本でも大衆は消費される存在でもあると思います。
資本主義社会は奴隷がいないとなりたたないのです。日本国内にも奴隷状態の人はいますよ(つまり、下請け)。
でもそれだけじゃたりないので、世界の奴隷を引き受けたのが中国というわけです。
中国も崩壊しそうだと思いますが、奴隷が必要な資本主義社会の人々はなんとしてもそれを阻止するのではないかとつい悲観してしまいます。
酔ってホテルに帰った挙句に、御多忙な御家人さんの許しを得ず、勝手なまとめをすると:
> 顕利、三碧星、損政好さん
なかなかの慧眼・漢語薀蓄です。但し、自民族への虐殺は、歴史的に見て然程珍しいことでは有りません。殊、「独裁政権」の所作とくれば、アフリカではまだまだ現在進行形ですし、おそらく未来形でも世界中で有ると思いますよ。その意味で支那における中共政権の振る舞いは、決して特殊では無い。
支那がエライのは、それを連綿と歴史として受け継いでいる事。それのみが困難な支那の現実を辛くも治める唯一の方法で有ると、政権に就く者も、治められる者までもが本能的に知っている事じゃないかな。
幸か不幸か、私もそれが支那を治めるに唯一無二の方法なのだと思います。
> ファンタジスタ麻生、nanahshikoさん
中共に限らず、正当性が怪しい独裁政権は、当然その人民に全く人気が有りませんから、その正当性を強弁する言い訳が常に必要です。イギリスに食って掛かったアルゼンチンや、クエートに突然侵攻したイラク等枚挙に暇有りませんね。
で、隣には眩しい格好の対象が有る。そりゃ、求心力を維持する上で侮日・反日は外せないでしょ。皮肉な事には、アルゼンチンにとってのイギリス、イラクにとってのクエートとは異なり、支那にとっての日本がどれ程有り難い存在なのか、本人たちが一番良く知っている事です(少なくとも、中共中枢は熟知している)。
奴らは親日にも、過激な反日にも、どちらにも踏み切れない袋小路にはまり込んでいるのです(しかも、その袋小路は自分で作り出したもの)。この点では、鮮人酋長とその取り巻きと全く同じ。
> ばんちょ、毛熊さん、
少し観点ずれますが、かの村上ファンド総帥と比べてみませう。支那であれば、彼とその狢は、一等一番の役人と必ず組んでいます。従って、破裂するそのぎりぎりまで捕まる事は無い。
支那の文化・伝統というものも有りますが、やはり民主主義が確立しないと、自浄作用というものは社会には根付かない、という証左かと。
# 酔っ払いが無理やりまとめてみました。
中国が21世紀の覇者になることはありません。まず中国そのものに世界の人々が夢中になれる魅力がありません。20世紀に世界の人々があこがれたアメリカの文化、政治、経済などのようなものが中国には全くありません。
誰があの国に住みたいと思うんです?
残念ながら中国はもう終わってます。長年中国の農村部に関わってきた人間として断言できます。今後の中国は、その余剰人口(これも悲しい表現ですが)に対応するだけで精一杯ですね。
(依存症の独り言)さん
日本国内はライブドアに次いで村上ファンドでその株式取引で不正行為で揺れていますが、中国は
ロンドン金属取引所(LME)ですよ。
「官ぐるみでルールを踏みにじる中国」
をお読みください。
偽ブランド、偽商品、なりすまし密入国、他国での犯罪、金融取引 あらゆる経済行為全般の不正もうこの民度!
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