29日は風が強く海上行動は行われなかった。午後12時15分から福岡高裁那覇支部の向かいにある城岳公園で、国が沖縄県を訴えた「辺野古代執行訴訟」の事前集会があったので参加した。この日は稲嶺進那覇市長が証人尋問に立ち、同公園に集まった支援者に挨拶した。
以下に稲嶺市長のあいさつを紹介しているので見てほしい。
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27日は朝、カヌー16艇で松田ぬ浜を出発した。空は1日中雲に覆われ、風と波も多少あったが、辺野古岬の岩場に入って休憩をとったあと、大浦湾に出て海底ボーリング調査への監視活動を行った。
大浦湾に出ると波が高かったが、フロート沿いに並んで作業の様子を監視しながら抗議を行った。緑のクレーン付き台船の台座にガイドパイプが付けられて作業員が動いていたが、波で船体が揺れ、掘削 . . . 本文を読む
25日は朝、カヌー10艇で松田ぬ浜を出発した。向かい風が強いなか漕ぎ進んだが、リーフの波が高く汀間漁港から辺野古側に抗議船が移動するのは難しいとのことで、カヌーのみで長島南側のフロート沿いで作業の様子を見た。
カヌーが着く前に大浦湾ではオイルフェンスの設置作業が行われていたようで、海上には残されていたガイドパイプが見える。この後、陸側に避難していた緑のクレーン付き台船が移動し、ガ . . . 本文を読む
24日は1日中曇り空が続き、沖縄も肌寒かった。天候不良のため海上行動は中止となったので、第3ゲートや山の方から大浦湾の状況を見た。午前9時前から10時前にかけて、米軍のビーチ付近から弾薬庫下に向けてタグボートが2隻移動しているのが見えた。
第3ゲートから見ると一番手前にあるブロックを積んだクレーン付き台船は、元の位置のままで目立った動きはない。一番沖に停泊している青いクレーン付き . . . 本文を読む
23日(火)は旧暦の1月16日で、沖縄ではぐそー(あの世)の正月だった。前年に亡くなった人の法事があるので、この日はカヌーの行動は休みを取った。
実家の庭では桜や白椿は花が終わりかけ、スミレや赤椿がよく咲いている。この赤椿は白椿の種から生えたものなのだが、八重咲きで色も違う。元の掛け合わせはどうなっていたのだろうか。
親戚の法事に出かける途中、キャンプ・シュワーブの第 . . . 本文を読む
22日(月)は朝、カヌー12艇で松田ぬ浜を出発した。途中、キャンプ・シュワーブ内の浜では、米軍がゴムボートを使った訓練を終えて引き揚げるところだった。辺野古岬に近い浜でも米兵10名ほどの姿が確認できた。
内陸部での射撃演習に加えて、海岸や海を使った訓練もできる。米軍にとってキャンプ・シュワ-ブは使い勝手のいい基地なのだろう。そこに飛行場や港湾、装弾場を備えた新基地ができれば、さらに多 . . . 本文を読む
21日は風があったが、晴れて暖かい1日だった。ナングスクの桜は頂上から下へ葉桜に変わりつつあるが、平地ではまだ満開の桜があちこちに見られる。日曜日でナングスクの公園は家族連れでにぎわっていた。
午前10時頃から11頃にかけて、自衛隊のCH-47ヘリコプター1機が名護市街地上空を反時計回りで旋回飛行していた。かなり高度を落とす時もあり、1時間も旋回飛行をくり返して何を . . . 本文を読む
20日(土)は前日の夜から朝まで雨が続き、海上行動は中止となった。
午前中、第3ゲートや瀬嵩の山から大浦湾の様子を見た。天気はしだいに回復したが、大浦湾には警戒船が4隻とマリン・セキリュティーのゴムボートが1隻出ているだけで、作業船の動きは見られなかった。
コンクリートブロックを積んだクレーン付き台船は、これまでと同じ場所に停泊したまま動きなし。海底ボーリング調査を行っていた . . . 本文を読む
19日は強風で海が荒れたため海上行動は中止となった。辺野古のリーフ内は比較的波が穏やかなので、カヌー11艇で練習を行った。松田ぬ浜を出発して長崎(辺野古岬)に向かったが、強い逆風の中を漕いだのでいい練習になった。
キャンプ・シュワーブの映画館に足場が組まれていた。解体工事が始まったのか、じきに分かるだろう。
新人メンバーもいて全体から遅れたので、長崎の岩場で休憩をとりつ . . . 本文を読む
17日は辺野古の松田ぬ浜からカヌー12艇で海上行動に出発した。ほかに4艇が初心者練習を行っている。
出発が遅れて、前日の午後にオイルフェンスを張ろうとしたのを阻止した長島側は、大浦湾に着いたときには、すでに張られてしまっていた。さらに航路方向に伸びたオイルフェンスの二重化をしようとしていたので、それへの阻止行動をとった。
作業船が固定しようとしていたオイルフェンス . . . 本文を読む
16日は瀬嵩の浜からカヌー9艇で出発した。ほかに辺野古のほうで4艇が初心者練習。沖縄も冷え込みが厳しく、濡れた手足の先がかじかんだ。寒さをこらえるには、カヌーを漕ぎ続けるのが一番いい。
辺野古弾薬庫下のフロート近くまで行き、コンクリートブロックを積んだ台船の様子を見た。まだ動く気配はなく、国と沖縄県が争っている代執行訴訟の影響があるのだろうか。裁判所が和解案を出す中で、ブロック投 . . . 本文を読む
15日は所用のため海上行動には参加せず、今帰仁に帰った。用事が早く終わったら、那覇の裁判所前の集会に行こうと思っていたのだが、長引いて行けず。午後は実家の裏庭のジャングル化した蔓草をひたすら除去した。
庭には少し前まで椿が咲いていたが、今はほとんど散って、桜が満開になっている。どちらも父親が植えたものだが、主はなくとも花は咲き続ける。庭のあちこちでユリが芽を出して成長し、5月には . . . 本文を読む
12日(土)も海は風が強く海上抗議行動は中止となった。第3ゲートや山の上から大浦湾の様子を見た。海保やマリンセキュリティーのゴムボートがわずかに出ているだけで、作業船や警戒船の姿は見えず、海上作業は行われていなかった。
海底ボーリング調査を行っている緑のクレーン付き台船も、長島近くから陸寄りに移動して波を避けている。瀬嵩の浜ではヒヤミカチのメンバーがサップの練習をしたとのこと。 . . . 本文を読む
12日は強風で海が荒れ、海上抗議行動は中止となった。作業船や警戒船、海上保安庁の船も稼動しておらず、この日は海上作業も行われていない。
第3ゲートから見える3隻のクレーン付き台船も動きはなく波に揺れていた。緑のクレーン付き台船(第八十八福丸)は海底掘削用のガイドパイプを長島近くに残したまま、海岸の方に移動しているのが前日には確認されている。
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先週、今週と海が荒れて海上行動ができないとき、北部の戦跡を回っている。9日は名護市屋我地にある国立療養所沖縄愛楽園を訪ねた。ハンセン病の元患者の皆さんが暮らしていて、正門横の壁や療養所内の水タンクには、沖縄戦当時の弾痕が残っている。名護市に残された貴重な戦争遺跡である。
元患者の皆さんが彫った防空壕(早田壕)も残されていて見学できる。貝殻の化石が混じった岩壁を掘るために手足を . . . 本文を読む