以下に載せるのは、12月5日(土)に名護市大西区公民館で午後3時から4時まで行われた岡田外務大臣と「市民との対話集会」をテープ起こししたものです。冒頭部分が一部欠落しています。また、会場からの発言はマイクが使われていなかったので聞き取りづらく、意味をつかめなかったところは…(一部不明)…と記してあります。
なお同「対話集会」はあらかじめ民主党県連によって選ばれた市民が参加し、それ以外の市民は参加を希望しても拒否されました。また、冒頭部分を除いてはマスコミにも非公開で行われました。
岡田外相:まあ実質的には戦後初めてと言ってもいいと思いますが、政権交代が見事に実現をして、鳩山政権のもとで私が外務大臣を務めることになりました。あれから2カ月以上経ちますけれども、この間、懸命に頑張ってきたつもりでございます。今日はその中でもですね、沖縄に関わる問題を中心に、ぜひ皆さまの率直なご意見を聞かせていただきたい。この前も沖縄に来たんですけども、どうしてもですね、知事さん、市長さん、町長さん、あるいは県議会の先生方のお話しを聞く機会があったんですけども、一人ひとりの市民、県民の皆さまのお声を聞く機会がなくて、今日は玉城さんにお願いをしてこういう機会を設けていただいたわけでございます。
さて、少し最初に私からお話しした方がいいと思いますけども、沖縄の基地の問題、あるいは米軍再編の問題、このことについて、私たちも選挙において、民主党のマニュフェストでは、沖縄基地の問題、米軍再編の問題について、見直しの方向で臨むというふうに書かせていただきました。この中には例えば普天間とか、県外ということが含まれておりませんでしたけれども、それは私の中でもいろいろ考えて、そういう表現はあえて避けたわけでありますから、しかし、そうは言ってもですね、思いの中にやはり沖縄の基地の負担をなんとかして減らしたい。今こういうふうに沖縄の基地と言った時に、普天間ということが念頭にあるということは、これは事実としてあります。これは鳩山代表も沖縄に来られてですね、色んな条件を付けながらとはいえ、県外にということも言われたわけであります。
そして、政権を取ってですね、マニュフェストに書いたこと、あるいは皆さまへ言ったことについて、これをどういうふうに実現していくかということで、私も外務大臣としてこの2ヶ月余り、必至になって取り組んでまいりました。これ以上言うと、…(一部不明)…いきますので、またあとで詳しく説明させていきますが、現実にアメリカとの話し合いをこの2ヶ月やってまいりましたけれども、彼らの方から言うと日米両政府間に合意があると、その合意を受けてやってもらいたいと、そういう話であります。我々は政権が変わったと、条件はどうしてもですね、玉城さんはじめ四つの議席みんな我々の側が、与党の側が、政権交代を実現した側が取ったんだと。こういう大きな成果があったんだ、ということも申し上げ、そして政権が変わったという中で、従来の政府間の合意というのもそのままではなくて、ここでもう一回ですね、きちんと検証すべきではないか、なぜ今の案になったか検証すべきではないか、こういうことを申し上げて、様々な議論をこの2カ月間続けてきたところでございます。
しかし、アメリカの側が、検証はいいけれども、しかし、日米で合意した案というのは、これは変えられないんだ、ということをずっと繰り返してまいりまして、2カ月間色んな議論をしてまいりましたが、このアメリカの主張は変わらないと。もし、ここは地元でありますが、普天間を辺野古に移すということと、そして、8000人の海兵隊がグアムに行くということと、グアムに行った結果、空いた基地を日本に、沖縄に返すということと、これは事実上一つの、セットになった話であると。従って、8000人の海兵隊のグアムへの移転とか、基地を返すということは、それは辺野古への移転が実現して初めて可能になることなんだと。こういう論理展開で、もちろんこういうことはきちんとそれぞれ条件があってのことになるんですが、理屈上こういう話であるということをアメリカ側としては、一貫して主張してきたわけで、その中でなんとか我々の思い、つまり沖縄の負担を少しでも減らすと、そういう思いが実現できないかどうかということを、この2ヶ月余りアメリカ側と交渉してきたということでございます。
最近になってちょっと大きな変化があったのは、社民党の党首選挙がありまして、福島さんが再選されたわけですけれども、その過程で、やはり社民党にとってはこの問題は非常に重要な問題だと。したがって政権離脱もあると、そういう話がありまして、ある意味ではそういうこともあってですね、この話は煮詰まった話であるということでございます。ま、こういう不確かなことは…(一部不明)…ちょっと…(一部不明)…たいと思いますが、こういう中でいま、もちろん私も、民主党も日米同盟というのは非常に大事であると。日本の安全のためになくちゃあならないものだという前提で議論していますから、その日米同盟をしっかりと持続していく。あるいはより強くしていくということと、そして、基地の問題をどうするかという、あるいは日米の合意をどうするかという、そのジレンマの中で、我々はいま選択を迫られていると、こういう状況にございます。
どうぞぜひ皆さんから率直なご意見をいただければ有り難いと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
司会(玉城デニー議員):有り難うございました。以上でマスコミの皆さんには館外にですね、どうぞまた出ていただきたいと思います。よろしくお願いします。時間の関係があります。どうぞ速やかな行動をご協力お願いします。
会場の皆さん、今のうちにですね、携帯をマナーモードにしていただければ有り難いと思いますので、よろしくお願いします。それから、申し訳ありません、少し皆さまにはご迷惑をおかけいたします。これだけのメディアの方々がいらっしゃって、実はですね、メディアの皆さんのワイヤレスマイクの電波と会場のワイヤレスマイクの電波が混信しています。先ほどからずっとスピーカーから流れてきておりまして、他のマイクの本数の切り盛りができないためにですね、会場の皆さんの方に予定をしておりましたワイヤレスマイクを回すことができません。申し訳ありませんが、この会場、これだけの人数ですので、できるだけ静粛にしていただきたいということも含めて、ぜひ地声で話を頑張っていただいて、ご協力をたまわりたいと思いますので、よろしくお願いします。
なお、本日はあらかじめお断りををさせていただきたいと思います。実は外務大臣にですね、要請という形で各方面の皆さんから要請文が届いておりますが、今日は先ほどもお話がありました、衆議院議員として私たちの話を伺いたいということもございまして、この要請文は私がお預かりをしております。後ほど私の方から大臣に後日、整理させていただいてですね、しっかり届けますので、その点をお約束させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
すみません、メディアの皆さん、有り難うございます。なお、会場でのビデオカメラの撮影もお断りさせていただいております。後援会の皆さん、申し訳ございません。カメラのビデオのスイッチもお切りくださいますよう、ご協力お願いいたします。ここからユーチューブに載ったら大変なことになりますので、ご了承お願いします。
それではですね、二、三質疑応答を、皆さんにご自由に話していただきたいと思います。限られた時間ではありますが、約30分、40分くらいですね。はい、では手を挙げられた方。
我喜屋宗弘:えー、岡田大臣、ようこそ名護市へ、と言うべきなんですが、私たちの名護市は今、ほんとに混迷をいたしておりまして、このまま歓迎のあいさつをすること…(一部不明)たいと思います。私は去った衆院選挙に玉城デニー氏の…(一部不明)…をつとめた我喜屋宗弘と。
私たち沖縄県は、去る第二次大戦の時に、地上戦があって20万人という大先輩を失った県民でありますし、…(一部不明)…非常にシビアで、非常に惨状が今でも残っています。その中で、私たちの辺野古に普天間の基地を移転するということが議論されてから、もう久しくなりますが、その中で行われた去った国政選挙で、玉城デニー氏…(一部不明)…強く反自公、いわゆる県内移設として基地をまとめることはまかりならん、という点でまとまっているところであります。そして、応援に来た岡田大臣も、それから鳩山総理、マニュフェストにはなかったにしても、答弁としては、県外を、国外をということを言ってます。
あ、すみません、失礼しました。各応援団体の決意を受けてもらった時に、沖縄県民、名護市民ひとりとして、その言葉を、県外ですね、国外ですね、と確認をしながら私たちも選挙を進めてまいりました。そして、選挙ですでに、私たちとしては県内移設はありませんよ、というふうな集約をされたのが名護市の民意であり、沖縄県民の民意であります。
したがって、今日私たちにお話をしたという意味から、それははっきりとした私たちの意思でありました。その点については、岡田外務大臣と政府が、私たちから見れば、アメリカのやれという恫喝に脅かされているような雰囲気に見えます。従って、独立国家としてここはきれいに整理をしていただければ大変有り難いと思います。ご意見をお聞きいたします。
(つづく)
なお同「対話集会」はあらかじめ民主党県連によって選ばれた市民が参加し、それ以外の市民は参加を希望しても拒否されました。また、冒頭部分を除いてはマスコミにも非公開で行われました。
岡田外相:まあ実質的には戦後初めてと言ってもいいと思いますが、政権交代が見事に実現をして、鳩山政権のもとで私が外務大臣を務めることになりました。あれから2カ月以上経ちますけれども、この間、懸命に頑張ってきたつもりでございます。今日はその中でもですね、沖縄に関わる問題を中心に、ぜひ皆さまの率直なご意見を聞かせていただきたい。この前も沖縄に来たんですけども、どうしてもですね、知事さん、市長さん、町長さん、あるいは県議会の先生方のお話しを聞く機会があったんですけども、一人ひとりの市民、県民の皆さまのお声を聞く機会がなくて、今日は玉城さんにお願いをしてこういう機会を設けていただいたわけでございます。
さて、少し最初に私からお話しした方がいいと思いますけども、沖縄の基地の問題、あるいは米軍再編の問題、このことについて、私たちも選挙において、民主党のマニュフェストでは、沖縄基地の問題、米軍再編の問題について、見直しの方向で臨むというふうに書かせていただきました。この中には例えば普天間とか、県外ということが含まれておりませんでしたけれども、それは私の中でもいろいろ考えて、そういう表現はあえて避けたわけでありますから、しかし、そうは言ってもですね、思いの中にやはり沖縄の基地の負担をなんとかして減らしたい。今こういうふうに沖縄の基地と言った時に、普天間ということが念頭にあるということは、これは事実としてあります。これは鳩山代表も沖縄に来られてですね、色んな条件を付けながらとはいえ、県外にということも言われたわけであります。
そして、政権を取ってですね、マニュフェストに書いたこと、あるいは皆さまへ言ったことについて、これをどういうふうに実現していくかということで、私も外務大臣としてこの2ヶ月余り、必至になって取り組んでまいりました。これ以上言うと、…(一部不明)…いきますので、またあとで詳しく説明させていきますが、現実にアメリカとの話し合いをこの2ヶ月やってまいりましたけれども、彼らの方から言うと日米両政府間に合意があると、その合意を受けてやってもらいたいと、そういう話であります。我々は政権が変わったと、条件はどうしてもですね、玉城さんはじめ四つの議席みんな我々の側が、与党の側が、政権交代を実現した側が取ったんだと。こういう大きな成果があったんだ、ということも申し上げ、そして政権が変わったという中で、従来の政府間の合意というのもそのままではなくて、ここでもう一回ですね、きちんと検証すべきではないか、なぜ今の案になったか検証すべきではないか、こういうことを申し上げて、様々な議論をこの2カ月間続けてきたところでございます。
しかし、アメリカの側が、検証はいいけれども、しかし、日米で合意した案というのは、これは変えられないんだ、ということをずっと繰り返してまいりまして、2カ月間色んな議論をしてまいりましたが、このアメリカの主張は変わらないと。もし、ここは地元でありますが、普天間を辺野古に移すということと、そして、8000人の海兵隊がグアムに行くということと、グアムに行った結果、空いた基地を日本に、沖縄に返すということと、これは事実上一つの、セットになった話であると。従って、8000人の海兵隊のグアムへの移転とか、基地を返すということは、それは辺野古への移転が実現して初めて可能になることなんだと。こういう論理展開で、もちろんこういうことはきちんとそれぞれ条件があってのことになるんですが、理屈上こういう話であるということをアメリカ側としては、一貫して主張してきたわけで、その中でなんとか我々の思い、つまり沖縄の負担を少しでも減らすと、そういう思いが実現できないかどうかということを、この2ヶ月余りアメリカ側と交渉してきたということでございます。
最近になってちょっと大きな変化があったのは、社民党の党首選挙がありまして、福島さんが再選されたわけですけれども、その過程で、やはり社民党にとってはこの問題は非常に重要な問題だと。したがって政権離脱もあると、そういう話がありまして、ある意味ではそういうこともあってですね、この話は煮詰まった話であるということでございます。ま、こういう不確かなことは…(一部不明)…ちょっと…(一部不明)…たいと思いますが、こういう中でいま、もちろん私も、民主党も日米同盟というのは非常に大事であると。日本の安全のためになくちゃあならないものだという前提で議論していますから、その日米同盟をしっかりと持続していく。あるいはより強くしていくということと、そして、基地の問題をどうするかという、あるいは日米の合意をどうするかという、そのジレンマの中で、我々はいま選択を迫られていると、こういう状況にございます。
どうぞぜひ皆さんから率直なご意見をいただければ有り難いと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
司会(玉城デニー議員):有り難うございました。以上でマスコミの皆さんには館外にですね、どうぞまた出ていただきたいと思います。よろしくお願いします。時間の関係があります。どうぞ速やかな行動をご協力お願いします。
会場の皆さん、今のうちにですね、携帯をマナーモードにしていただければ有り難いと思いますので、よろしくお願いします。それから、申し訳ありません、少し皆さまにはご迷惑をおかけいたします。これだけのメディアの方々がいらっしゃって、実はですね、メディアの皆さんのワイヤレスマイクの電波と会場のワイヤレスマイクの電波が混信しています。先ほどからずっとスピーカーから流れてきておりまして、他のマイクの本数の切り盛りができないためにですね、会場の皆さんの方に予定をしておりましたワイヤレスマイクを回すことができません。申し訳ありませんが、この会場、これだけの人数ですので、できるだけ静粛にしていただきたいということも含めて、ぜひ地声で話を頑張っていただいて、ご協力をたまわりたいと思いますので、よろしくお願いします。
なお、本日はあらかじめお断りををさせていただきたいと思います。実は外務大臣にですね、要請という形で各方面の皆さんから要請文が届いておりますが、今日は先ほどもお話がありました、衆議院議員として私たちの話を伺いたいということもございまして、この要請文は私がお預かりをしております。後ほど私の方から大臣に後日、整理させていただいてですね、しっかり届けますので、その点をお約束させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
すみません、メディアの皆さん、有り難うございます。なお、会場でのビデオカメラの撮影もお断りさせていただいております。後援会の皆さん、申し訳ございません。カメラのビデオのスイッチもお切りくださいますよう、ご協力お願いいたします。ここからユーチューブに載ったら大変なことになりますので、ご了承お願いします。
それではですね、二、三質疑応答を、皆さんにご自由に話していただきたいと思います。限られた時間ではありますが、約30分、40分くらいですね。はい、では手を挙げられた方。
我喜屋宗弘:えー、岡田大臣、ようこそ名護市へ、と言うべきなんですが、私たちの名護市は今、ほんとに混迷をいたしておりまして、このまま歓迎のあいさつをすること…(一部不明)たいと思います。私は去った衆院選挙に玉城デニー氏の…(一部不明)…をつとめた我喜屋宗弘と。
私たち沖縄県は、去る第二次大戦の時に、地上戦があって20万人という大先輩を失った県民でありますし、…(一部不明)…非常にシビアで、非常に惨状が今でも残っています。その中で、私たちの辺野古に普天間の基地を移転するということが議論されてから、もう久しくなりますが、その中で行われた去った国政選挙で、玉城デニー氏…(一部不明)…強く反自公、いわゆる県内移設として基地をまとめることはまかりならん、という点でまとまっているところであります。そして、応援に来た岡田大臣も、それから鳩山総理、マニュフェストにはなかったにしても、答弁としては、県外を、国外をということを言ってます。
あ、すみません、失礼しました。各応援団体の決意を受けてもらった時に、沖縄県民、名護市民ひとりとして、その言葉を、県外ですね、国外ですね、と確認をしながら私たちも選挙を進めてまいりました。そして、選挙ですでに、私たちとしては県内移設はありませんよ、というふうな集約をされたのが名護市の民意であり、沖縄県民の民意であります。
したがって、今日私たちにお話をしたという意味から、それははっきりとした私たちの意思でありました。その点については、岡田外務大臣と政府が、私たちから見れば、アメリカのやれという恫喝に脅かされているような雰囲気に見えます。従って、独立国家としてここはきれいに整理をしていただければ大変有り難いと思います。ご意見をお聞きいたします。
(つづく)
私のミスでしたので訂正しました。
発言した我喜屋氏にご迷惑をおかけしたことを、お詫びします。
日本中、米軍基地撤退です!