新宿のタワーマンションで女優が刺されたのは、もう五年前のことだった。
犯人は“思い詰めていた”と語り、二十数回の刺傷を与えながらも、事件後は「記憶が曖昧で…」と供述した。放心状態だったという。
だが、それが事件の**“原型”**だった。
シンガーソングライターの女が、何の前触れもなく背後から刺された。
「金を返せと言っているわけではない。ただ、彼女が幸せそうだったのが腹立たしかった」と。
推しに費やした十年間が、生活保護と病院通いだけが残った自分の人生の唯一の“意味”だったという。
そして、今。
年金額は月5万。
毎月、腰にヒアルロン酸注射を打ち、心臓の薬をもらいに病院に通っていた。
彼にはかつて「推し」がいた。
推し活全盛期には、田坂は彼女の配信に月20万円を投げていた。
当時の記憶は断片的だ。
とにかく彼女の声が、自分を「選んでくれている」と思っていた。
──「ありがとう、田坂さん、いつも一番で嬉しい!」
それだけで、生きる意味があった。
彼にとっては、「捨てられた」としか思えなかった。
田坂は怒りに駆られなかった。ただ、耐え続けていた。
それでも、自分を押さえていた。
しかし、ある日。
志帆がテレビの再現ドラマで“おばあちゃん役”として出演しているのを見た。
だが、その笑顔に、田坂の心は焼かれた。
──「なんで、そんなに幸せそうに笑っていられるんだ?」
スイッチが入った。
そんな原始的な怒り方は、もう古い。
田坂は、志帆の勤務先を調べた。
記録係。月収14万円。実家暮らし。推しの残骸として、静かに暮らしていた。
彼は彼女の後をつけた。
「殺す気はない」
そう自分に言い聞かせた。
ただ、「知らせたい」。
田坂はある日、深夜のコンビニで志帆の背後に立った。
手にしたのは、カッター。
それを握りしめ、彼女の片目を切りつけた。
悲鳴、血、倒れ込む志帆。
逃げる田坂。
数日後、自首。
裁判で田坂は言った。
「俺は初代の連中みたいに、殺して逃げる気はなかった。
生きさせて、苦しませる。
それが一番の“恩返し”なんだよ」
「5年後、俺は72。まだ生きてる。彼女も、生きてるだろう」
その言葉が、次の“後輩たち”の心に火をつけるとは、
まだ誰も知らなかった。
『推されていた数年間』 名前を呼ばれるのが、怖かった。 画面越しで何千回も呼ばれたその名は、もう本名より重く、苦しかった。 「しほたん」「しほぴ」「女神しほ」── それは私...