2025-06-19

日本におけるゲイとハッテン場——見えにくい関係の背景と変化

日本社会において、ゲイの人々が長く向き合ってきた現実ひとつに「ハッテン場(発展場)」の存在があります。ハッテン場とは、主にゲイ男性同士が性的出会い目的として集まる場所のことを指し、特定公園トイレサウナビデオボックス、時にはバーや専用スペースなど多様な形で存在してきました。

これらの場所は、単に性的欲求を満たす場であると同時に、社会の中で自分セクシュアリティ確認し、同じ立場他者とつながるための数少ない「接点」として機能してきた歴史があります

見えない存在としての同性愛とハッテン場の必要性

戦後から2000年代にかけて、日本社会では「異性愛」が当然のものとして前提化されてきました。家庭、職場地域、いずれの場でも、同性愛日常の中で話題にされにくく、理解されにくい存在であり続けました。

その中で、ハッテン場はある種の「サンクチュアリ避難所)」として存在していました。誰にもカミングアウトしていない人、恋愛交際という枠組みではなく、身体的なつながりを求める人、あるいはただ孤独を抱えた人にとって、匿名性の高い出会いの場は切実な意味を持っていたのです。

メディアとハッテン場の文化

1980〜1990年代には『バディ』や『薔薇族』といったゲイ雑誌が流通し、ハッテン場の所在地情報体験談などが共有されることで、独自文化圏が形成されていきました。その一方で、ハッテン場は「特殊な性の世界」として消費される側面もあり、ステレオタイプ助長もつながりました。

現代の変化とハッテン場の再定義

近年、LGBTQへの理解が徐々に進む中で、ゲイであることを隠さずに生きる人も増えてきました。また、スマートフォンの普及により、9mon、Jack’d、Grindrといった出会いアプリが主流になりつつあり、リアルなハッテン場に頼らなくても出会いが成立する時代に移行しています

しかし、その一方で、アプリ世界には「見た目や年齢」による排除格差がある現実もあり、誰もが居場所を得られるわけではありません。そうした意味で、匿名かつ非言語的なつながりが得られるハッテン場は、いまなお「見えない人々」の拠りどころとして機能し続けています

公共空間としての課題社会的意義

ハッテン場の多くは公共の場を舞台としており、風紀や治安、衛生面などの観点から問題視されることもあります。実際に、摘発対象になることや、地域住民との摩擦が起きるケースもあります

しかし、このような場の存在を一概に否定することは、社会の中で「声なき声」として沈黙を強いられてきた人々の生の在り方を切り捨てることにもつながります。ハッテン場の存在のものが、「誰にも相談できない」「公に言えない」人たちが生きてきた証であり、日本社会セクシュアリティに対する不寛容さを映し出す鏡でもあるのです。

ハッテン場をどうとらえるか

今後、ハッテン場という文化は少しずつ姿を変えながらも、生き残っていくでしょう。それは単なる性的出会いの場としてではなく、誰にも見えなかった欲望孤独アイデンティティの探求が交差する場所として、より深く再評価されていくかもしれません。

ハッテン場をどのように理解し、受け入れるかは、日本社会がLGBTQをどのように捉えていくのか、そして「多様な性のあり方」をどこまで許容できるのかという、より本質的な問いに直結しています

~オレたちのハッテン場「Mr.Cruising」立ち上げにて

https://10den.sakura.ne.jp/mr-cruising/

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