序章:「性癖に貴賤なし」の嘘
「性癖に貴賤なし」という言葉を耳にしたことがあるだろう。たしかに、誰もが自分の好みを持ち、それを否定される筋合いはない——という建前は、社会的な寛容さを保つうえで重要だ。
だが、我々は知っている。現実には「キモい」のランク付けが存在することを。
そしてここに、一つの真理がある。
アニメキャラで抜いてる奴より、生身のアイドルで抜いてる奴の方がキモい。
二次元キャラはあくまで創作物である。魂も、実体もない。著作権はあれど、人格権はない。つまり、どれだけ変態的な妄想をぶつけても、キャラは傷つかない。
それはまるで、誰にも迷惑をかけない一人遊びの究極形。妄想の領域に閉じ込められた欲望は、社会にとって“無害”と言える。
もちろん、「抱き枕に話しかけてるオタク」など、絵面的にシュールなシーンはある。が、それは「変わった趣味」止まりであり、倫理的にアウトとはなりにくい。
一方、生身のアイドルとは実在する他人である。血の通った、生活を営む人間だ。そこに向かって「性的対象」として日々“処理”をしているという行為は、どう言い繕っても一線を越えている。
よくある言い訳:
「向こうも見られる仕事してるし」
このような理屈は、性的搾取の正当化に近い。「見せる自由」と「どう扱われるかの自由」は別物であり、見る側が“勝手に加工”してよいとは限らない。
それを無視してオナネタに使っている時点で、倫理のタガが外れていると言われても仕方がない。
第三章:なぜ“生身”の方が怖いのか?
たとえファンとアイドルの距離が遠くても、SNSでのエゴサ、握手会、誕生日プレゼントなどで、現実に接触しうる存在だ。その相手を性的に消費していると知れたときの破壊力は凄まじい。
いくら「応援してます!」と笑顔で言っていても、裏では“お世話になってる”という事実がちらつけば、サイコホラーの開幕である。
結局のところ、二次元で欲望を処理するという行為は、**限りなく“無害な変態”**である。欲望を空想の箱庭に閉じ込めるその姿勢は、ある意味「性のエコロジー」であり、「倫理的配慮がある変態」なのだ。
だから、はっきりと言おう。
アニメキャラでオナニーしてる奴のキモさ <<< 生身のアイドルでオナニーしてる奴のキモさ
そう、君が抜いてるそのキャラは、誰も傷つけていない。
つまりジークアクスはキモいので滅ぼすべきってこと?
そうじゃ 増田のくせに真理を見抜くいい「目」を持っておる