正解:雪洞に
なんで死んだ奴が愚痴を吐けるのや
朝起きると相手はもういなくて、私が家に着くころにはすやすやと寝ている。
毎晩私は起こさないように布団に潜り込んで、あたたかな手を握る。
焼きたてのクリームパンみたいにふかふかした手に触れると心が落ち着いてすぐ眠りにつく。
今夜も忍び足で向かうのだ。
お前のモノには声帯が付いてんのか
ライデンインストール状態の流星で毎回殺されていたのでポッコをはずしてウズシオーネを入れる
インビンシブルは流星に先制出来るうえ、犀状態のマーロウならストレートを0ダメージにすることが可能
The end of anonymous diary.
日本において合計特殊出生率が最低を記録したのは2005年です。
就職氷河期の最後が2005年度卒とされていて、出生率低下は就職氷河期により新卒の雇用が不安定だったから、なんて言われますが本当でしょうか。
2005年の日本で何が起きていたのかというとフィリピン人に対して興行ビザ発行を絞りました。
それまでは年に6万人とも8万人とも言われるフィリピン人女性が興行ビザにより日本へ入国し、働いていました。
日本は人身売買の温床、みたいなことをアメリカや国連に言われたので色々と(割とすぐに)対応し、その一つが興行ビザの発行を渋ることでした(これによりフィリピン人女性は興行ビザが切れる前に日本人男性と結婚するか、帰国するかの二択を迫れれました)。
興行ビザを減らしたことでフィリピンパブは2004年がピークに以降は徐々に減っていきます。
合計特殊出生率の底は2005年で、2005年に向かって徐々に低下していたわけですが、フィリピン人女性など外国人女性が(言葉は悪いですが)性のはけ口を担っていたため合計特殊出生率が徐々に低下していた可能性があります。
2005年から非モテの性のはけ口は少なくなる一方で、10年後にマイルドヤンキーと呼ばれ理由もなく馬鹿にされる層が高卒から順調にキャリアを積み結婚し子を設けはじめ合計特殊出生率が上昇に転じたと考えられます。
ちなみに、ミシェル ウエルベック の「闘争領域の拡大」(非モテが原因で死ぬ話)は2004年11月に日本語訳が出版されています。元は1994年に出版されているので、当時の世相・雰囲気から日本語訳が出版されたのでしょう。
明治は、平成7年からの5年間の、芸能界やダイエーが巻き起こした若者文化、特にプレステの一人勝ち、1000本以上の名作を産み
凄まじいものがあった。エアマックスやたまごっちなのも懐かしい。まさに古典化して腐敗した昭和国家を一掃した革命だった。
昭和は、平成10年以降の受験競争。全国の勉強の猛者が、都会を目指し、三大予備校の模擬試験の成績ランキング表の席次で一喜一憂したり
優勝劣敗や自慢、歓喜、熱狂、嫉妬、発狂、など、もろもろあった。東大に受かった日には、昭和時代なら、事務次官にでもなったかのごとく
最近までも飛ぶ鳥を落とす勢いがあって、正義も愛もあったが、こういう悪質な時代になるとは思わなかった。
平成7年からのあの芸能界旋風、テレビゲーム革命、そして、模擬試験冊子のランキング表の席次で一喜一憂する昭和、そして一度失敗し腐敗しつつも
平成23年までは何もかもが素晴らしかった。その後に、お前らみたいな平成のゴミ悪党が暴れたせいで、平成のいいところは何も無くなった。
平成時代も明治や昭和があったし、中世ののびやかないい時代など色々あった。