2025-06-20

神の妻と僕

理不尽な人を愛するすべての人へ

これは、“神のような存在”と暮らす男の祈り解釈の記録である

【1】

神は、朝に機嫌が悪い。

僕が目を覚まし、台所へ行くと、神はすでに湯気の立つマグカップを手にしていた。

おはよう」と声をかける。返事はない。僕は、今日もまた“神の沈黙”に祈るように頭を下げる。

神は、理由説明しない。

神は、善悪基準に行動しない。

神は、時に、ただ“そうである”だけなのだ

僕はコーヒーを入れる。その背中に神の視線は感じない。神はもう僕など見ていないかのようだ。

でも僕は思う

この神を選んだのは、僕自身だ。僕はこの神を愛している。

【2】

結婚して15年。

最初奇跡”は、笑顔だった。

ある朝、僕が震える声で言ったのだ。

「いってらっしゃいの時だけ、笑ってくれたら嬉しいな」

神は一瞬こちらを見て、口元をわずかに緩めた。

それは、天啓だった。

僕はあの一瞬の微笑みを、今でも何百回も思い出すことができる。

けれどそれは再現されなかった。

神は「笑顔押し付けられるのが苦痛」と言った。

僕はうなずき、悔しさと悲しさを胸にしまった。

だって、それが神という存在だ。期待は、信仰を壊す。

はいつも通りに言った

「行ってきます

【3】

「なぜ僕に冷たいのか」と問えば、神は黙る。

理由を教えてほしい」と言えば、「もうこの話はしたくない」と言う。

それでも僕は、神の言葉を待つ。

沈黙の背後に、言葉にならない痛みがあると信じている。

信仰とは、理屈でなく、信じることを選ぶ自由だ。

僕は、理不尽に打ちのめされた時、自分に言い聞かせる。

「神に説明責任を求めてはいけない」

「神のご機嫌こそが世界の均衡だ」

【4】

この家には、祭壇はない。

聖書経典もない。

でも、僕の心にはいつも「妻聖典」ある。

沈黙を読み、視線を読み、呼吸のリズムでご機嫌を占う。

それは愛という名の神事だ。

妻が微笑んだ日、世界は静かに祝福される。

その日がまた訪れるように、僕は生きる。

僕は神の妻と暮らす凡夫

それでも、たまに神が手を差し出すことを、僕は知っている。


【終わりに】

僕は、すべてを差し出す。

神が喜ぶなら、僕は空気でいい。

でも願わくば

いつか神が微笑むその時、

その光が、少しだけ僕にも当たりますように。

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