2025-07-08

「生きる」という宗教からもっと気軽に降りさせてほしい。

人は望んで生まれてくるわけではないので、死ぬことも自由に認めてほしい。現状それは自殺という方法しかなく、そこには失敗のリスクがつきまとい、また、残された人へのインパクトは非常にネガティブものとされている。自殺では周りの人へ本音最後挨拶もできない。

「生きる」という宗教からもっと気軽に降りさせてほしい。誰でも望めば安楽に死ね施設を作ってほしい。または薬の許可

もっと前向きに、人生ここまででいいっか、と思えたタイミング自由安全死ねたらこの世の憂いのほとんどはなくなるのではないか

子どもを産んだ人だって国の為に産んだわけではないだろうに、産んでない側が今後自分たちの子供にフリーライドすることになるであろうことに憤っている様をみたことがあるが、

からこっちは死なせてほしいっつってんだよ。望むところなんだけど、その方法自殺しかないっていうのは酷すぎないか?持ち物の処分とか自分でできることは全てしてから終わらせたいし。

予想される反対者の意見を以下に挙げて反論してみる。

簡単安楽死を認めてしまうと人がいなくなる➡何が問題なのだろうか?生きたい人だけが生きればいいではないか

労働力、税収は「生きたい」人間が頑張ればいい 生きたくない人間を生かしてかろうじて回っている社会は不健全である

安楽死処置する側の負担自分もしたい人間同士で列になって互助していけばいい

昔は長生きする人が珍しかたからお年寄り大事にされ、年金も十分にもらえたが、きたる高齢化社会死ぬまで働くことを要請されるなんて、生きていく楽しみを見出せない。

病気介護人生の面倒なことが降ってくる前に退場したいと思うのは当たり前ではないだろうか?

孤独死自殺発見者迷惑をかけるより、しかるべき施設で生きているうちに自分で終わらせてほしいという要望の、なにが否定されるのだろうか。

命は絶対に繋げていくもの、という価値観はどこで培われたのだろうか?ただの思い込みではないのか?

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