ほん‐しつ【本質】
本質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 16:05 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2022年12月) ( |
本質(ほんしつ、希: ουσια (ousia), 羅: substantia / essentia)とは、あるものをそれたらしめる自性、ないしそうした特性から成る真実在をいう場合もある。
概要
ある何らかの対象を律する際に充てがうロゴスを「何性(性[要曖昧さ回避]とも)」などと呼び、この呼称を本質と見做す事が慣習である。而して同一性ないし類型学種差はこれらの派生である。
これと対比して、付加されたり欠如されたりして、それをそれたらしめる(必然性の欠在)付帯的な性向を、偶有性と謂う。
口語や俗語における広義的な用法において、「体裁」に対する概念としての「原現象」や「真髄」など「現前の基底となる形而上的にして真正な「性質」の語義として用いられる傾向にある。
思想史
中世盛期スコラ学以降は、essentia (本質存在)は実存(現実存在 エクシステンティア exsistentia)の対概念とされてきた。
元来アリストテレスのウーシアは「存在するもの」という語構成を持っている語で、「本当に実在するもの」を意味し、彼にとってはまずもってそれはイデアではなく具体的な個物であった。この形相と質料とからなる個物は、述語として用いられうる普遍者としての「第二実体」に対比された場合、主語としてしか用いられない基体としての「第一実体」と呼ばれる。ここからさらに、その個物の素材である「質料 ヒュレー」ではなく、その「形相 エイドス」こそが、ものの真の実在性を担っているという考えにたったとき、個々のものの本質としては質料と対比された形相のほうが第一の実体であると説かれる。すなわち、彼にとってウーシアという言葉は実体という含意と本質としての形相という含意をともに持っていた。
これがラテン語に翻訳されるとき、substantia と essentia という二つの訳語が行われた。substantia は、ウーシアと同義で用いられていたヒュポスタシス「下に立つもの」(のちにキリスト教神学の文脈ではウーシアとヒュポスタシスは区別されるようになった。この場合の訳語はpersona)の直訳で基質としての実体という観点からの訳語であり、essentia は「あるところのもの」という観点からのウーシアの訳語であった。
アリストテレス的枠組みに立つ限り両者は区別されず訳語の違いにすぎなかったが、中世盛期スコラ学、具体的にはトマス・アクィナス以降、実体 substantia と本質 essentia は区別されるようになった。ただし、このときでも近代哲学とは異なり、本質こそが実在であるという観念論的な枠組みは維持された。存在は、本質として概念的に存在している実体と、本質に現実存在( existentia )がプラスされた、現実的に存在する実体とに区分されたのである。
なお、概念が本質存在する(概念として存在する)ということは、単に文法的・形式的な理由で名目的に表現可能であるというだけではなく、論理的矛盾なく想定可能だということを指す。言語の不備から、曖昧な、あるいは矛盾を孕む概念が観念されることはありうる。しかし、そうした名目的概念は、その名辞に対応する実体を持たないと考えられた。しかし、このことはかならずしもその概念に対応するものが現実存在するということを保障しない。概念から最高存在の現存在を証明する実体論的証明を退けた者にはカントがいる(純粋理性批判)。
このことは可能や不可能など様相を問題にする場面でとくに問題となり、また現代ではハイデッガーや実存主義によって、存在するということがものの本質や属性に含まれないという点から着目された。たしかにデカルトなどにとっては、たとえば神はその完全性のうちに存在を含むものであった。しかし、存在するものとしてしかその本質が考えられない(スピノザ)、というだけでは、やはりそのものは現実存在するとは限らないとの批判がたとえばカントなどからなされている。すなわち、述語として考えたときに「存在する」という述語は、他の述語にはないやや特異な位置を占める。
なおアリストテレスの上述の議論を継承した中世の普遍論争においては、実在するものは個物であるとする立場にたつ唯名論と、普遍(形相)こそが実在である実在論とが対立した。
関連項目
本質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:03 UTC 版)
『神社非宗教論』の本質は以下の項目により成り立つ。 現代宗教学上の定義においては、国家が維持管理する事によって『神社神道』及び『教派神道』を置くものとするという政策。 明治時代の神祇官復興運動(特に丸山作来ら)に見られるように、『神社神道』を国教として扱う事で行政機関が特別扱いできるようにする政策。
※この「本質」の解説は、「神社非宗教論」の解説の一部です。
「本質」を含む「神社非宗教論」の記事については、「神社非宗教論」の概要を参照ください。
「本質」の例文・使い方・用例・文例
- 赤血球と白血球は血液の本質的成分である
- 道徳の本質
- その2つの方法には本質的な違いはない
- それは本質的には技術的な問題だと思う
- 彼の提案はあなたのと本質的には違うものではない
- 君の意見は本質的には私の意見と変わりがない
- その問題の本質を見極める
- 民主主義の本質
- 彼は宗教の本質に関心がある
- 本質に迫る討議
- 古代ギリシア哲学の本質の概念について理解するのは難しい。
- ラサとは本質的な精神の状態と考えられている。
- (人の)本質のうち精神的、感情によって特徴付けられる部分
- この小説は人間の本質の非難されるべき欲深さを明らかにしている。
- 心理的本質主義
- 人間の本質を高尚にする
- 彼らは目の前のものばかりに目を奪われていて本質を見誤っています。
- そして彼は物事の本質を捉えています。
- 私はその問題の本質についてさらに明快な見解を抱く。
- 彼はこの物質の本質を探る研究を行っている。
本質と同じ種類の言葉
- >> 「本質」を含む用語の索引
- 本質のページへのリンク