僕らはたった2年で無職になる仕事を選んだ。ラグビーW杯に人材集まる理由

世間で名の知れた大企業や組織を離れ、2年後にはなくなってしまう仕事をあえて選ぶ人たちの理由は何だろうか。

大手建設会社でインフラ事業を手がけ、世界中を飛び回ってきた32歳3児の父や、政府系機関で開発途上国支援に携わってきた31歳男性が、いずれも「好きでやりがいもあった」前職を去って飛び込んだのは、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)の組織委員会。日本が初の開催国を務める大会の運営だ。

たった2年で終了するプロジェクトに「生涯一度のチャンス」と全力投球する姿から、現代のキャリア観が見えてくる。

ラグビー

たった2年で解散する仕事に、大組織を離れて飛び込む理由とは。

2019年の終わりには、無職ですからね。それは不安だったと思いますよ

大手建設会社でプラント建設のプロジェクトメンバーとして、アジアや中東を飛び回ってきた藤居陽さん(32)が会社を辞めようと考えたのは、2017年春のこと。ラグビーW杯の組織委が、メンバーを募集していることを知ったのだ。

「会社を辞めて挑戦してみたい」と、妻に話した時のことを振り返る。

当時は6歳と2歳の男の子がいて、妻は専業主婦で子育てに忙しい。

オリンピック、サッカーW杯と並んで世界の3大スポーツ祭典の一つとされるラグビーW杯が、大きなプロジェクトであり、またとない経験であることは間違いないが、2019年秋(9月20日~11月2日)の開催期間が終われば、組織委は解散だ。

そこでまた再び、転職活動をすることになるのは目に見えている。数千人規模の従業員を抱え、創業100年近い一部上場企業を夫が飛び出すことに、小さな子どもを抱える家族としては、将来を心配に思うのは当然のことだろう。

「しかも、僕はラグビーの経験者でも、特別に好きなスポーツというわけでもなかったんです」

藤居さんはあっけらかんとした様子でそう話す。

生涯1社は安定ではない

当時、藤居さんは入社10年目。建設会社の中枢とも言える資材の調達部で、サウジアラビア、インドネシア、フィリピンなど駐在や出張を重ね、20代から複数のプロジェクトを経験してきた。経験を積ませてくれた会社には感謝していて、「そのまま会社にいても、やりがいがあって充実した日々を送れた」と、藤居さんは言い切る。

藤居さん。

ラグビー組織委に転身した藤居陽さん。自分の能力を、別のフィールドで生かしたいと考えていた。

その一方で、30代を目前にする頃から「ここで得た知識や経験を、建設業以外のフィールドで活かせる機会はないか」との思いが募っていた。

人生100年時代と言われ、いろんな働き方やモチベーションのキープの仕方を考える中で、一つの会社にいることが安定の世の中ではなくなっている」と考えたからだ。

「これまで会社で得た専門性や能力を別のジャンルで生かすことで、(能力の)ポートフォリオ(組み合わせ)を豊かにすることができる。それでこそ、より充実し、かつ安定してくるのではないか」

安定したキャリアを築くことを考えるからこそ「一つの会社にいる方が、むしろリスク」と感じた。

そこへ、ラグビーW杯の組織委の募集だ。これまでの仕事と同様に「明確なプロジェクトであり、世界が日本を見てくれるチャンスであり、期間限定で明確に結果が問われる」。これならば「自分の強みが活かせて貢献できる」との直観が働いた。

新婚旅行先でスカイプ面接

真鍋卓也さん(31)がラグビー組織委のメンバー公募に申し込んだのは、新婚旅行中のことだ。

真鍋さんは国内の大学を卒業後、イギリスの大学院を経て、政府開発援助を行う国際協力機構(JICA)に勤務。当時はスリランカに駐在中だった。学生時代から志していた「途上国支援に携わりたい」という仕事に従事する、順風満帆とも言えるキャリアを歩んでいた。

ただ、古くからの友人の連絡で、ラグビーW杯の組織委の求人があると知ったことから、「一生に一度のチャンス」との思いに打たれる。

「中学、高校、大学とラグビーを続け、今の人格はラグビーに育ててもらった。心のどこかで関わりたい、いつか恩返しをしたいと思っていた」ことに、気づいた。

新婚旅行の滞在先のアメリカでノートパソコンを広げ、スカイプで面接を受けた。JICAの同僚でもある新婚の妻は「受けるからには受かりなさい」と、二つ返事で状況を受け入れた。

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途上国支援の仕事から、ラグビーW杯組織委に転職した真鍋卓也さん。

JICAとラグビーは、一見つながりがないように見えて、「スポーツは教育に役立ち、社会や人間の生活を豊かにする。世界平和につながる仕事という意味で、国際協力や人助けの仕事に通じるものがある」。自分の中では一貫していた。

同時にやはり危機感もあった。

一つの組織にずっといると考え方が硬直する。外に出て新たな経験をしてみたい」

ポスト終身雇用の生き方

高度経済成長期の日本企業を支えたのは、年功序列で上がる給与とセットの終身雇用に守られた「日本型雇用」だ。大企業を中心に、働き手は雇用の安定と引き換えにして、残業や転勤を受け入れてきた。

しかし、長引く不況で経済成長が低迷し、企業が早期退職や希望退職を迫るケースは増え続けている。厚生労働省の「労働経済の分析」(2016年)によると、約6割の労働者が「できるだけ一つの企業で、長く勤める」ことを望んでいる一方、4割が「企業の倒産や解雇はいつ起こってもおかしくない」と考えている。終身雇用への根強い期待が残るものの、現実の労働市場の厳しさが、浸透しつつあるのが現状だ。

そんな中、「一つの組織にい続けることがむしろリスク」と、2年限定の仕事であっても「一生に一度のまたとないチャンス」に飛び込む、ラグビー組織委の2人の選択。多様な経験を積みキャリアを磨く働き方は、終身雇用崩壊後の新たな意味での「安定したキャリア」を示唆しているのかもしれない。

いかだで川下りするキャリア

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いかだで川下りをするように、周囲の人々や出来事に影響されながら進んでいくキャリアもある。

wavebreakmedia/Getty Images

藤居さんと真鍋さんは現在、東京都内の神宮球場に隣接するオフィスにある、ラグビーW杯組織委で働いている。藤居さんは経営企画部でW杯プロジェクト全般のマネジメントを担当し、真鍋さんは人事企画部で採用やチーム作りに携わる。転職から2年目に差し掛かり「サッカーW杯が終われば、次はラグビーだ」という静かな緊張感も高まりつつある。

転職話を持ち出した当初は戸惑った藤居さんの妻も、最終的にはこう言って背中を押してくれたという。

「収入は1000万円なのか500万円なのか上下があったとしても、やりたい仕事をやっていく中でこの先、仕事がなくなることはないでしょう」

日本社会は構造的な人手不足、2年後の藤居さんは34歳。真鍋さんは33歳。ラグビーW杯という巨大プロジェクトをやり遂げた経験は、必ず大きなカードになると感じている。

「ゴールに向かって直線的に進む人もいるけれど、自分はいかだで川下りをするように、周囲の人々や出来事に影響されながら進んでいく人生」と、真鍋さんは言う。

川から大きく外れなければ、目的地にはたどり着く。そうやって積んだ多彩な経験が、強みになっていくと考えるからだ。

(文・滝川麻衣子、写真・今村拓馬)