ピクサーで『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』などを手がけた後、独立し、2014年にトンコハウスを設立した堤大介さん。現在は、クリエイターたちがプロジェクトへの共感を起点に集い、「個」として活躍するのを促す「コミュニティ型組織」を運営しています。
2015年に初監督作品『ダム・キーパー』がアカデミー賞にノミネート、日本でもNHKで短編映画が放送されるなど、これまで大躍進を続けてきたトンコハウス。しかし2018年、大きな苦境が訪れます。社運を賭けたビッグプロジェクトが頓挫し、会社としての存続が危ぶまれてしまったのです。
個のクリエイターが集うコミュニティであると同時に営利企業でもあるというジレンマ…… そのとき堤さんはどのような経営判断を下し、クリエイターたちの理解を得て、その苦境を乗り越えていったのか——。堤さんのお話を通じて、「個の時代」に人を惹きつけ、生き残る組織像を探ります。
PROFILE堤大介:トンコハウス共同代表
東京都出身。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。ルーカス・ラーニング、ブルー・スカイ・スタジオなどで『アイス・エイジ』『ロボッツ』などのコンセプトアートを担当。2007年ピクサー入社。アートディレクターとして『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』などを手がける。ピクサー在籍中にサイドプロジェクトとして制作したオリジナル短編アニメーション映画『ダム・キーパー』が2015年米国アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネート。2014年7月ピクサーを退職し、トンコハウスを設立。
世界規模の長編映画プロジェクトがまさかの頓挫
——2年ほど前に取材したとき以来ですね。最近はどんなプロジェクトを進めているのですか
以前の取材のときは「『ダム・キーパー』長編映画の劇場版プロジェクトを進めていて、完成すれば20世紀フォックスから全世界に配給される」とお話ししていましたよね。それが…… 実は、頓挫してしまったんです。
『ダム・キーパー』に関しては、僕らも強い思いを持っていて、まず短編映画を製作し、その後「グラフィックノベル(フルカラー版マンガと絵本の中間のようなもの)」と長編マンガをアメリカの出版社からリリースしました。
そしてHulu Japanでも短編映画を原作に『ピッグ 丘の上のダム・キーパー』を配信して、その後NHKでも放送されました。少しずつ、日本も含めて多くの方に観ていただけるようになったんです。
そのメインプロジェクトとして長編映画の話を進めていたのですが、ハリウッドということもあって、『ダム・キーパー』に関するすべての権利を一旦20世紀フォックスにお渡しする、という契約だったんです。
でもこの2年くらい、20世紀フォックスの経営方針が変わったり、直接の担当者が退職したり、最終的にはディズニーに買収されるという話になり、なんだかんだで話がストップしてしまいました。
でも、そのおかげというか、『ダム・キーパー』の世界を僕らトンコハウス自身でコントロールできるようになりました。それが「絵本」と「トンコハウス映画祭」の2つに結実したんです。
——3月末に出版された『ダム・キーパー』の絵本のことですね。
絵本はKADOKAWAと組むことになったんですけど、編集の豊田さんは、ここ数年ずっと僕らにラブコールを送っていただいていたんです。他の国の出版社からもいろいろとオファーをいただいていたのですが、いちばん熱心に声をかけてくれたのが豊田さんでした。それこそ、出版社はどこでも関係なかったというか、豊田さんがそこまで熱心に言ってくださるなら、ぜひ一緒にやろう、と。
そして「トンコハウス映画祭」は、もともとKADOKAWAの「絵本の出版記念企画として、東京・新宿で1カ月間に渡って、トンコハウスの作品を上映しませんか」というご提案から始まったんです。僕らの作品だけを1カ月上映できるなんて、本当になかなかない機会ですけど、そんな場を用意してもらえるなら、僕らだけではなく、僕らの好きなアーティストの作品も紹介できる「映画祭」にできないか、と申し出たんです。
正直なところ、トンコハウス単体で物事を考えたら、自分たちの作品だけを上映することがいちばんトクなんですよ。でも、会社を越えて、自分たちが本当に良いと信じる作品をお客さんとシェアすることで、みんながつながります。そして、それはトンコハウスにも戻ってくるはずです。
——4月27日から開催される「トンコハウス映画祭」は、クラウドファンディングでの出資を呼びかけたのも印象的でした。
クラウドファンディングでは、結果的に1439人の方に支援していただいて、総額12,460,000円が集まりました。達成率も415%で、本当にありがたいことです。それでも、これだけの規模のイベントをやるとなると会社としては大赤字です。
そうやってみんなに迷惑をかけながらやっているんですけど、僕らの好きなアーティストを紹介して、自分たちも楽しめるし、つなげる楽しみもある。ワークショップには僕らはもちろん、映画『インサイド・ヘッド』の助監督ローニー・デル・カルメンやキャラクターデザイナーのクリス・ササキなど、ピクサー時代からの仲間も来てくれるんです。これだけ豪華なアニメーションアーティストを一度にそろえたイベントは稀だと思います。
今回の映画祭のベースには、2007年から4年半をかけて行った『スケッチトラベル』プロジェクトがあるんですよね。世界中にいる71人のアーティストに一冊のスケッチブックを順番に渡して、そこに絵を描いてもらいました。映画祭では、そのときの「スピリット」を思い出したかったんです。
「会社存続の危機」に立ち返った自分たちの原点
——それにしても、社運をかけた一大プロジェクトが「破談」に終わって、かなりショックだったはず。なぜ、「契約を白紙にする」決断をできたのですか。
確かに大型契約でしたし、超大作の予算ではあったので、簡単にはあきらめられませんでした。映画会社の担当者が変わってからも、1年くらいは頑張ったんですよ。
でもそもそも、他の映画会社のオファーを断って20世紀フォックスを選んだのも、前の担当者さんの情熱に気持ちを動かされていたからなんです。いや、別に引き継ぎの担当者さんが悪かったわけではないんですよ。でも担当者とのやり取りやお金周りの交渉の中で、彼らにとってこのプロジェクトがただ「会社員としての仕事の一つ」になってしまっていて…… 僕らが作りたい「コミュニティ」の姿と少しずつかけ離れてしまうことに、我慢できなくなってきたんです。
——理想とする「コミュニティ」はどんな姿ですか。
うちの会社の名前を「トンコスタジオ」とか「トンコエンタープライズ」とかじゃなくて、「トンコハウス」にした理由にも関わるんですけど、「雇用」ではなく「場」にしたいという思いがあったんです。「個人で働く」「会社で働く」というより、「コミュニティ」を作って、一緒に働きたい仲間を大切にしたいという思いが強かった。
で、「家」だから、人も出たり入ったりするんです。一度出ていったとしても、関係性は続いていく。そんな風通しのいい場所です。もちろん、法的に必要だから法人格ではあるんですけど、そこは別に本質じゃない。もはや、「会社間の関係」ではなく「個人間の関係」から仕事が生まれる時代だと思うのです。
——でも正直なところ、契約を破棄することで会社の資金は大きく削られますよね。
大きな会社でもありませんし、実際、トンコハウスはもうダメなんじゃないか、という話にもなったんです。会社の今後を話していく中で、2018年秋ごろ、「原点に戻ろう」と決めました。まだ始まって5年に満たない会社が「原点に戻る」というのも変な話かもしれないけど、やっぱり「コミュニティ」のスピリットを大切にしよう、と。
共同経営者でビジネスサイドのトップでもあるロバート・コンドウともよく話すんですよ。なぜ、僕らはピクサーを辞めたのか、って。
トンコハウスに集まってきてくれているクリエイターたちはピクサー出身者も多いのですが、みんな一流の人たちばかりなんです。そんな彼らにただ「会社を存続させるためだけの仕事」をさせるのか。そんなことをしようものなら、きっと彼らは辞めてしまう。いくらでも他に道はありますしね。だから僕らにとって「トンコハウスを存続させること」は最優先課題ではない。
もし仮に会社が潰れてしまっても、トンコハウスに関わってくれた仲間みんなが「ここに集まってよかったよね」と思ってもらえるような場にしなくてはならないと考えたのです。
——「会社を存続させるため」ではない仕事が「絵本」であり「映画祭」なんですね。
「コーポレート(会社)」だと、せっかく集まった個人の属性や背景が消えてしまうけど、「コミュニティ」は一人ひとりの個人が活躍していて、それがつながっていく。それは僕にとって、スケッチトラベルで得られた原体験が大きかったんです。
たくさんのアーティストが参加してくれて、世界中からさまざまな反響をもらって、見てくれた人にも「こんなクリエイターがいるんだ」と知る機会になった。そうやって最終的にチャリティとして東南アジア8カ国に図書館を建てることができた。みんながwin-winになるというのが重要だったんです。
今回の映画祭も、海外では商業的に成功している映画祭がたくさんあるのに、なぜ日本ではなかなかビジネスにならないんだろう、という課題意識があったんですけど、はじめはお金のことを抜きにして考えないと、最終的にお金にならないんですよね。ただ、「お金を投資する」という意識だけだと「あまり利益が出なかった」みたいになりがちだけど、「コミュニティを作るための投資」って、絶対お釣りが返ってくるんですよ。
スケッチトラベルでは4年半もかけて、自分の労力や精神力を費やしてきたけど、めちゃくちゃたくさんお釣りが返ってきた。大御所のアーティストの方とも作品をやり取りすることができたし、「ダイス(堤さんの愛称)にまかせれば大丈夫だ」という信頼を得ることができたんです。
——そこで得られた信頼関係が、いまの仕事にもつながっている、と。
よく「堤さんが言っていることって、お金にならないですよね」って言われるんですけど、本当にそうなのかなって。今は一見して、コーポレートが個人の属性を打ち消してまで幅を利かせているけど、どんどん企業買収を繰り返して資本を独占していくことで、健全な競争が起こらなくなっていく。果たしてそれは持続可能なあり方なんだろうか、って。
いや、もちろんお金は大切ですよ。クラファンでお金を出資するということは、それだけの時間と労力を費やしてもらえることなので、本当にありがたい。ただ、きっとお金を出してくださった方は、さらなるお金の見返りを期待しているわけではないはず。1439人の方がそれぞれ出せる範囲内で、トンコハウスと関わりたいと思ってくれたから生まれたお金の流れだと思うんです。
それはきっと資本主義とは違うベクトルの「コミュニティ型の社会発展」の一つの形でしょう。お金がプライオリティなら、きっと他のことにお金を使うだろうし、トンコハウスのメンバーもここにはいません。ピクサーにいたほうが絶対に稼げますからね。
——メンバーが「ここで働きたい」と思えるような、大切にしている価値観はなんですか。
大切にしているのは、「エンターテインメント」と「アウェアネス」ですね。僕らは物語やキャラクターを作ることを専門にしているので、まずは観て楽しんでもらうことが第一なんですけど、そのうえで何か考えさせられたり、気づきがあったり…… 優しさや喜び、悲しみといった人の感情なのか、社会的な課題なのかは作り手によって違うけど、作品に触れることで、何か持ち帰って、感じ取ってもらえたらすごく嬉しいです。
そのときに重要なのが「好奇心」。何か感情移入したり、インスパイアされたりする動機になるのは好奇心だと思うんです。子どもが主人公に感情移入して、興奮して何か話している様子が、それを受け止める大人たちにとっても刺激になる。そんなふうに、観た人が何か変わっていくような作品を作ってもらいたい。
トンコハウスのメンバーには個人としてそれを表現してほしいし、その方法はトンコハウス社内のプロジェクトだけにこだわる必要もない。作り方も人それぞれのやり方でいいし、いい意味で社外や他のコミュニティとの連鎖が生まれたらいいと思うんです。
個として活躍する人びとの「コミュニティ」が新たなものを生み出す
——とても理想的な会社のあり方ですが、堤さんが何かモデルとしているような組織はあるのですか?
トンコハウスのあるカリフォルニア・バークレーにある「シェパニーズ」という小さなレストランがあって、僕らも特別なときに家族を連れていくんですけど、そこが本当にすばらしいお店なんです。
創立者でオーナーのアリス・ウォーターズが行ったのは、レストランというビジネスがベースにはあるんですけど、アメリカの食文化を豊かなものに変えようと、まわりの人にも影響を波及させていったことなんです。
今でこそ「地産地消」とか「オーガニック」とか珍しくなくなりましたけど、彼女がシェパニーズを立ち上げた70年代はまだ確立されておらず、それこそ彼女がそういったスローフードの考え方を広げていったんです。
地元の生産者から直接食材を仕入れて、消費者が安心して食べられる食材を手に入れられる仕組みを構築した。レストランに勤めていたシェフに「あなたはパン屋さんで修行して、おいしいパンを作れるようになってね」と勧めたところ、今では「アクメブレッド」という「カリフォルニアでもっとも美味しいパン屋さん」と言われるようになった。
さらには地元バークレーの中学校で「エディブル・スクールヤード」という食育プログラムを作り、学校にサステイナブルな食文化を導入したんですが、それが今やアメリカ全国に広まっています。そうやってカリフォルニアの食文化を豊かにして、カリフォルニア・キュイジーヌを確立していったんです。
でも、決してレストランとしては大きくないんです。シェパニーズで働いたシェフたちは、どんどん独立して、それぞれのお店をオープンしていく。そうやって、お店としては細々とやっていながらも、影響力は世界レベル。全米のみならず世界中にアリス・ウォーターズの考え方、文化が広がっているんです。
———それがトンコハウスの理想とする組織のあり方なんですね。
そうですね。そういう存在になれたら素敵だな、って。「成功」というと、西海岸の名だたる企業のようにどんどん大きくなっていって、人と資本の動きをコントロールしていって…… というイメージかもしれないけど、僕自身はそれに関心がなくて。
究極的にはトンコハウスが存続しようがしまいが、関係ないんです。でも少なくともトンコハウスで生まれた僕らのDNAのようなものがコミュニティとして広がっていけば、新たなエンティティ(実体)が生まれる。
そこでいちばん大切にしたいのは、まずは自分の幸せ。自分が楽しんでいると、特に広げようとしなくてもそれが伝播して、まわりにも広がっていく。そこに関わるみんなが楽しくて、自分たちも楽しくて、結果的にみんなが得することになる。それでいいんじゃないかと思うんです。
——資本主義的な考え方が染みついていて、どうしてもビジネスを優先したり、売上を確保しようとしたりしてしまいがちな人も多いと思うのですが、なぜ堤さんはそこに囚われないでいられるのでしょうか。
利益を上げたい、資本を独占したい…… という側へ回り、そうになる気持ちは分かります。でも、そうやって格差がどんどん大きくなって、このままで大丈夫なんだろうか、と思うんです。
僕の子どもがいま7歳なんですけど、彼が大人になったとき、いったいどんな社会になっているのかなって。大きくなり過ぎて傾いてしまう企業もありますし、これだけ「個の時代」と言われるようになって、実際、会社以上に活躍する個人がどんどん出てきている。個人の力って、会社が考える以上に強いと思うんです。
僕自身、失敗したときに得られた経験値の大きさが自分を助けてくれていて、そこで得た学びや発見によって成長できたという実感があるんですけど、いまって会社の中だと、失敗しにくくなっているじゃないですか。いろんな人の承認を得ないといけないから、どんどん丸くなっていく。
そういう意味では、アメリカってひどいところもたくさんあるけど、ちゃんと失敗した人にもセカンドチャンスを与えてくれることはすばらしいと思うんですよね。だから、どんどん新しいものが生まれているんだと思います。
——そこにリスクを恐れる日本企業のジレンマがあるかもしれません。
でも失敗することもなく、安全圏にい続けることによって、失敗から学ぶこともできない。「失敗しても大丈夫」というサポートがあるからこそ、リスクも取れるんですよね。そういう考え方が社会や世界中に広がっていったら本当に最高だろうけど、まずは自分の身の回りの、小さなところから変えていく。それがトンコハウスという場所なんです。
(取材・文:大矢幸世、岡徳之/撮影:Khoi Ly)
"未来を変える"プロジェクトから転載(2019年4月29日公開の記事)