ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤全集を完走後、ゆっくり白水社エクス・リブリスの全巻読書をやってます。

主にスマホ閲覧者向けサイトマップ

はてなブログの仕様上、スマホだとカテゴリリスト等が見づらいため固定記事にまとめました。スマホでご覧いただいている方は、左下の「続きを読む」をタップしていただけると、このブログ上の各記事に飛びやすくなっています。PCの方は、右側のカテゴリリンクとほぼ同等のものになります。

続きを読む

069『断絶』リン・マー/藤井光訳

世界が終わるまでは 離れる事もない

スティーヴンは頷いた。著書にも書いたことですが、大事なのは教育ではなく、モチベーションです。メンタリティーの問題なのです。それが、経済で世界をリードするアメリカ合衆国にとってどのような意味を持つのか?私たちは憂慮すべきでしょう。(p.43)

<<感想>>

前回の『死体展覧会』【過去記事】から今度は訳者繋がりのセレクト!と見せかけて実は違う。同著者の新刊がそろそろ発売するから、ここは旧作を読もう!という得意のひねくれムーヴ【過去記事】である。

そして今回のこの『断絶』、この手の感想を抱くのは久しぶりだ。

どういう感想かというと、メッチャ良い!となんとからんのか!が同居しているタイプの感想である。

中国系米国人である作者に敬意を表して(?)アメリカンジョーク風に書いてみると、「良い報せと悪い報せがあるが、どちらを先に聞きたい?」というやつだ。

―OK!この小説は、都市小説やグローバル化小説としても読めるし、仕事や働き方、母娘関係、移民やマイノリティのテーマなど、様々な主題が盛り込まれた傑作なんだ!

―でも、これらのテーマには統一感がなくて、物語が破綻しかかっているんだ。

とまぁこんな具合だ。

父と私がアメリカの市民権試験に合格した午後、父は通りの向かいにあるケンタッキーに私を連れていき、フライドチキンのデラックスセットにサイドメニューを全種類注文した。私はそこまでお腹が空いているわけではなかったが、父が自分で自分にご馳走するなんて一度もんかったから、一緒に何切れか食べて、お祭り気分で食欲旺盛なふりをした。(p.221)

続きを読む

053『死体展覧会』ハサン・ブラーシム/藤井光訳

まだまだ世界は暴力にあふれ 平和ではありません

彼はわかりやすい言葉で、最も優れた物語とは、最も恐ろしい物語でも、最も悲しい物語でもないのだと説明した。重要なのは真に迫っているかどうか、そして語り口なのだ。必ずしも戦争や殺人の話でなくてもいいのです、と彼は言った。(p.141)

<<感想>>

イラク人作家ハサン・ブラーシムの手による14篇の短篇からなる短篇集である。

イランを舞台にした作品【過去記事】を読んだので、次はイラクかなと思って手に取ったのがこの作品。そう思ったときにちゃんとイラクの作品も収録されているのが、この叢書の懐の深さだ。

読み始めて真っ先に感じたのが、「悪の枢軸」*1同士のイランとイラクでも、その来し方は随分と異なるという点だ。

ひとことで言えば、イランは圧政。イラクは戦争。

イランイスラム革命とイランイラク戦争の後、イランは確かに独裁国家になったが、それでも大きな戦争に巻き込まれることはなかった。ところがイラクはというと、イランイラク戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争と、絶え間ない戦禍が続いてきた。本を読んでいて、「戦争」「爆撃」「クーデター」などという単語が出てきたとき、普通はそれで作中年代が特定できるものだ。しかし、悲しいかな本作ではそれだけの情報では作中年代を特定するには足らない。

必然、イラクを舞台とするこの作品では「暴力」が重要な主題となってくる。

暴力というのは、古くから文学の定番の主題でもある。ただ、これは日本の芥川賞作家の方々*2が書くような、暴力―性―ドラッグーやくざのような主題系と共起するウェットなものとは全く異なる。

本作で表現されるのは、まるで砂漠の砂のように乾き、先鋭化された、ただそこにあるものとしての暴力だ。

*1:某米国大統領の渾身のギャグ。WWIIに向ける米国の歴史観が滲み出ている。

*2:複数形である。

続きを読む

095『傷ついた世界の歩き方――イラン縦断記』フランソワ=アンリ・デゼラブル/森晶羽訳

誰のものでもない 髪をなびかせ道の先には蜃気楼

イランを縦断してまだ一か月しか経っていないのに、僕は以前の自分ではなかった。旅の意義は、よその土地の景色に驚嘆するというよりも、新たな視点を持ち帰ることだろう。そして旅は時の流れを濃密にする。自宅での時間はあっという間に過ぎていくが、旅先の一日は一週間、一週間は一か月、一か月は一年、一年は一生に相当する。・・・バム、ルート砂漠、ケルマーン、ヤズド・・・。一か月前、単なる地名だったものが、今日では思い出になっていた。(p.151)

<<感想>>

いつもノリと勢いとフィーリングでささっとつけている「お気に入り度」の☆印だが、これを書いている現在、まだ悩んでいる。

なぜなら、この『傷ついた世界の歩き方――イラン縦断記』という作品は、タイトル通りイランを舞台にした、紀行文学だからだ。

紀行文学というと、かつて当ブログでもイチオシしたカプシチンスキの『黒檀』【過去記事】がまず思い浮かぶ。『黒檀』は、ジャーナリトである著者の手による、アフリカ各国を舞台にした傑作紀行文学作品である。実は、本作の作中にも、『黒檀』こそ登場しないものの、カプシチンスキの各著作からの引用がたびたび登場するのだ。

もう一つ、イラン関連で当ブログで取り上げたことがあるのが、同じエクス・リブリスの『スモモの木の啓示』【過去記事】である。英語圏の国に亡命したイラン人の手による、体制批判の書である。こちらについては、物語が面白い反面、政治色が強すぎて私にはあまり向かなかった。

つまり、本作は『スモモの木の啓示』(☆☆☆)より遥かに好みだった一方で、カプシチンスキと同格(☆☆☆☆)では褒めすぎなのではないかという迷いが生じているのだ。

続きを読む

『失われたスクラップブック』エヴァン・ダーラ/木原善彦訳

流星のような赤いTailの群れが呼び掛けるよ

・・・大規模な並列処理システムに関する、繰り返しの多い奇妙な本を編集していた私は、三つの長い段落の編集を終えた カリフォルニア大学サンタクルーズ校の教授を務めている著者は、レーモン・クノーを少し読みすぎたようだった(p.265)

<<感想>>

ああ、とうとうルリユール叢書に手をだしてしまった。だから危ないって言ったのに【過去記事】!

実験小説、ポストモダン風、ピンチョンの再来、ポスト・ギャディス、木原訳。この美味しい惹句の羅列に見事にカタに嵌められてしまった。

本作で一番キャッチーな工夫は、文章にピリオドがでてこないことだ。邦訳だと句点がでてこない。ただ、実際に読み進めてみると、この点はさほど驚くべき問題ではないことがわかる。原文ではコロンで、邦訳では1文字スペースで句点が代用されており、延々に長い一続きの文章で作品が構成されているというわけではないからだ。

従って、この工夫は、一種のタイポグラフィー、つまりは読者に対する視覚的な効果を与えているに過ぎない。

さてでは、なぜその視覚的効果が必要なのか?敢えてピリオド/句点を省略したことにより、何を表現したかったのか?その答えの方こそが本作のより大きな特徴となっている。

続きを読む