御神幸祭絵図 能代市御指南町 日吉神社 能代市文化財 其二

能代市御指南町 日吉神社 「日吉神社 御神幸祭絵図」

能代市御指南町 日吉神社 長床 御神幸祭絵図420210529

上図、中図を時系列に。

(上図)、天文二年(一五三三)の中の申日の時期、御神体能代浜の海中に夜々光彩を放つ、孝子、専助の網にかかり引き揚げられ出現す。町、人等協議の図。

(中図)、大町の時の司、清水治郎兵衛政吉の庭内に小祀を設けお迎いの図と、浜通り突端の愛宕山頂に本殿工事の図。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図120210531


今からおよそ480年も昔のお話です。
天文の初め、能代が野代、農志路等々いわれていた頃は人家はまだ三十数軒ほどしかなく、みんな浜辺に住み、漁師として暮らしていました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図220210531


当時まだ鎮守の神様がいらっしゃらなくて、人々は神様のご出現を待ち望んでいたところ、夜の海を照らす光が現れました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図320210531


盤若山の麓に”專助”という若い漁師が住んでいました。
專助は病気で寝ているお母さんに、美味しいお魚を食べさせて、元気になってもらいたいと考えていました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図620210531


海を照らす不思議な灯りが現れてから、誰も海に出る者はいません。
專助も又、漁をするのを躊躇っていました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図420210531


けれども、ある日思い切って夜の海に漁に出掛けました。
お母さんに美味しいお魚を食べさせてあげたい一心です。
そして、網を引き上げると・・・・ご霊光が一緒に浮かびあがって来たのです!
專助は慌てて逃げ帰りました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図520210531


專助がご霊光を引き上げたその夜、能代支配者の清水次郎兵衛政吉は霊夢を見て、翌朝專助を伴い、海岸へ行き網の中から怪しい光を放つ童木を拾い上げました。
海からご出現された神様なので、政吉は自分の屋敷の庭に小祠を建て龍神様としてお祀りしました。
これが、天文二年(1533年)旧暦四月”中の申”の日です。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図820210531


ところが、当時の檜山城主秋田東太郎尋季公と清水次郎兵政吉の二人に、夢で神様からのお告げがありました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図720210531


夢のお告げは、
「私は龍神でなく、山王大権現なり。能代の鎮守の神様としてお祀りするように」というものでした。
そこで檜山城主尋季の寄進により川中島の八幡社のそばに三宇を建立して奉祀しました。

能代市御指南町 日吉神社御神幸祭絵図920210531

建立された地が「愛宕山」「川中島」と資料に寄り違いはあります。

小杉山氏の資料によると

「川中島(中島?)」→「落合」→(しばしば遷座をかさね)→永禄年中に「日和山(現在の御旅所)」→寛永年中に「長根町東端」→

寛文4年(1664)能代奉行山方杢之助の寄進奉仕により現在地に社殿造営(昭和24年類焼)

絵図下図の御神幸祭が旧暦6月15日と定められたのは、寛文4年の遷座祭を記念した・・・・・そうです。

ブログ「秋田県能代鎮守 日吉神社」より

資料「ふるさとの社寺 日吉神社 能代市 小杉山吉高」より

【宮司様、間違い等ございましたら、ご指摘くださいませ。】



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