2024年は一向に進まない延伸線建設を進める決意で臨みました、健康寿命には限りがあり、完成が期待できなくなってしまうからです。 とは言え最初に大きな目標をブチ上げると、できなかった際無様ですし、視力問題の不安もありました。 週3回更新を工作記で埋めるのは無理で、厳寒期でもありシリーズ物から始め、工作記は1月中旬からでした。
【碓氷峠百年物語より転載】・・・1月8日
5回シリーズでお届けした『碓氷峠百年物語』は、鉄道敷設計画時からアプト式採用敷設、電化、アプト式廃止複線化、長野新幹線開業で全線廃止までの百年間を、鉄道P誌掲載記事をコアに各種資料を読み解きまとめた物で、中々楽しい作業でした。
【傾斜地畑周辺の風景製作より転載】・・・2月7日
今年最初の工作は傾斜地畑の製作と設置でした。 水平にできて水を引ければ水田にして米を作った当時の日本農業に対し、レイアウト畑が水平では変と作りましたが、傾斜地の畑と解り難い仕上がりになりました。 風景に溶け込んで自然に見えるならそれでOKです。
【特急ロマンスカーの系譜より転載】・・・2月9日
これも3回シリーズでした、記事作成の為に関連資料を漁ってると、何だそうだったのかと長年の疑問の答えを見つけたり、新たな事実を知ったりと、面白い作業でした。
【民家Aの設置より転載】・・・2月21日
4-5年前に単品完成しストックしてた民家Aを固定設置しました。 県道に面して建ってるので、県道側全面に泥ハネ除け柵が設置してあります。 県道は未固定様子見です。
【県道の設置より転載】・・・2月28日
民家A固定設置完了で県道洞門から県道奥の位置確定したので、県道を固定設置しました。 洞門出口から約45度左カーブ、下り傾斜が次第に弱まり民家A前で水平になる、何処も基準点がない難しい敷設でした。 工作記は短期型と解ってたので、長期継続PV狙いで書いたシリーズ物は当てが外れ、上半期では予期せぬ単発物が月間TOP100入りしてました。
【特急『みずほ』の話より転載】・・・3月1日
九州行ブルトレ特急の中で継子扱いされた地味な存在『みずほ』について、歴史的事実と共に思う処を書き綴った随想が、何故か8ヶ月以上経過した今も日2件の訪問があります。
【1963年頻発した鉄道事故より転載】・・・3月4日
同じく国鉄事故史に残る鶴見事故について、八高線事故を契機にした鋼体化改造や、前年の三河島事故を契機に導入開始されたATSと、人に頼るシステム脆弱性が尼崎事故に繋がった等、筆者持論を好き勝手に展開したこの記事も、今も日2件強の訪問があります。
【県道周辺の製作より転載】・・・3月6日
設置した県道と既設ユニットには隙間ができており、ドライブイン入口は県道が+0~2mmなので紙粘土で埋めて地表面処理し、県道が段差で高くなってる洞門側はカーブ生垣を作り設置しました。 生垣ドライブイン側に樹木3本と下草を配し、目隠しにしました。
【県道駐車帯を作るより転載】・・・4月3日
県道手前から基台端は駐車帯にする案があっただけで設計しておらず、採寸した現物合わせで駐車帯石垣途中で基台端に達する形で、洞門出口石垣と連続させ、一連の風景として破綻なくまとめる事ができました。 今年実施した風景製作の最難関でしたが、寸法間違いで気になってたドライブイン擁壁の広さもマスクされ、ありそうな風景に仕上がりました。
【同上】
駐車帯右側県道手前は洞門下同様な河原へ続く荒地の設計でしたが、それでは勿体ない気がして少し時間を取り検討する事にしました。 この時期は5月に仙台で開催される俳句大会出席が決まっており、その前に計画した北海道ドライブ旅行準備で忙しい頃でした。
【京王初代5000系の話】・・・4月5日
現在も地方私鉄各社で活躍する名車、京王初代5000系登場時の背景や、乗り鉄経験を綴った雑文が月間アクセスTOP100にランクインしてます。 読み続けられる鍵は何なのか、共通項もなくサッパリ解りません。 決めるのは著者ではなく読者ですからね。
【にゅうせんしましたより転載】・・・4月12日
もう一つの趣味俳句で嬉しい事がありました、2023年NHK全国俳句大会初の入選です。 所属結社では満3年で同人に昇格し、俳句作家として認められた形になってましたが、公的な勲章は何もなかったからです。 今年も応募し昨年同等かそれ以上を狙ってます。 結果通知は1月末、公開可能は3月末です、大口叩いて落選では大恥晒しますが。
【よみうりランドモノレールの話】・・・4月13日
またまた予想もしなかった記事が月間アクセスTOP100ランクインしてました。 遊園地内で運転されてるモノレールの話題です、読者興味の在処は予測不能です。
【貯水槽を作るより転載】・・・4月15日
県道手前に湧水貯水槽を水源に米作する田越し灌漑水田を製作する事に決め、貯水槽を作りました。 決め手は絶版で入手不能になった稲刈り後の水田表面素材『秋の畑』が、従来線製作時の半端な余材で足りる見通しが立ったからでした。
【365連休爺がGWに東京へ行った話より転載】・・・4月29日
4月27日東京へ出かけました、風太郎さんの写真展『旅のたまゆら』観覧が目的で、会期中この日にだけご本人のトークイベントがあるのでこの日を選びました。 渋滞で高速バスは当てにならない、大人の休日倶楽部入会したからJR3割引きと思ったら連休中は割引対象外、年寄りは平日旅せよと言う事か、JRも商売上手いね。
展示作品はすでに購入した同名写真集に収録された物がほとんど、でも大版パネルで見ると迫力が違う。 それにトークイベントがとても良かった、時代に10年の差はあるけれど、『昭和という時代』を共に生き抜いた同志の想いを改めて感じた写真展訪問でした。
【水田を作るより転載】・・・5月6日
猫の額ほどの土地でも耕し生活の糧を得る、戦後復興を果たし経済大国へひた走ってたとは言え、まだ貧しさが残ってた当時の日本を表すストラクチャになりました。 完成後農水省DBで調査すると、この水田の全国平均収量は1.2人分、少し小さ過ぎた様です。
【北海道遠征記より転載】・・・5月17日
北海道遠征・俳句大会の旅は5月10日から19日の9泊10日でした。 往路旭川へ飛んでレンタカーで1週間、その後札幌在住友人Sさんに会い、JRで仙台入りする計画を組みました。 5月11日訪問のタウシュベツ橋梁は、まだ水没せず姿を見せてくれました。
【北海道遠征記より転載】・・・5月19日
旅行中の天気に恵まれる方ですが翌12日は小雨降ったり止んだり、13日は終日本降りの雨で計画変更を余儀なくされました。 厚岸湿原の花咲線は、雨に濡れた滑り易い崖を攀じ登り撮影しました。 丁度列車が来た時一時的に霧が薄くなり幻想的になりました。
【北海道遠征記より転載】・・・5月21日
13日夕方撮影予定だった落石のポイントは、風雨が強く近づく事もできない状況でした。 地の果てまで来て諦められずに、翌日の予定を変更して、下り始発列車を撮影しました。 鉄道写真撮る人の多くが訪れるメッカの様な場所で、その価値ありと思いました。
【北海道遠征記より転載】・・・5月28日
旅の後半網走からは湧網線と名寄本線の廃線跡巡りの旅になりました。 名寄の町外れ宗谷本線を見下ろす旧線跡に保存されてたキマロキ編成は見応えがありました。
【北海道遠征記より転載】・・・5月30日
5月17日にレンタカー返却して旭川泊、18日は美唄でSさんと待ち合わせ、美唄鉄道と夕張鉄道沿線を訪ねました。 4110とは55年振りの再開になりました。 その日南千歳からJRで函館北斗移動宿泊、19日の北海道新幹線で仙台入りし俳句大会に参加しました。
【北海道遠征記より転載】・・・5月30日
俳句大会終了後、東京へ移動、東京在住時代の昔の仲間との交歓会に出席しました。 筆者が社会人になった頃、高校生~小学生だった6-12歳若い仲間ですが、皆人生の年輪を重ね、爺婆になっており実に楽しい時間でした。 年齢と視力を考えると、フライトとレンタカーを組み合わせた長期旅行はこれが最後になるのではと思います。〔続く〕
ではまた。