Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

2024年を振り返る 1月-5月

2024年は一向に進まない延伸線建設を進める決意で臨みました、健康寿命には限りがあり、完成が期待できなくなってしまうからです。 とは言え最初に大きな目標をブチ上げると、できなかった際無様ですし、視力問題の不安もありました。 週3回更新を工作記で埋めるのは無理で、厳寒期でもありシリーズ物から始め、工作記は1月中旬からでした。

【碓氷峠百年物語より転載】・・・1月8日
5回シリーズでお届けした『碓氷峠百年物語』は、鉄道敷設計画時からアプト式採用敷設、電化、アプト式廃止複線化、長野新幹線開業で全線廃止までの百年間を、鉄道P誌掲載記事をコアに各種資料を読み解きまとめた物で、中々楽しい作業でした。

【傾斜地畑周辺の風景製作より転載】・・・2月7日
今年最初の工作は傾斜地畑の製作と設置でした。 水平にできて水を引ければ水田にして米を作った当時の日本農業に対し、レイアウト畑が水平では変と作りましたが、傾斜地の畑と解り難い仕上がりになりました。 風景に溶け込んで自然に見えるならそれでOKです。

【特急ロマンスカーの系譜より転載】・・・2月9日
これも3回シリーズでした、記事作成の為に関連資料を漁ってると、何だそうだったのかと長年の疑問の答えを見つけたり、新たな事実を知ったりと、面白い作業でした。

【民家Aの設置より転載】・・・2月21日
4-5年前に単品完成しストックしてた民家Aを固定設置しました。 県道に面して建ってるので、県道側全面に泥ハネ除け柵が設置してあります。 県道は未固定様子見です。

【県道の設置より転載】・・・2月28日
民家A固定設置完了で県道洞門から県道奥の位置確定したので、県道を固定設置しました。  洞門出口から約45度左カーブ、下り傾斜が次第に弱まり民家A前で水平になる、何処も基準点がない難しい敷設でした。 工作記は短期型と解ってたので、長期継続PV狙いで書いたシリーズ物は当てが外れ、上半期では予期せぬ単発物が月間TOP100入りしてました。

【特急『みずほ』の話より転載】・・・3月1日

九州行ブルトレ特急の中で継子扱いされた地味な存在『みずほ』について、歴史的事実と共に思う処を書き綴った随想が、何故か8ヶ月以上経過した今も日2件の訪問があります。

【1963年頻発した鉄道事故より転載】・・・3月4日

同じく国鉄事故史に残る鶴見事故について、八高線事故を契機にした鋼体化改造や、前年の三河島事故を契機に導入開始されたATSと、人に頼るシステム脆弱性が尼崎事故に繋がった等、筆者持論を好き勝手に展開したこの記事も、今も日2件強の訪問があります。

【県道周辺の製作より転載】・・・3月6日
設置した県道と既設ユニットには隙間ができており、ドライブイン入口は県道が+0~2mmなので紙粘土で埋めて地表面処理し、県道が段差で高くなってる洞門側はカーブ生垣を作り設置しました。 生垣ドライブイン側に樹木3本と下草を配し、目隠しにしました。

【県道駐車帯を作るより転載】・・・4月3日
県道手前から基台端は駐車帯にする案があっただけで設計しておらず、採寸した現物合わせで駐車帯石垣途中で基台端に達する形で、洞門出口石垣と連続させ、一連の風景として破綻なくまとめる事ができました。 今年実施した風景製作の最難関でしたが、寸法間違いで気になってたドライブイン擁壁の広さもマスクされ、ありそうな風景に仕上がりました。

【同上】
駐車帯右側県道手前は洞門下同様な河原へ続く荒地の設計でしたが、それでは勿体ない気がして少し時間を取り検討する事にしました。 この時期は5月に仙台で開催される俳句大会出席が決まっており、その前に計画した北海道ドライブ旅行準備で忙しい頃でした。

【京王初代5000系の話】・・・4月5日

現在も地方私鉄各社で活躍する名車、京王初代5000系登場時の背景や、乗り鉄経験を綴った雑文が月間アクセスTOP100にランクインしてます。 読み続けられる鍵は何なのか、共通項もなくサッパリ解りません。 決めるのは著者ではなく読者ですからね。

【にゅうせんしましたより転載】・・・4月12日
もう一つの趣味俳句で嬉しい事がありました、2023年NHK全国俳句大会初の入選です。 所属結社では満3年で同人に昇格し、俳句作家として認められた形になってましたが、公的な勲章は何もなかったからです。 今年も応募し昨年同等かそれ以上を狙ってます。 結果通知は1月末、公開可能は3月末です、大口叩いて落選では大恥晒しますが。

【よみうりランドモノレールの話】・・・4月13日

またまた予想もしなかった記事が月間アクセスTOP100ランクインしてました。 遊園地内で運転されてるモノレールの話題です、読者興味の在処は予測不能です。

【貯水槽を作るより転載】・・・4月15日
県道手前に湧水貯水槽を水源に米作する田越し灌漑水田を製作する事に決め、貯水槽を作りました。 決め手は絶版で入手不能になった稲刈り後の水田表面素材『秋の畑』が、従来線製作時の半端な余材で足りる見通しが立ったからでした。

【365連休爺がGWに東京へ行った話より転載】・・・4月29日
4月27日東京へ出かけました、風太郎さんの写真展『旅のたまゆら』観覧が目的で、会期中この日にだけご本人のトークイベントがあるのでこの日を選びました。 渋滞で高速バスは当てにならない、大人の休日倶楽部入会したからJR3割引きと思ったら連休中は割引対象外、年寄りは平日旅せよと言う事か、JRも商売上手いね。


展示作品はすでに購入した同名写真集に収録された物がほとんど、でも大版パネルで見ると迫力が違う。 それにトークイベントがとても良かった、時代に10年の差はあるけれど、『昭和という時代』を共に生き抜いた同志の想いを改めて感じた写真展訪問でした。

【水田を作るより転載】・・・5月6日
猫の額ほどの土地でも耕し生活の糧を得る、戦後復興を果たし経済大国へひた走ってたとは言え、まだ貧しさが残ってた当時の日本を表すストラクチャになりました。 完成後農水省DBで調査すると、この水田の全国平均収量は1.2人分、少し小さ過ぎた様です。

【北海道遠征記より転載】・・・5月17日
北海道遠征・俳句大会の旅は5月10日から19日の9泊10日でした。 往路旭川へ飛んでレンタカーで1週間、その後札幌在住友人Sさんに会い、JRで仙台入りする計画を組みました。 5月11日訪問のタウシュベツ橋梁は、まだ水没せず姿を見せてくれました。

【北海道遠征記より転載】・・・5月19日
旅行中の天気に恵まれる方ですが翌12日は小雨降ったり止んだり、13日は終日本降りの雨で計画変更を余儀なくされました。 厚岸湿原の花咲線は、雨に濡れた滑り易い崖を攀じ登り撮影しました。 丁度列車が来た時一時的に霧が薄くなり幻想的になりました。

【北海道遠征記より転載】・・・5月21日
13日夕方撮影予定だった落石のポイントは、風雨が強く近づく事もできない状況でした。 地の果てまで来て諦められずに、翌日の予定を変更して、下り始発列車を撮影しました。 鉄道写真撮る人の多くが訪れるメッカの様な場所で、その価値ありと思いました。

【北海道遠征記より転載】・・・5月28日
旅の後半網走からは湧網線と名寄本線の廃線跡巡りの旅になりました。 名寄の町外れ宗谷本線を見下ろす旧線跡に保存されてたキマロキ編成は見応えがありました。

【北海道遠征記より転載】・・・5月30日
5月17日にレンタカー返却して旭川泊、18日は美唄でSさんと待ち合わせ、美唄鉄道と夕張鉄道沿線を訪ねました。 4110とは55年振りの再開になりました。 その日南千歳からJRで函館北斗移動宿泊、19日の北海道新幹線で仙台入りし俳句大会に参加しました。

【北海道遠征記より転載】・・・5月30日
俳句大会終了後、東京へ移動、東京在住時代の昔の仲間との交歓会に出席しました。 筆者が社会人になった頃、高校生~小学生だった6-12歳若い仲間ですが、皆人生の年輪を重ね、爺婆になっており実に楽しい時間でした。 年齢と視力を考えると、フライトとレンタカーを組み合わせた長期旅行はこれが最後になるのではと思います。〔続く〕


ではまた。

ブログ開設9周年

拙ブログは本日、開設9周年を迎えました。 これは一重に読者の皆様のご支持とご支援の賜物であり、改めてご愛読に深く感謝申し上げます。

今年完成した延伸線の夜景を使いました。 9年目の2024年は原則中2日更新から、月水金の週3回更新に更新頻度をアップした1年でした、結果を総括します。

4年目までは隔日更新でした。 その頃視力低下を実感しレイアウト製作できなくなったら生き甲斐失うの危機感から、熱中できる第二の趣味俳句を始めました。 その時間捻出の為に中2日更新移行し、それ以降IN/OUTは2/3に減りましたが、PVは変化しませんでした。

【12/25 23;00 拙ブログアクセスカウンタ】
PV週間2万前後でその後も推移しましたが、IN/OUTの長期低落傾向が気になり始め、俳句の余裕もできたので、今年週3回定期更新を試行し、更新数を増やして挽回を図りまそた。 しかし拍子抜けするほどIN/OUT/PV共に目立った変化は現れませんでした。

【『運材列車が往く』より】
5年目までレイアウト製作サブカテ3部門1位が長く続きましたが、ここ数年は配分率による『見かけ1位』で、それも追い付かず最近はIN 2位OUT 3位が定位置、『読まれてナンボ、PV1位ならヨシ』と考えてます。 間もなく節目の1,500更新、250万アクセスです。

重視してる注目記事ランキングも7年目から異変が起きてます。 『鉄道レイアウト製作』及び『鉄道』1位率が急減しました。 異変の確信は昨年、更新3日でアクセス10万件越えのお化け記事がありました、過去鉄道1位記事の100倍でしたが鉄道2位止まりでした。


注目記事は相対的で、メーカーポスター1枚の新製品情報が1位になるので何とも言えませんが、記事品質が落ちてるとは考えてません。 多分2022年にブログ村が記事露出度向上機能を付加して注目記事ランキング査定に組み込み、拙ブログが未設定だからだと思います。 今更死んだ子の歳を数えても無意味なので、事務局へ問い合わせも調査もしてません。

ムラゴンの人気記事ランキング機能は進化しており、TOP10が50へ100へと、7日間の他に14日/30日も選べます。 月間アクセスでコンスタントに読まれてる記事が解り、直近のTOP5は過去記事、5記事の推定累計アクセス計は22.2万で全累計の1割近くに達します。 そこでTOP100を更新年次別に表にすると面白い事が解りました。(筆者は分析魔)

◆解った事-1:工作記は読み捨て
第5位『わらぶき農家の製作』を除きTOP100に工作記は1件もありません。 工作記は更新1週間でピークを越え、2ヶ月もすれば訪問者がほとんどない読み捨て週刊誌の様な物です。 つまり工作記は、INポイントランキング上位維持には非常に有効ですが、長期間PVを稼ぎ続けるブログ資産になってません。 拙ブログTOP100のない2022年がその好例です。


2022年は、給水塔と採石場ホッパーのフルスクラッチ大物ストラクチャ2件と、倉元駐泊所ユニット化へ向けた木造機関庫改造など、延伸線建設を精力的に進めtた年でした。 その結果工作記比率が高く、INポイントは週間400前後で1位でしたが、その他のラスベガスネタも低人気でこの結果になりました。 どちらを重視するかは管理人の考え方次第です。

【更新1年以上で毎日3-4アクセスの記事】


◆解った事-2:ブログ資産代謝は順調
前回分析の際は、2017年/2018年の電気関係記事が圧倒的に多く、拙ブログアクセスの2/3が過去記事の結論でした。 今回ピークが2017年/2018年から昨年と今年9月までに移動しており過去記事比率は10%低下、2023年/2024年前半記事がPV稼ぎの役を果たしてます。


ロングセラー記事は有難いですが、何時までもそれに頼ってては先細り、昨年のお化け記事は出来過ぎですが、多くの方に長く読み続けていただける記事作成する事が、『良く読まれてるブログ』であり続ける鍵になると考えてます。

【同上】
さてこの先ですが、どこかでチェンジ・オブ・ペースを考えながらも、『継続は苦痛か?』と問われれば、負担は重いが苦痛ではない。 後2年で300万アクセスまではシンドイけど、1年10周年までは健康ならば何とかなりそうだから続けてみるかと、漠然と考えてます。


今後もご愛読をよろしくお願い致します。  露太本線


ではまた。

九州初の電車特急は・・・

東海道新幹線開業準備で忙殺されてた1963年の国鉄内部では、新幹線開業後の車両運用について意見が割れてました。 余剰になる151系の交直両用改造案と、特急網整備の為新製案の間で結論が出ませんでした。

【ウィキペディアより】
最終的に新製になった訳ですが、開発着手が遅れ60Hz交直両用481系は1964年12月25日に北陸本線で営業運転開始、50Hz交直両用483系は1965年10月1日から東北本線で営業運転開始になり、更に1968年50Hz/60Hz交直両用485系で形式が統一されました。

1964年10月1日新幹線開業日に山陽本線の全線電化運転を開始してます。 偶然の一致ではなく、国鉄が首都圏-関西圏の時間短縮と同時に北九州圏との時間短縮を実現すべく、同期して工事を進めた結果です。 東海道本線の職場を失った151系は西へ下り新幹線接続列車になり、東海道看板特急だった『つばめ』『はと』は新大阪-博多間運転になりました。

至極妥当な運用変更ですが、151系直流電車を交流電化の九州内をどう運転するかが問題になりました。 間に合ってれば博多行2往復に481系を充てる処ですがない袖は振れません。 窮余の策として九州内を電機牽引、電源車を付け151系トレーラー運転になりました。

10月1日の運転開始を控え川崎車輛で新製した電源車サヤ420の試運転が行われてます。 下関-門司間はEF30牽引、門司-博多間はED73が牽引しました。

山陽電車特急は博多行『つばめ』『はと』の他、下関行『しおじ』も増発され下関駅で出発式が行われてます。 新線開業や新列車運転開始時のお決まりイベントです。

九州初電車特急『はと』の出発式です、本来なら博多駅で盛大に行われる処ですが、電機に牽かれ電源車付きの自走できない電車では様になりません、どうしたかと見ると・・・。

国鉄も考えましたね、始発駅博多で出発式を行わず、山陽本線最後の電化区間西端の小郡駅で出発式を行ってます。 苦しい選択だったのは間違いありません。

関門トンネル出口、左が電源車サヤ420、その先はEF30です。 この鉄道事業者として恥ずかしい状態は、481系に置き換えられる1965年10月まで1年続きました。 リリーフ役3両のサヤ420は不要になり、モハ420へ改造されました。 1年間だけ見られた電機が長編成電車を牽引した珍しい特急列車の話でした。


ではまた。