27 正宗献上と木庵招聘(しょうへい)  (能代の歴史ばなしより)

27 正宗献上と木庵招聘(しょうへい)

 能代の檜山城主多賀谷氏の御一門「多賀谷将監(しょうげん)家来由緒書」に興味をひかれることが記されています。多賀谷家基(いえもと)の条(くだり)に次のように記しているのです。「延宝6年(1678)佐竹義処(よしずみ)公江 正宗刀泰 献上、同八年黄金頂戴、御取次ハ梅津半右衛門、同八年四月十日黄檗(おおぼく)紫雲木庵大和尚先祖経明経忠法事執行勒(ろく)ス尚自筆書給所持」とあります。つまり秋田藩3世義処公へ多賀谷家基が名刀正宗を献上したところそのお礼に家老梅津半右衛門忠宴(ただよし)を遣わして黄金を下賜し、さらに多賀谷氏の先祖の法事を藩主の負担で多宝院で執り行うために京都から木庵禅師を招いて導師を勤めさせ、和尚自筆の書をくださったというのです。

 昔も今も正宗は名刀中の名刀です。正宗を家蔵していたということは、流石(さすが)に多賀谷氏の名門ぶりを物語るものです。

 日本史辞典によりますと、正宗は鎌倉末期の刀工だが、生没年は不詳といいます。号は五郎入道、名は藤三郎、相模の人。父の死後、新藤五国光について鍛錬の秘法を学んだといわれ、のち鎌倉幕府の御用刀工として生涯を終ったということです。身幅(みはば)の広い姿、硬軟の地金の組み合わせ、ノタレを基調とした大模様の刃文(はもん)などが特徴で、室町時代から江戸時代にかけて名刀として尊重されました。国宝、重要文化財指定の遺品も多いようです。現存する有銘作としては、不動正宗、大黒正宗、京極正宗などがあるといいます。高弟に郷義弘、兼光、長茂らの名工がいるといいます。

 ところで義処公に献上した正宗はいまも健在だろうか気にかかります。刀剣に詳しい武田安一氏の話では、この正宗の消息は知らないが、佐竹秋広といわれる名刀が重要文化財に指定されているが、これが多賀谷氏献上のものかどうかは不明のようです。

 木庵禅師は「木庵性瑫(しょうとう)」という中国僧で明暦元年(1655)、師隠元隆琦(りゅうき)と一緒に来日し、隠元の黄檗宗(おうぼくしゅう)万福寺(宇治市)開創に協力し、同寺第2世を襲(つ)ぎました。4代将軍家綱にお目通りし、江戸に瑞聖(ずいしょう)寺など多くの黄檗寺院を開いた高僧です。黄聚の高僧たちは書道にすぐれ、とくに木庵の書跡は隠元の書とともに数奇者(すきしゃ)の至宝とされています。なお木庵は貞享(じょうきょう)元年(1684)73歳で病没しました。

 由緒書に「和尚自筆書を給い所持」と書いてあるその書が、多賀谷家に現在も健在かどうかについても調査する手がかりはありません。

 ところが、檜山の河田駒雄翁は近年、多宝院に木庵の落款のある書軸が秘蔵されていることを見付けたのです。はたして木庵禅師は多賀谷氏と多宝院の両方に各1枚を書いてくれたものなのか、あるいは多賀谷氏の子孫が後日多宝院に自家の所蔵品を奉納したものなのか、いまはナゾのままです。

「初祖達磨大師」黄檗木庵書軸(多宝院所蔵)  (20200830)



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