23年ぶりの京都 龍安寺 2009年3月20日
金閣寺をサラッと拝観して、次に向かったのは龍安寺。きぬかけの道をブラブラと歩いて向かうつもりだったのですが、「疲れる!」のひとことで、バス停へ。ここで20分ほど休憩がてらバス待ち。(歩くと15分ほどの距離・・・・・)
たぶん今だと超混みのバスも当時は座ることができました。
受付で拝観料を支払い、山門を入って境内へ。
龍安寺の総門はバス通りを渡って南へ少し歩いたところにあります。
バス通り南側の住宅街の小路(参道)にある龍安寺 総門
鏡容池に浮かぶ弁天島の鳥居
庫裡前の参道。正面奥の建物が庫裡、そこに向かう階段の両脇には龍安寺垣という、この寺独自の垣根があるのですが、無計画、出たとこ勝負の旅・・・・・見逃しています。
襖絵「臥龍梅」 皐月鶴翁 画
襖絵「金剛山」 皐月鶴翁 画
【飲酒 陶淵明】 寺西乾山の筆
飲酒 結盧在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 采菊東籬下
悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相与還 此中有真意 欲弁已忘言
石庭の中央正面
土塀と一本の枝垂桜。この土塀は油土塀と呼ばれ、菜種油を混ぜた土で作られているそうです。白砂の照り返しを防ぐ効果があるとか。
白砂の中に点在する15個の石・・・・・どこから見ても、15個をいっしょに見ることはできないとか・・・・・
私の娘が「ここからだと15個見えるよ~」
彼女のそばに立ち、数えてみると・・・・・15個数えることができました。
今度、龍安寺へ行かれたら、15個見える場所を探してみてください。
建物内には、目の不自由な方のためのミニ石庭もありました。
「龍安寺 茶席 蔵六庵の蹲踞の実物の模型です。
吾れ唯足ることを知る と読みます。
この「つくばい」は 水戸光圀公の寄進によるものと伝えられています。
佛遺教経(お釈迦様遺言のお経)の中に
知足の者は賤しと雖えども富めり
不知足の者は富めりと雖も賤し
とあるところから とったものです。
これは禅の神髄であり茶道の精神でもあります。
これが真の平和の精神であります。」
方丈をあとにして、境内を順路に沿って歩きます。この道の右側が少し高くなっていて、そこに石庭、方丈があります。
画像中央奥に見える建物は「涅槃堂」、昭和45年建立。
パゴタはミャンマー(ビルマ)の仏塔で、このパゴタには「大東亜戦争ビルマ方面戦没者慰霊之碑」と書かれています。
パゴタの周りには紅梅が咲き誇っていましたよ。
鏡容池
鏡容池脇の道にある藤棚の下のベンチで一休みして、境内塔頭「西源院」で湯豆腐をいただきます。
次回は「西源院で昼食 湯豆腐」
以下、龍安寺について「京都通百科事典」から
--------------------------------------------------------------------
臨済宗妙心寺派の寺院
山号:大雲山
本尊:釈迦如来
創建:細川勝元
開山:義天玄承(ぎてんげんしょう)(妙心寺第五世)
中興開山:特芳禅傑
世界遺産(古都京都の文化財)の一つ
--------------------------------------------------------------------
庫裡前石段
龍安寺(りょうあんじ)は、衣笠山の山麓に位置し、きぬかけの路沿いに建つ
国の史跡・国の特別名勝である枯山水の石庭がある
龍安寺と龍潭寺と龍興寺(南丹市八木町)とともに妙心寺派の三龍寺とされる
2月中旬は、80本ほどの梅の名所
境内には、約400本の楓があり、特に庫裡の前の石段付近や、鏡容池の周辺はみごとな紅葉の名所
庫裡前入口
【経緯】
平安時代中期
984年(皇紀1644)永観2年
衣笠山山麓に、円融天皇の御願寺となる円融寺が創建される
円融寺は、徐々に衰退していく
平安時代末期
藤原北家の流れをくむ徳大寺実能が、円融寺の跡地に山荘を建立する
庫裡前石段
室町時代
1450年(皇紀2110)宝徳2年
室町幕府の管領の守護大名 細川勝元が、徳大寺家の山荘を譲り受けて禅寺を創建する
細川勝元は、妙心寺の第五代住持の義天玄承(ぎてんげんしょう)招き開山する
しかし、義天玄承は、自ら二世に退いて、師である日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山(かんじょうかいざん)とした
創建当初の境内は広く、現在の京福電車あたりまであったといわれる
細川勝元は、応仁の乱の東軍総帥でもあり、
龍安寺も応仁の乱により焼失してしまう
方丈額
1488年(皇紀2148)長享2年
細川勝元の息子の細川政元と、第四世住持の特芳禅傑によって再興される
最盛期には、21ヶ寺の塔頭(たっちゅう)があったといわれ、現在は、3ヶ寺が残る
「都名所図会」によると
当時は、池を中心とした池泉回遊式庭園のオシドリの名所であった
1797年(皇紀2457)寛政9年
火災で仏殿などの主要な伽藍を焼失する
そのため、塔頭の1つである西源院の方丈(本堂)を移築して龍安寺の方丈とした
石庭
【伽藍】
<方丈(重要文化財)>
境内の北側
創建時の方丈が火災で失われた後、塔頭 西源院の方丈を移築したもの
1606年(皇紀2266)慶長11年に建築されたもの
石庭
<方丈庭園(国の史跡・国の特別名勝)>
方丈の南側のシンプルな枯山水の石庭
「龍安寺の石庭」と称されるほど著名
三方を低い柿葺油土塀の築地塀で囲まれ、
幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂だけを敷き詰めて、15個の石を5か所(5・2・3・2・3個づつ)に
点在させただけのシンプルな庭
石庭
「虎の子渡しの庭」「五智五仏(ごちごぶつ)」「七五三の石組み」「心字(しんじ)の象形(しょうけい)」などとも称される
15個の石は、庭をどこから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているといわれる
築地塀の北を高く、南を低くして、遠近法の手法で狭い空間を広く見せている
作者、作庭年代、表現意図などは不明である
1975年(皇紀2635)昭和50年
英国エリザベス女王が公式訪問され、絶賛された
吾唯足知の蹲踞
<仏殿>
境内の北側
1981年(皇紀2641)昭和56年の再建
<茶室 蔵六庵>
方丈から東庭を隔てた東北隅に龍安寺垣をめぐらせた茶室
龍安寺十勝の一つ
露地に、「吾唯足知の蹲踞」がある
徳川光圀(とくがわみつくに)の寄進といわれる蹲踞(つくばい)
方丈釣鐘
侘助椿
豊臣秀吉が賞賛したといわれる豊臣秀吉寄進の椿の老樹
<庫裡>
<昭堂>
<梅枝庵>
<玄々庵>
方丈襖
<鏡容池(きょうようち)>
境内の南側、山門を入って左手の広大な池
周囲は、池泉回遊式庭園になっている
徳大寺家によって造園されたもの
円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、その園池といわれる
かつて、おしどりの群れがいたことから「おしどり池」とも称される
伏虎島、辨天島がある
5月下旬~9月中旬には、白や赤、黄色などさまざまな睡蓮が、午前中に咲く名所
仏殿
<西の庭>
境内の西側
通常は非公開
開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある
<桜苑>
鏡容池西にある桜の名所
勅使門
【塔頭】
<西源院>
<大珠院>
<霊光院>
境内の苔
【寺宝】
<太平記12冊(重要文化財)>
徳川光圀が借用したといわれる
1929年(皇紀2589)昭和4年
火災により、全13冊のうちの1冊を焼失する
鏡容池
【その他】
<天皇陵墓>
龍安寺の背後にある陵墓
一条天皇など5人の天皇の陵墓がある
<近代京都文学 京都ゆかりの著書>
「その人の名は言えない」 井上靖
<花の名所>
4月 桜の名所
4月中旬 石楠花
5月上旬~下旬 杜若、藤(ふじ)
6月上旬~9月初旬頃まで 睡蓮
鏡容池
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たぶん今だと超混みのバスも当時は座ることができました。
受付で拝観料を支払い、山門を入って境内へ。
龍安寺の総門はバス通りを渡って南へ少し歩いたところにあります。
バス通り南側の住宅街の小路(参道)にある龍安寺 総門
鏡容池に浮かぶ弁天島の鳥居
庫裡前の参道。正面奥の建物が庫裡、そこに向かう階段の両脇には龍安寺垣という、この寺独自の垣根があるのですが、無計画、出たとこ勝負の旅・・・・・見逃しています。
襖絵「臥龍梅」 皐月鶴翁 画
襖絵「金剛山」 皐月鶴翁 画
【飲酒 陶淵明】 寺西乾山の筆
飲酒 結盧在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 采菊東籬下
悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相与還 此中有真意 欲弁已忘言
石庭の中央正面
土塀と一本の枝垂桜。この土塀は油土塀と呼ばれ、菜種油を混ぜた土で作られているそうです。白砂の照り返しを防ぐ効果があるとか。
白砂の中に点在する15個の石・・・・・どこから見ても、15個をいっしょに見ることはできないとか・・・・・
私の娘が「ここからだと15個見えるよ~」
彼女のそばに立ち、数えてみると・・・・・15個数えることができました。
今度、龍安寺へ行かれたら、15個見える場所を探してみてください。
建物内には、目の不自由な方のためのミニ石庭もありました。
「龍安寺 茶席 蔵六庵の蹲踞の実物の模型です。
吾れ唯足ることを知る と読みます。
この「つくばい」は 水戸光圀公の寄進によるものと伝えられています。
佛遺教経(お釈迦様遺言のお経)の中に
知足の者は賤しと雖えども富めり
不知足の者は富めりと雖も賤し
とあるところから とったものです。
これは禅の神髄であり茶道の精神でもあります。
これが真の平和の精神であります。」
方丈をあとにして、境内を順路に沿って歩きます。この道の右側が少し高くなっていて、そこに石庭、方丈があります。
画像中央奥に見える建物は「涅槃堂」、昭和45年建立。
パゴタはミャンマー(ビルマ)の仏塔で、このパゴタには「大東亜戦争ビルマ方面戦没者慰霊之碑」と書かれています。
パゴタの周りには紅梅が咲き誇っていましたよ。
鏡容池
鏡容池脇の道にある藤棚の下のベンチで一休みして、境内塔頭「西源院」で湯豆腐をいただきます。
次回は「西源院で昼食 湯豆腐」
以下、龍安寺について「京都通百科事典」から
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臨済宗妙心寺派の寺院
山号:大雲山
本尊:釈迦如来
創建:細川勝元
開山:義天玄承(ぎてんげんしょう)(妙心寺第五世)
中興開山:特芳禅傑
世界遺産(古都京都の文化財)の一つ
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庫裡前石段
龍安寺(りょうあんじ)は、衣笠山の山麓に位置し、きぬかけの路沿いに建つ
国の史跡・国の特別名勝である枯山水の石庭がある
龍安寺と龍潭寺と龍興寺(南丹市八木町)とともに妙心寺派の三龍寺とされる
2月中旬は、80本ほどの梅の名所
境内には、約400本の楓があり、特に庫裡の前の石段付近や、鏡容池の周辺はみごとな紅葉の名所
庫裡前入口
【経緯】
平安時代中期
984年(皇紀1644)永観2年
衣笠山山麓に、円融天皇の御願寺となる円融寺が創建される
円融寺は、徐々に衰退していく
平安時代末期
藤原北家の流れをくむ徳大寺実能が、円融寺の跡地に山荘を建立する
庫裡前石段
室町時代
1450年(皇紀2110)宝徳2年
室町幕府の管領の守護大名 細川勝元が、徳大寺家の山荘を譲り受けて禅寺を創建する
細川勝元は、妙心寺の第五代住持の義天玄承(ぎてんげんしょう)招き開山する
しかし、義天玄承は、自ら二世に退いて、師である日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山(かんじょうかいざん)とした
創建当初の境内は広く、現在の京福電車あたりまであったといわれる
細川勝元は、応仁の乱の東軍総帥でもあり、
龍安寺も応仁の乱により焼失してしまう
方丈額
1488年(皇紀2148)長享2年
細川勝元の息子の細川政元と、第四世住持の特芳禅傑によって再興される
最盛期には、21ヶ寺の塔頭(たっちゅう)があったといわれ、現在は、3ヶ寺が残る
「都名所図会」によると
当時は、池を中心とした池泉回遊式庭園のオシドリの名所であった
1797年(皇紀2457)寛政9年
火災で仏殿などの主要な伽藍を焼失する
そのため、塔頭の1つである西源院の方丈(本堂)を移築して龍安寺の方丈とした
石庭
【伽藍】
<方丈(重要文化財)>
境内の北側
創建時の方丈が火災で失われた後、塔頭 西源院の方丈を移築したもの
1606年(皇紀2266)慶長11年に建築されたもの
石庭
<方丈庭園(国の史跡・国の特別名勝)>
方丈の南側のシンプルな枯山水の石庭
「龍安寺の石庭」と称されるほど著名
三方を低い柿葺油土塀の築地塀で囲まれ、
幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂だけを敷き詰めて、15個の石を5か所(5・2・3・2・3個づつ)に
点在させただけのシンプルな庭
石庭
「虎の子渡しの庭」「五智五仏(ごちごぶつ)」「七五三の石組み」「心字(しんじ)の象形(しょうけい)」などとも称される
15個の石は、庭をどこから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているといわれる
築地塀の北を高く、南を低くして、遠近法の手法で狭い空間を広く見せている
作者、作庭年代、表現意図などは不明である
1975年(皇紀2635)昭和50年
英国エリザベス女王が公式訪問され、絶賛された
吾唯足知の蹲踞
<仏殿>
境内の北側
1981年(皇紀2641)昭和56年の再建
<茶室 蔵六庵>
方丈から東庭を隔てた東北隅に龍安寺垣をめぐらせた茶室
龍安寺十勝の一つ
露地に、「吾唯足知の蹲踞」がある
徳川光圀(とくがわみつくに)の寄進といわれる蹲踞(つくばい)
方丈釣鐘
侘助椿
豊臣秀吉が賞賛したといわれる豊臣秀吉寄進の椿の老樹
<庫裡>
<昭堂>
<梅枝庵>
<玄々庵>
方丈襖
<鏡容池(きょうようち)>
境内の南側、山門を入って左手の広大な池
周囲は、池泉回遊式庭園になっている
徳大寺家によって造園されたもの
円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、その園池といわれる
かつて、おしどりの群れがいたことから「おしどり池」とも称される
伏虎島、辨天島がある
5月下旬~9月中旬には、白や赤、黄色などさまざまな睡蓮が、午前中に咲く名所
仏殿
<西の庭>
境内の西側
通常は非公開
開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある
<桜苑>
鏡容池西にある桜の名所
勅使門
【塔頭】
<西源院>
<大珠院>
<霊光院>
境内の苔
【寺宝】
<太平記12冊(重要文化財)>
徳川光圀が借用したといわれる
1929年(皇紀2589)昭和4年
火災により、全13冊のうちの1冊を焼失する
鏡容池
【その他】
<天皇陵墓>
龍安寺の背後にある陵墓
一条天皇など5人の天皇の陵墓がある
<近代京都文学 京都ゆかりの著書>
「その人の名は言えない」 井上靖
<花の名所>
4月 桜の名所
4月中旬 石楠花
5月上旬~下旬 杜若、藤(ふじ)
6月上旬~9月初旬頃まで 睡蓮
鏡容池
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