東京ステーションホテル 夜中の探検11

【開業当初は1日の平均乗降人員は9,500人程度に過ぎなかった。丸の内のオフィス街は未完成で、周辺の交通機関も未整備だったためである。当時勤務していた駅員は、終列車が出るとシーンとして気持ちが悪いくらいだったと語っている。何もない原っぱの中に壮大な駅舎が立ち、夜になると周囲は真っ暗といった状況であった。】

東京駅丸の内駅舎南ウィング部の外観1928年3月12日

【開業時のダイヤは、1912年(明治45年)6月15日に初めて新橋 - 下関間に特別急行列車(特急)の運転が開始されたときのものが基本となっており、特急は1往復のみ、急行も5往復に過ぎなかった。】

東京駅丸の内駅舎南ウィング部の外観1927年3月24日

【正式開業以来、第1プラットホームは山手線用、第2プラットホームは京浜線(現・京浜東北線)用、第3プラットホームは長距離列車の到着用、第4プラットホームは長距離列車の出発用として使用された。】

東京駅丸の内駅舎南ウィング部の外観1927年7月29日

【しかし、京浜線は前述のトラブルにより、12月26日から運転休止となり、入念な整備を終えて翌1915年(大正4年)5月10日からようやく運転を再開した。】

東京駅丸の内駅広場側中央部から南ドーム部(交番)

【丸の内駅舎にはホテルが併設された。当時のホテルは外国人客が中心で、外国人訪日客数の増減により損益の浮き沈みの激しい事業となっていた。】

東京駅丸の内駅舎広場側北ドーム部から中央部

【一方で大型客船が入港するとその乗船客を受け入れるホテルが不足し、訪日客の増加を図る上でホテルの増設は課題となっていた。しかし国鉄がホテルを運営する必要はないという反対の動きもあり、駅舎内のホテル設置はその是非と規模を巡って二転三転することになった。】

昭和2年 帝都丸之内東京駅の偉観

【結局東京駅開業直前にホテル設置が正式決定したためホテルの工事は遅れ、駅開業時点では食堂関連設備のみが完成していた。】

東京駅丸の内駅舎南ウィング部の外観1922年頃

【鉄道院は当初ホテルを直営にしたい意向を持っていたが、鉄道院総裁が替わるうちにホテル反対論もでてきたために、築地精養軒に委託されることになった。】

東京駅丸の内駅舎広場側全体の外観絵葉書(着色有)1914年頃

【これは「宿泊は帝国、料理は精養軒」と当時の業界で言われており、ホテルだけで経営していくのは難しいだろうとの予測から、食堂の営業利益で補填を行わせることを考えたものだとされる。】

上空から見た震災前整備中の東京駅周辺1920年撮影

【東京駅の開業式典においては完成していた食堂関連設備を利用して来客への祝宴料理の提供を行い、また12月20日の開業から1階の食堂は営業を開始した。宿泊部門は1915年(大正4年)11月2日に東京ステーションホテルとして営業を開始している。】

創建当時 東京駅


Wikipedia東京駅の歴史


泊まるだけでは勿体ない!東京ステーションホテル 夜中の探検・・・・・

まだまだ続きます。



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