ニュートン、最後の戦い

前日のつづき。

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

 

捕まったチャロナーの仲間ピアスの自白で再度しっぽを掴んだニュートン、だが証拠が足りない、ピアスを泳がせるが、それに気付いたチャロナーはピアスを売り、ピアス逮捕、再度ニュートンが釈放。

自らを弁護するニュートン

チャロナーが自作の筋書き[ジャコバイトのドーバー城襲撃阻止]を売り込もうとした同じ日に、ニュートンは、有罪となった別の硬貨偽造犯を処刑するかどうかについて控訴院で助言を行った。二人の男は廊下で偶然すれ違った。ニュートンはチャロナーに気づき、控訴院裁判官に確認を取った。
[こうしてチャロナーを逮捕したものの、重要証人のホロウェイはチャロナーの脅しと金によってスコットランドへ逃亡、証拠不十分で訴追棄却。七ヶ月の収監後釈放されたチャロナーは、造幣局の不正を暴こうとして、逆に造幣局に罪を着せられて牢獄に入れられ酷い目にあったと議会に訴えた]
(略)
「造幣局のある者」という慎重な言い回しが、本当は誰を指しているのかは明らかだった。私的な報復のために国家権力を行使して一人の男を殺す。その手段と動機を持ち合わせているのは、アイザック・ニュートンだけだ。
(略)
今度は役割が入れ替わり、アイサック・ニュートンが被告席に立ち、無実の男に罪を着せたという容疑に対して、自らを弁護することになった。(略)最終的に、調査委員たちはチャロナーの主張を退ける報告書を作成したが、ただあっさりと却下したために、完全な免責を望むニュートンは気持ちが収まらなかった。
(略)
このときから造幣局監事は、自分を攻撃しようとした男を、考えられる限りのあらゆる手を尽くしてひたすら容赦なく追い詰めていくことになる。

追い詰められるチャロナー

大蔵省管轄のモルトくじ偽造でチャロナーが逮捕されたことを知ったニュートンは管轄外であるところを説得して事件を引き継ぐ。自分に結びつく証拠はないと余裕を見せていたチャロナーもニュートンの証拠固めで徐々に追い詰められ

やがて彼は、一つだけ、数週間前には思いもつかなかったような作戦を思いついた――アイザック・ニュートンに手紙を書いて、自分の命を助けるべきだと説明するのだ。三年に及ぶ二人の戦いにおいて、一方がもう一方に直接手紙をかくのは初めてのことだった。
 チャロナーは、すべてを話すと約束した。「閣下のおっしゃる通り、私は覚えている限りすべてのことをお話します」。彼は、共諜者や、ニュートンが知っている犯罪を犯した者の名前を明かし、「もっと大勢いますが、すべてをお知らせするには時間がありません」と記した――もう間もなく、次の法廷が開かれるからだ。だが、場所と時間と自由を与えてもらえれば、「政府のために、喜んで最大限のお役に立つ所存です」。彼はそう書いていた。
[だがニュートンは黙殺](略)
おじけづいたチャロナーは、今度は自分の話と自分に不利な証拠のつじつまが合うように、もう一度手紙を書いた。(略)自分は首謀者などではなく、ただの仲介役にすぎなかった。[またしてもニュートンは黙殺](略)
沈黙がチャロナーを苦しめた。監事に返事を書かせることができなければ、告発人が彼の言い分に関心を示さなければ、自分の最後の武器――言いくるめる才能――も役には立たない。
[ニュートンに無視され死刑確実と進退窮まったチャロナー]

最後の戦い

 チャロナーは、自分を弁護しなければならなかった。無罪の推定という考え方は、まだない。したがって、彼には積極的抗弁を行う必要があった――徹底して無罪を主張するか、訴追者側の証人や証拠に不備があるため事件は立証されないと証明する必要があるのだ。当時は、被告人が法律に明るい者の助言を受けるということも、まだほとんど行われていなかった。(略)「明白かつ誠実な弁護を行うのに、熟練の腕は必要ないとされていた」からだ。
(略)
[判事は絞首刑判事として名をはせた横暴なサラシエル・ロベル。ダニエル・デフォーの『礼節の改革』によれば]
悪党の仲間を生かしておき、
悪党たちの強奪を保護し、利益を分け合う
泥棒を取引だと容認し、
支払い次第でもとに戻してやる。
(略)
法において決定すれど、上訴は認めず、
それでも、金払いのよい者には手を差し伸べる……
価格一覧表を有し、
悪党はそれで、己の命の値段を知る。


[だが文無しのチャロナーは袖の下も使えず。最後の手段として、ロンドンでの犯罪をミドルセックス州の法廷で裁けるのかと反論(実際同様の主張で放免された例があった)、しかし、有罪判決](略)
彼の伝記には、こう記されている。「有罪宣告を受けた彼は、自分はやつらに殺されるのだ、証人はみな偽証者で処罰は不当だと叫び続けた」。
(略)
[死刑判決審査の際に国王の減刑があることに望みを託すも、死刑決定]
「アイルランドの葬式で弔いをする女たちよりも激しくわめき叫んだ。人殺し!人殺し!ああ、おれは殺される!という言葉しか彼は口にしなかった」。

最後の手紙

ニュートンに宛てた最後の手紙の書き出しは、褒められたものではない。まだ何か議論すべき余地があるような書き方をしているのだ。「あなたは、私が殺されて当然だとお考えかもしれませんが、あなたの慈悲深い御手で救っていただかなければ、正義の名のもとに最悪の殺人が行われてしまうのです」。
(略)
最後の部分では、議論を持ちかけるようなそぶりを捨て去った。「私があなたを怒らせたために、このような結果が私にもたらされたのです」と、彼は書いている。しかし、それで彼の敵は折れてくれるのだろうか? 「親愛なる閣下、どうか私のためではなく神様に免じて、私が殺されないようにお慈悲をおかけ下さい」。

処刑

議会で硬貨偽造は大逆罪であると定められて以来、贋金作りには、ガイ・フォークスの火薬陰謀事件で有罪となった者たちと同じ、残虐な処刑が行われた。ジンを飲むことは許されず、群集は誰一人名前を呼んでくれない。チャロナーは、刑場まで粗末なそりに引かれていった――車輪などついていない。(略)そりが弾むたびに[道路の窪みを伝う下水の]汚物が跳ね上がり、人や動物の排泄物がチャロナーの服や腕や顔に跳ねかかったことだろう。その間、彼はずっと、「見物人たちに向かって、自分は偽証で殺される」と、無実を叫び続けた。(略)
 大逆犯を処刑する方法は(略)「首をつるされるが、まだ息があるうちに……下ろされ、生きたままはらわたを取り出されて目の前で焼かれ、そのうえで身体を四つ裂きにされて、頭部と四つ裂きにされた身体を市中にさらされる」。
 自分の番になって、チャロナーはもう一度叫び声を上げた。「この男は殺されるのです……法を口実に!」。司祭が近づいてきて懺悔をして許しを求めるように指示した。このときはチャロナーも決まりに従い、ほんのしばらくの間「熱心に祈った」。

造幣局長官となった最初の年は3500ポンド(ケンブリッジ教授俸給はわずか100ポンド)。南海泡沫事件では初期段階で株を売り抜けていたが、株価が最高値を記録した頃に、二度目の賭けに出て二万ポンド損失(造幣局監事基本給40年分)、それでも東インド会社の大株主で、評価額3万ポンド以上の不動産を所有。

彼はどこから見ても、やはり裕福な男だった。しかし、最悪の失敗の記憶は彼を苛み、自分に聞こえるところで誰かが南海会社の話をするのを嫌がったといわれている。(略)理性に欠けるただの愚か者と同じように、自分もだまされたと思えて腹立たしかったのではないだろうか。投機熱が最高潮に達していた頃の南海会社株の魅力的な値上がりに関する話が出たとき、彼はラドナー卿に「大衆の熱狂を計算することはできない」と言ったという。
(略)
 80歳を過ぎると、ニュートンの公人としての活動は少なくなった。王立協会と積極的にかかわることもなくなり、たまに何か所感を述べても、ほとんどが古い記憶のなかの誰かに関する昔話で、最新の研究についてはほとんど取り上げなかった。また、ほぼすべてが彼の裁量下にあった造幣局についても、姪の夫で後に長官の後継者となるジョン・コンデュイットに管理業務を任せていた。