ニュートンと贋金づくり

錬金術にはまっていたニュートンが造幣局監事として贋金づくりのウィリアム・チャロナーを追いつめることに。

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

 

ニュートン16歳の実習帳から

「小さなやつ、誰にも助けてもらえない」と嘆き、「何の仕事が向いているのか? 何が得意なのか?」と問いかけているが、その答えはない。そして「誰も私を理解しない」と抗議し、最後には、「私は何になるのか。もうおしまいだ。ただ、泣くしかない。何をすればよいかわからない」と落胆している。

探究心

 ニュートンは、自分が知りたいと思えばどんなことでも、恐れを知らずに追求した。視覚が惑わされて実在しないものが見えることがあるかどうかを知るために、痛みを我慢できなくなるまで片目で太陽を直視し、その後「強い幻覚」が見えなくなるのに要した時間を書きとめたこともある。その一年ほど後には、視覚系の状態と色覚の関係を理解したくて、細い金属棒――先の丸い針――を「眼と骨の間の、なるべく目の裏側に近いところまで差し込んだ」。そして、「金属棒の先で眼球を押すと(そうして眼球の湾曲の度合いを変えると)」、いくつかの「白と黒と色のある円」が見えた。金属棒の先で目をこすると、その円のパターンはさらにくっきりと見えたという。ニュートンはその解説に図をつけているので、ピンが眼をゆがめる様子がよくわかる。挿絵を見ると思わず顔をしかめずにはいられないが、ニュートンは痛みについてはまったく触れておらず、恐怖についてもまったく記載がない。疑問があり、答えを得る方法がわかっている以上、次になすべきことは決まっているというわけだ。

スカラーの資格を得るが、ペストが流行、避難。そのころ、ロンドンでは遂に一日の死者が千人に。

 この頃になると、遺体があまりにも多すぎて、葬式という概念も崩壊していた。遺体を廃棄するだけ、地面に掘った穴を遺体で埋め立てるだけで精一杯だった。ダニエル・デフォーは次のように記している。(略)
「[死体運搬]馬車が向きを変えたとたん、死体が無造作に穴の中に投げ込まれるのを見て、愕然とした。少なくとも、丁重な扱いはしてもらえると思っていたからだ。(略)巻きつけてあるシーツや布は馬車から放り投げられる際に取れてしまい、みんな丸裸で穴に落ちた。死んだ人たちにとってはどうでもよいことであり、みだらだと感じる者もいなかった。彼らはいわば人類の共同墓地の中で、身を寄せ合って死んでいた」。これこそが民主主義であり、「そこには違いなど何もなく、貧乏人も金持ちも一緒に横たわっていた。他に埋葬の方法はない。あるはずもない。このような災厄のさなかに、膨大な数の死体を一つひとつ棺に納めるわけにはいかなかった」。(略)
住人が早々に避難していたケンブリッジは、一六六五年の盛夏にはゴーストタウンとなっていた。

ウィリアム・チャロナーが贋金づくりになるまで

[バーミンガムで釘製造業者見習いをやり、ロンドンへ出る]
最低の生活を抜け出す試みは、すなわち性具の調達人となることだった。(略)
[クロムウェルの死後]文字による快楽では満足できない人々には、性愛の道具がたいへんな勢いで売れていた。(略)彼の商品が「創意工夫の才能の片鱗を見せた」ものだったというのなら、単なる男性器の模造品ではなかったのかもしれない。もとより、本物の時計でもなかっただろう。[ロバート・フックが発明したヒゲゼンマイによって]一六七〇年代の半ばには、時計作りの技術は大幅に進歩していた。(略)チャロナーは、懐中時計のまがい品として売れるようなものを考案したのではないか。(略)
懐中時計を半分に割った形状の白目を組み合わせて、本物に見せかけてあるのだ。片側には粗雑な文字盤が埋め込まれ、もう片側には本物の懐中時計をまねた模様がつけられている。両者をはんだづけして、手ごろな装飾品として販売していたわけだ。チャロナーの金属加工の知識は、この程度の仕事をするには――そして、そこに性具を組み入れるという工夫をするには、充分だっただろう。(略)性産業の末端に首を突っ込んだことには大きな意味があった。かろうじて小銭が稼げたからというだけではなく、彼を上回る悪人と出会うという収穫があったからだ。

[裏街道でしくじって、切羽詰ったチャロナー]
ハットンガーデンの安アパートで彼が出会ったのは、漆工だった。もともと漆工という言葉は、15世紀に次々とヨーロッパに入ってきた日本の漆器を真似た、表面の光沢仕上げをする人を指していた。そこから語意が広がり、やがてハードコーティングやオペークコーティングなど、表面の再仕上げをする職人が含まれるようになった。(略)そうして彼は、後にアイザック・ニュートンが最初の調査書類に書きとめるように、「着古したぼろ着+色を塗りたくる」商売に手を染めるようになったのだ。(略)
 服の染め直しは、やっかいな仕事でありながら利益が少ない。だが、それが金属ならどうだろう?(略)
チャロナーが機をとらえたのは、まさにイングランドでグレシャムの法則の通りに悪貨が良貨を駆逐するという現象が起こり、文字通り貨幣が底をついた時期に当たる。そのような危機に陥った原因は、およそ30年にわたって二種類の貨幣を流通させてきた、イングランドの通貨制度の特異性にある。1662年まで製造されていたハンマーによる手打ちの硬貨と、同年に王立造幣局に導入された機械で製造されるようになった機械打ちの硬貨が並存していたのだ。

貨幣の縁を少し削り再度やすりで滑らかにすることで相当な量の銀をためこめる。100ポンドの銀貨は400オンスあるはずが、240オンスだったり103オンスだったり。これを防ぐために「ducus et tutamen(装飾と保護)」という銘が縁取り加工機で刻まれる事に。

証拠として残る、チャロナーが製造した硬貨を見れば、パトリック・コーヒーの指導によって、金属板を硬貨状にくり抜けるようになっていたのがわかる。コーヒーは、実用に堪える刻印の技術も教え、硬貨の両面に克明に図柄を刻めるようにした。さらには、金型を使って、造幣局が威信をかけて施した切り取り防止の縁取りを、もっともらしく模倣する方法も教えたに違いない。[あと必要なのは本物の図柄とそっくりな金型を作れる彫刻師、本屋もやっているトマス・テイラー](略)
 初対面のときから、テイラーはただ者には見えなかった。そもそも彼は、学会――いわゆる文壇――の末席に身を置く人物として知られており、『正確に描いたイングランド』、『正確に描いたウェールズ公国』という画期的な地図集を出版したことで有名だった。どちらも、物質世界をさらに正確に表現するという時代の要求に応えるような作品だ。テイラーは、ニュートンの後継の世代に天文学や物理学が普及する波にも乗り、一七二四年には日食の図説を載せたブロードサイド(かわら版に近い情報誌〕を作成し、軌道を示す図解をつけて皆既日食を説明している。

秘密

[1691年]ロバート・ボイルの死によってたちまちニュートンは、それまで20年間、自分もボイルも取り組んできた――そして、ほぼ完全に秘密にしてきた――研究について対処しなければならなくなった。(略)
[ニュートンからジョン・ロックへの手紙には]
ボイルの古い友人の一人であるロックが、「ボイル氏の赤い土」なる謎の何かを所有しているのではないかと記されていた。(略)
ニュートンの手紙の破れた切れ端を見ると、微妙な領域には立ち入るなと警告しているように思える。たいへん多くの土を受け取ったが、「私はただ見本を望んだだけで、その過程を遂行するつもりはないからです」と彼が記しているからだ。けれども、ロックが実験してみたいというのなら、「あなたが関心をお持ちのケースについて、自由に話すことをB[ボイル]氏から許可されているので」手を貸そう、とも書いている。さらにニュートンは、自分はボイルに対してこの秘密を守る義務があり、同じくボイルの親友であるロックにも同様の義務が生じるのではないかと述べている。(略)
 ロックは速やかに返事を書き、自分はその秘密を知らされていると友に請け合った。

なぜ錬金術なのか

ニュートンの時代においても、錬金術師は悪評がつきまとう存在には違いなかった。(略)
[ニュートンとボイルとロック、その他何十名]にとって単なる金よりも価値のあるものを追い求めた。なぜなのか?
 それは、少なくともニュートンにとっては、錬金術が二つの点で無限の価値を与えてくれるからだった。一つは、ニュートンがどんな研究に対しても持っていた目的――すなわち、神が創造した世界における知識を得ることだ。(略)理屈は神秘的で文字通り秘密めいているが、その実践は現実重視で、活力に満ち、具体的で、物質に熱や溶媒を加えたり、重さや量を測ったりする。錬金術の実験を行うたびに、ニュートンは物質世界の作用に関する事実を習得していった。
[もうひとつは神の御業を目に見える形にするため]
 神の存在が次第に薄くなる自然界に寒気を覚えたのは、ニュートンだけではなかった。(略)
ニュートンが初めてデカルトの研究に触れたとき(略)若い彼にも、新たな物理学によって歴史における神の行いの必要性が事実上排除されてしまうということは、はっきりとわかった。
(略)
 思考が発展するにつれて、ニュートンの新しい物理学は、彼が考える遍在的で全能で全知の存在、特に、あらゆる時空の物質世界で活動する明確な存在の神を受け入れる理論となっていった。彼は明らかに、万物の創造主である神の存在と栄光の証として『プリンキピア』を書いている。
(略)
ライプニッツは、神の感覚中枢という概念をあざ笑い、ニュートンは重力に関して超自然的な説明に逃げているかに見えると非難した。ニュートンが欲し、求めたものは、自然界における神の御業を目に見える形で実証することだった。

 それゆえに錬金術だった。(略)
[ニュートンの神を]生気を宿す作用因、すなわち「精」という古来の錬金術の考えを用いて、救出しようと考えたのだ。
(略)
 突き詰めていえば、ニュートンは四半世紀にわたる錬金術の実験によって、能動的で植物的な精を捕らえようとしてきた。その精を介して、神は自らの意志を自然界の形成や変化として示す。ニュートンは錬金術のテキストに註釈を施し、植物化の過程や、変化を推し進める精や、自然を変容させる創造主である神に関する考えをつけ加えた。
(略)
今この場で一つの金属を別の金属に変えることができれば、それが神の精を示す現実的で物質的な証明となり、どんな理論づけも、どんな神学論争も、太陽系の完璧な構造から得るどんな間接的証拠も、その証明にはかなわないと知っていた。

明日につづく。