森達也「死刑」・その2

前日のつづき。

現場職員の見方や傷付き方

死刑執行が評価ポンイトとなる所長等幹部と現場職員では見方や傷付き方がちがう

 「刑務官に課せられる仕事は、いつ執行命令が来ても執行できるようにしておくことです。要するに自殺させないこと、病気にさせないこと、狂わせないこと。だから毎日死刑囚たちと顔を突き合わせて、……寝顔だって見ますから。当たり前だけど、執行の指令をする幹部たちとは意識が違います。ほとんどの死刑囚は最初は気持ちが荒んでいますから、時には慰めたり、叱りもするし、騙したり騙されたり、そんなことの繰り返しで、刑務官と死刑囚との人間関係が醸成されていくわけです。親族や家族に近い感情が芽生えます」
(略)
「……実際に彼らと日々を一緒に過ごす私たちとしては、……肌で感じるんです」(略)
「……罪を憎んで人を憎まずということです」
(略)
[生きるに値しないと思った死刑囚はいたか]
「いませんよ。ただ、[薬物中毒等で]社会に返せないなっていうのはいました」
(略)
 「死刑囚は執行の際に即死しますか」
 「私は即死していると思います」
 「でも三十分間吊るされるんですよね」
 「心臓が強い人は生きていますから。でも意識はないと思います」
 「苦しんではいないですか」
 「……苦しんでいないと、思います」
 一瞬の間をおいてから、坂本はそう答えた。
(略)
[吊るされてからの経過]
まず重い石を落としたのと一緒で、バウンドが凄い。揺れます。だから下で待っていた刑務官はこれを抑えます。次に筋肉に硬直がきますよね。身体中が震えます。これを抑えるのも刑務官です」

教誨師

[死刑廃止運動に批判的だったが]
とにかく私にとっては初めての死刑囚です。それも人を三人も殺している。会う前は正直、気が重かった。でも会ってみると普通の人なんですよね。小柄で、頬がこけていて、青白くて。面会が終わったら『ありがとうございます』って頭を下げて、とっても丁寧な受け答えで。……なんも変らない。ほとんど僕らと変らない。だから彼らと僕らとの境目、それはもちろん、事件を起こしたかどうかなのだろうけれど、でもその根底にあるもの、……それをいつも考えています」

[処刑に立会い]
「……壊れました」(略)
そのとき僕は、たぶんどこか壊れたと思う。それは今も感じる。……それまでの僕は仕事柄、どちらかといえばわりと冷静で、客観的に感情をコントロールできるほうだったと思います。でもあの執行の日以来、何かが壊れました。そうとしか思えない。たとえば車を運転しながら、何の脈絡もなく涙が溢れてくることがあるんです」

[処刑前の個人教誨]
他人の体温を感じてほしいと思って、僕は彼を抱きしめました」
「Iはどんな反応を?」
「落ち着いていました。僕は取り乱しっぱなしで、もう何をしていいかわからなくて、最後の最後にこんなオヤジでゴメンとか言いながら、ひたすら彼を抱きしめていました。やがて時間が来て、Iは『おふくろによろしく』って言ってから、『処刑は俺で最後にしてほしいと思ってる』って。……それが最後の言葉です。(略)
 「ダーンって床が落ちる音がします。……しばらく控え室で待っていたら、ひとりの刑務官が『あいつは天国に行きましたか』って聞いてきて、『悔い改めさえすればみんな天国に行けるんだよ』と答えたら、本当にホッとしたような顔をしたことを覚えています。年配の刑務官でした。精進落としみたいな会が執行のあとにありました。おでんが出ました。僕は普段はあまり飲まないのだけど、このときは飲んだ。刑務官たちも浴びるように飲んでいた。処刑したままでは家に帰れない。家族に会えない」

1971年の処刑

跳ね上がるっていうのは眼の錯覚かもしれないけれど。バーンって音がして。ぶらんと下がったとき、僕は警備隊員と一緒に上で綱を持った。すごく揺れるんです。だから綱を持って揺れないようにする。
(略)
[吊るされてすぐ]
上から見ていたら心臓がボコッボコッて動いている。そこに医務課長が聴診器をあてる。見下ろしながら僕は、今助けたら助かるんちゃうかとか考えていました。(略)
心臓がボコッボコッて動いている。綱を押さえながら見ているうちに、こっちが気を失いそうになった。もう他のことなんか全然頭に入らなくて、そればっかり見ていた。(略)
[心臓停止まで苦しんでいたか]
 「そういう感じはなかった。じっとしている。でも心臓がボコッボコッて。それは何分だったか、五分だったのか十分だったのかわからないけれど、僕にはそれがものすごく長く感じられた。
(略)
その頃、四、五人まとめて判子を押した法務大臣がいて、職員が精神的に参っちゃったことを覚えています。執行はそのあとに減っていって、あまりしなくなる期間が二十年ぐらいある。ちょうどあの頃が少なくなりかける前ですね」

廃止派から存置派へ

著者と旧知の間柄の藤井誠二は事件被害者の取材を続けるうちに廃止派から存置派に変った。相反する立場ではあるが互いの気持もわかるという微妙な関係。

「死刑は反対だけど、もし自分の家族が殺されたら国の代わりに自分で殺すって言う人ってよくいますよね。でもね、絶対無理だと思う。
(略)
ポケットにナイフを持ちながら、被告の背中を見つめていた遺族は何人もいます。でも殺せない。結局は、ナイフに触わることもできなかったって、みんな言います。人間的にもシステム的にも、個人で復讐なんて絶対できない。人を殺すって、復讐するって、それほど恐ろしいことなんです」
 殺したいけれど実践はできない。個人では復讐ができない。つまり抑制が働く。当たり前だ。人はそれほど強くない。でも死刑はそれを代行する。本人の煩悶や抑制や摩擦を払拭して円滑に進めてしまう。つまりシステム化する。藤井の話を聞きながら思う。それははたして「善きシステム」なのだろうか。

「[光市事件の]本村さんがテレビのインタビューで、しゃべりながら一瞬、ためらったんです。早く死刑にしてくれみたいなことを言う前に、こんなことをテレビで言っちゃっていいんですか、みたいな感じかな。かつては誰もこんなことは聞いてくれなかったのに、なぜ今、急にメディアがたくさん来て、何か変わったんですかって。なんかそういったような彼のためらいが一瞬、垣間見えたような気がしたのだけど……」
(略)
 「彼のメディアに対する不信は大きいですよ。好奇心だけでワッと群がって消費されていく存在になりかねないことをよくわかっているから。特に『死刑』対『死刑廃止』の対立構図の一方の代表みたいなかたちで、自分を消費しようとするマスコミに対する不信感はかなりあると思う」
 「彼は死刑制度を拡充したひとりに自分がなるかもしれないという覚悟はあるわけですよね」
 「あるでしょうね」
 「藤井さんは?」
 「ありますよ。だって俺はこうして本を書いて、伝えていく役割を担っているのだから」

光市事件遺族からの手紙

安田弁護士とつきあいのある著者であるから返事は無理かなと思っていたが、本村さんから手紙キター。その一部を掲載したものをさらに部分引用するのは文脈その他問題はあるけれど禿しく切り刻んで引用

私が死刑制度存置のイニシアチブをとっているように思われることも、人権派弁護士の方々と対立軸に置かれることも、決して快くは思っていません。私は、刑法の第一九九条に基づいて発言しているだけです。(略)
権力が「暴力で社会を統治する」事態は最悪だと思います。(略)
国家権力に死刑という行為の発動を切望している点では、私は最悪の事態を招いている諸悪の根源かもしれません。(略)
 死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「なぜ、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。
 「犯罪被害者が声高に死刑を求めている」からではなく、「社会全体が漠然と不安である」から、死刑は廃止できないのだと思います。

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