教育の弊害
以前小学生の国語の問題を見る機会がありました。
大問は物語文。
文中に線が引いてあり、この時の◯◯さんの気持ちとして適切なものを選べって問題がほとんどでした。
自分の小学校時代を振り返っても、そういう問題が多かった記憶があります。
国語の授業でも、主人公の気持ちを話し合ったりしていた気がします。
まあ、人生を豊かにしたり、読解力を付ける観点では間違ってはないと思います。
人の気持ちを考えるのも大切なこと。
しかし、ちょっと心情を読むことにフォーカスし過ぎでは?と疑問も感じました。
この教育方針が少なからず影響しているのか?無駄に人の心を読もうとする場面に出くわすことがあります。
例えば、犯罪や社会問題が起こった時に、テレビ番組とかで、加害者がどういう心理でそんなことをしてしまったのか?議論している様子を見ます。
それって意味ある?と思います。
本人に聞いた訳でもないし、本人の人となりや生活状況等も極めて断片的な情報しかない。
これで心理的な動機を推察しようなんて無理な話。
全くの想像にならざるを得ません。
また、思ってもないことを前提に批判するヒドいこともあります。
たまに、「実はセミリタイアが面白くないと思ってるけどそれを認めたくないから、必死にブログを書いている」とか「お金は減るのが怖いから、バイトばっかしてる」とか言われることがあります。
そんなこと思っていません。
もはや完全なる捏造で、相当失礼な話。
こういった意味のない、時に有害な心理考察をしないためにも。
評論文の中からファクトを抜き出したり、文章を要約したり。
国語では、そういったトレーニングをもう少し多めに取り入れてほしいと思います。
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