積極的セミリタイアが難しい理由
先日は、消極的セミリタイアについての記事を書きました。
その対局である、積極的セミリタイアについて取り上げます。
積極的セミリタイアとは、今の仕事はそこまで悪くないけど、もっと楽しい人生を目指してセミリタイアをするもの。
死ぬほど嫌な仕事を避けるためにする、消極的セミリタイアとは異なります。
で、セミリタイアが批判的に捉えられるのは、セミリタイア=積極的セミリタイアであり、それは難しいからとの認識があるからだと思います。
過去に多くの人が挑戦して上手くいかなかった事例があるから、否定的な意見が生まれる。
あながち間違った指摘でもないでしょう。
では、なぜ積極的セミリタイアが難しいのか?
仕事がそこまで嫌じゃなければ、サラリーマン生活でも十分に楽しむことが可能だからと考えます。
サラリーマン生活は、多くを仕事に取られるとは言え、そこまで自由時間がないわけではありません。
夕方6時頃には仕事が終わって、寝るまで6時間ぐらいはある。
映画1本、スポーツ1試合は全然見られます。
誰かと食事に行ったり、ジムに行ったり、買い物やライブに行くことも可能。
週に2回は休日があって、まとまった時間で好きなことができる。
GW、お盆、正月は1週間程度休みになる場合もあり、海外にも行ける。
さらには有給休暇もあり、趣味に十分な時間を使うこともできます。
これほど余暇時間がありつつも、十分な楽しみを見出だせないのは、仕事ではなく、自分に責任があるからじゃないでしょうか?
自分に楽しむだけの能力(好奇心、感受性、行動力等々)がないのであれば、仕事が無くなって自由時間が増えたところでとて・・・って感じです。
むしろ、使えるお金は減ることで、楽しみが減少することすら考えられます。
そうは言っても、普通に仕事をしていたら、なかなかできないこともあります。
数ヶ月単位で何かをしたいとか、好きな場所に住みたいとか。
しかし、楽しみは貯金とは違い蓄えることができません。
例えば半年で世界一周旅行をしたとして、めちゃくちゃ楽しかったところで、終わってしまえばまた何かを探さないといけません。
世界一周旅行楽しかったな~と思い出にふけるだけで、その後の1年間楽しみが持続することはない。
セミリタイアしないと出来ないことは意外と少ない上に、あっても1年ぐらいで出来てしまうことも多い。
楽しみを持続し続けてこそ、積極的セミリタイアした価値があると考えると、なかなかハードルが高いですね。
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