コミュ障が治ったかもしれない
これまでのブログの中で、数百回は自分はコミュ障と言ってきました。
しかし、昨今の状況を客観的に見て、コミュ障が治ったんじゃないか?と思っています。
少しコミュ障歴を振り返ると。
元々僕は明るく活発な少年でした。
運動とかも得意だったので、スクールカーストも上位だった時代もあります。
ところが、小学校高学年ぐらいは歯車が狂い始めて、中学、高校、大学と次第にひどくなっていった感があります。
人と話しても、多くの場合で話が続かないし、全くトークを楽しめません。
集団だと、穏やかな人たちだと困らせる、イケイケ系だとイジられるのどっちかです。
高2以降は、クラスに1・2人話せる人がいればいいほうで、完全に孤立している時もありました。
どうせ微妙な空気になって、後々気まずいので意識的に避けているような状態でした。
社会人になっても変わりません。
最初の4週間が研修で、同期と接する機会も多かったのですが、全く仲良くなれず。
配属された職場には同期はおらず、40・50代の人が中心で仲良くするみたいな環境じゃなかったので、ホッとした記憶があります。
以上より、自分は障害と言っていいレベルのコミュニケーション能力。
いわゆるコミュ障だと自覚するに至ります。
そのため、結婚なんてできないし、遊んだり、個人的に連絡を取り合う人もほぼいません。
しかし、社会人5年目・28歳ぐらいで潮目が変わりました。
異動した部署が20代が中心の職場でしたが、全然普通に喋れます。
その職場で4年間、次の職場も同年代から少し下の人が多かったのですが問題ありません。
全く気まずくないし、むしろトークしてて楽しいぐらいです。
セミリタイア後も変わりません。
バイト先で時間があって雑談タイムみたいになることがありますが、8割方話は弾みます。
ボーっとしているよりも時間が経つのも早いので、最近では自分から話しかけることも多くなりました。
依然として超消極的性格で、人を誘うことはもちろん、Twitterのいいねすら押せない次第ですが・・・
話すこと自体はできるので、誘えばOKして貰えることも十分にあり得ると思います。
もはや、かつての障害レベルのコミュニケーション能力ではなくなった認識です。
これ以上言っていると、過度な自虐、ビジネスコミュ障になってしまうので、今後コミュ障とは名乗らないこととします。
じゃあなぜコミュ障を克服できたのか?
周囲の人が急に優しくなったことはないはずで、やはり自分自身が変わったんだと思います。
とは言え、トーク力、傾聴力、共感力、話題の豊富さ等々がアップした自覚はあまりありません。
振り返ってみて思うのは、当時はなんて肩に力が入っていたんだろうと。
意識していたと言うか、尖っていたと言うか、構えていたと言うか。
とにかく完全に空回りしていました。
今では随分と自然体になれた気がします。
じゃあなぜ自然体になれたのか?
年齢や経験のおかげかもしれません。
もう1つの仮説としては、生存戦略だった気もしています。
学生時代はコミュ障でも何とかなります。
確かに弁当を1人で食べるのは当初は辛いですが、慣れてしまえば大したことない。
そして、周りと上手く話せなくても、大学受験や公務員試験の点数を引かれることはありません。
実利的な面で、そう困ることはありませんでした。
しかし、社会人はそうはいきません。
真の実力があればコミュ障でも問題ないけど、そこまでの実力をつけるのは自分にとっては現実的ではありません。
多少コミュ障も改善しないと、マジで立ち行かなくなります。
幸いなことに絶望的ではなかったこともあり、リアルな生存戦略として必要に迫られて、コミュ障を克服することができました。
災い転じて福となすです。
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