僕は圧倒的に非常識なのかもしれない
昨日のブログ記事「お金で感じたカルチャーショック」は、値段を見ないで買うことに、カルチャーショックを感じたという内容でした。
ある程度の共感は得られると思い、書いた記事だったのですが、全く予想外のコメントが多数。
貰ったものの値段を聞くことはあり得ない。
そして、聞かれた相手も本当は知っていたけど、知らないふりをしたのではないかとのこと。
多くの方から批判があったので、どうやらこれは常識のようです。
しかし、この常識を僕は知りませんでした。
確かに、あまり大っぴらにお金の話は・・・みたいなことは知っていますが、そんなにとは・・・・
物の値段には興味があるので、よく聞きます。
貰い物だけでなく、身につけている物や、貯金、ボーナスの額まで普通に質問していました。
僕は今まで、自分をコミュ障だと思っていました。
先天的に、人とより良い関係を作る能力が欠如しており、微妙な空気になってしまうことで、何となく組織から浮いてしまう。
もちろん、それもあるかもしれませんが、非常識な言動も人から敬遠される理由かもしれません。
このお金の発言だけではなく、常識を知らないことで、たぶん失礼な言動を繰り返してきた。
そして、それが目に留まり、何となくこの人は・・・と思われてきたのでしょう。
思い当たる節もあります。
例えば、仕事中に誰かに質問する際に、多くの人は、
「今、話しかけていいですか?」とか、「お忙しいところ申し訳ありませんが」と聞きます。
また、反対意見を言うときに、
「お気持ちは、よく分かるのですが」と言ってみたります。
僕は、そんなこと全然言わずに、忙しそうじゃなければ普通に聞くし、「でも・・・ですよね」と反論します。
なんだこいつは、いきなり失礼だなとか思われていたのかもしれません。
ダメダメな理由が、純粋なコミュ力だけではなく、非常識が原因だった部分もかなりあるような気がしてきました。
そんな上辺だけのことを言って最低限配慮しているように見せたり、ネットとかでNG集を学ぶのは、そう難しくないはず。
また、「沈黙は金なり」と言うように、失礼な発言をしないためには、とにかく黙っておけばいいだけです。
仲良くなるのは難しいですが、最低限嫌われない人間関係構築のためにも、気を遣おうと思いました。
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