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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

無党派層の時代から多党派層の時代へ・・70年ぶり「戦時中」におけるリベラル派の取るべき戦略・戦術

広島ブログ

「衆議院選挙では日本共産党、しかし、市議選、県議選では自民党。」
好きな政党があるわけではないが、さりとて、無党派・市民派候補を支持するわけでもない。
「無所属?そりゃ駄目だ。」
という反応をされたりするみなさん。

ここ数年、特に2010年代に入ってから、こんなタイプの有権者が少なくとも広島都市圏で「爆増」しているように実感します。

わたくし、さとうしゅういちはこれらのみなさんは、「無党派層」ではなく、「多党派層」とおよびすべきではないか、と考えています。

■冷戦崩壊と無党派・市民派首長・議員の台頭

一昔前だと、いわゆる無党派層が、無党派・市民派の議員や首長候補を特に地方選挙で押し上げる傾向にありました。

1991年のいわゆるソビエト崩壊、冷戦崩壊が一つの契機であると考えられます。
また、政党を支持してきた団体の影響力が弱まってきたことなど、右肩上がりの経済状況の終焉などがあげられます。一方で、まだこのころは、中堅世代以上にはそこそこの経済的余裕もあり、環境や参加民主主義を主な課題として追求する市民派へのニーズも高まっていました。

1993年の浅野史郎・宮城県知事を皮切りに、1995年の青島・ノック現象。そして、2000年の田中康夫長野県知事、福田・栃木県知事と無党派・市民派の知事の誕生が相次ぎました。

1990年代後半には、日本共産党の躍進と市民派・無党派の躍進の流れが併存していました。1999年の国立市での上原市長誕生はその流れに位置付けられます。
石原慎太郎東京都知事も1999年の初当選の際の選挙では「右の市民派」というべき存在だったと考えられます。2002年の田中康夫知事再選、2003年の統一地方選挙でのいわゆる市民派候補の躍進などで、市民派・無党派への流れが頂点に達しました。

広島市でも、秋葉忠利・広島市長が1999年、2003年と無党派で当選を果たしています。また、無党派を標榜する市議が2003年市議選で誕生するなどしています。
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秋葉忠利市長(2002年当時)と田中康夫知事(当時、中央)。さとうしゅういちも両者を応援させていただきました。

また、小泉純一郎さんも「市民派的」な雰囲気を最初は醸し出し、2001年参院選では、バカ受けしました。


 











■格差拡大・民主党台頭と市民派の退潮

ただ、民主党が自民党を脅かす政権交代可能な受け皿として認識された2003年秋の衆院選以降は、状況が変わってきます。
民主党が無党派・市民派および、日本共産党・社民党を食うという状況が起きます。
2004年の参院選では、みどりの会議の中村敦夫さんが善戦するも及びませんでした。2004年には福田・栃木県知事が、さらに2006年には田中康夫知事が打倒されてしまいます。
2007年統一地方選挙では、民主党の新人に無党派現職議員が敗れる例も相次ぎました。それでも、一方で自民党の退潮とこれらの事象はセットでした。
また、無党派・市民派を支えてきた大都市近郊の中間層(特にインテリ家庭の専業主婦層)が高齢化したり、格差拡大の中で縮小していったことも背景に挙げられます。

■民主党の迷走から維新ブーム、そして自共の復権へ

2009年に民主党に政権交代。市民派の地方議員が掲げていたような政策も一部は取り入れての政権交代でした。
しかし、民主党が政権運営で迷走します。このために、みんなの党や大阪維新の会、減税日本といった「第三極」が2010年から台頭し始めます。
いわゆる市民派・無党派候補にもチャンスかと思われました。
しかし、2011年の東日本大震災は、人々の「古手現職」回帰を一時的にもたらしました。
さらに、民主党が迷走し、信望を失います。民主党から分裂した新党ができる背景にもなりましたが、これらの新党も2012年の衆院選では苦戦。民主党壊滅、維新善戦となるも、野党乱立の間隙を縫う形で自民党が政権に復帰してしまいます。
さらに、この衆院選後、一歩進んで、「既成政党への回帰」が見られるようになります。2013年春には橋下徹さんの失言をきっかけに維新が失速。また、「新しいもの」への不安感が国民に広がります。
こうした中で、2013年参院選では既成政党の横綱・大関である自民党と共産党が躍進し、民主、維新、緑の党などは苦戦を強いられます。

■安倍総理暴走と「多党派の時代」

参院選後、安倍総理は暴走を本格化。そうしたことへの不安から、「断固たる姿勢で自民党に対抗する」共産党が支持を伸ばす一方で、民主、維新は伸び悩み、緑の党など、市民派・無党派勢力は、苦戦をますます強いられていきます。
2014年衆院選、そして、2015年統一地方選挙はそうした傾向を鮮明に映し出した結果になりました。
一方で、衆院選で共産党に投票しても、市議選、県議選では相変わらず「昔から顔なじみの」自民党議員に投票し続ける有権者も大量におられることが、この間の取材を通じて、また選挙の得票数を通じて、実感しました。
 国政では「自民党への対抗軸」として共産党に投票し、県議選、市議選では「昔からの実績のある」自民党議員に投票する。特に「権限が少ない」県議会議員については「政策より顔なじみ」で選ぶ傾向がきわめて強くなりました。一方で、政党の中で比較的新興勢力だった民主党は壊滅的な敗北を強いられました。また、無党派・市民派候補も一部選挙区で立候補しましたが、苦戦を強いられました。
 全体に、「イメージが古いもの」ほど、支持され、「あたらしいもの」がますます後退を余儀なくされてしまうという傾向が鮮明になりました。
 有権者は「棄権」をするか「自民党または共産党の間で主に揺れ動く」という、「多党派」的な傾向を示しだしました。

■時代の変化を読み間違え、惨敗相次ぐ「無所属」・市民派候補。政党

 こうした中で、戦術を間違えて惨敗する候補も相次ぎました。
 ある無所属元職候補は、日本共産党を攻撃対象として、無党派の有権者に溜飲を下げてもらい、無党派票を獲得する算段と思われました。しかし、日本共産党公認・緑の党・ひろしま推薦の元職候補が順調に無党派ならぬ「多党派」の有権者の票も固めて中位復活当選し、無所属候補は惨敗しました。なお、この同じ選挙区では、脱原発運動系の無所属若手新人(緑の党・ひろしまも推薦)も立候補し、若者を中心に注目されましたが及びませんでした。
 一時期までの「既成政党攻撃」で驚くほどの票が集まる、という状況はなくなっていました。マスコミの世論調査で「政党支持なし」とか「無党派」とされるひとたちも、「既成政党の間で揺れ動くタイプ」が多くなっていたのです。既成政党攻撃は逆に、票を減らす要素にすらなっていたと思います。
 「無党派の時代」が終焉し「多党派の時代」になっていることを読めなかったことによる悲劇は、本紙社主・さとうしゅういちが所属する緑の党グリーンズジャパンでも発生しました。2013年参院選において、「既成政党に挑戦状」というチラシを配ったのはいいが、あてにした無党派層のうちのリベラルな部分はほとんどが日本共産党に流れたのです。

■日本共産党も盤石ではない
 一方で、日本共産党においても、この間の躍進を「全面的な党への支持」と勘違いしていただいては困ります。「ある時は自民党、ある時は共産党」という行動をとる人が多いということなのです。
 特に、国政選挙で「共産党」と書いても、地方選挙で共産党の候補者名を書く人が少ないことは直視しなければなりません。
 広島市長選挙、広島県議選(安佐南区)でその傾向が強く出ています。
 また、日本共産党を支持する人、特に党員の中にも「脱原発重視」「福祉・雇用重視」「平和重視」で優先順位が異なる傾向があります。
 そして、共産党が擁立した候補が、自分が重視する課題を重視していない候補だと判断すると、容易に選挙運動をサボタージュしたり、場合によっては足を引っ張ったりする傾向がありました。
 広島市長選挙と広島県議選安佐南区ではその傾向が強くありました。広島市長選挙では「福祉・雇用重視」以外の傾向の共産党支持者が、若手無所属新人などに流れる傾向があり、共産党推薦候補が党支持層の4割しか獲得できませんでした。
 県議選安佐南区では、党員の市民運動家の中に、自分の課題を候補があまり詳しくないからという理由で応援をサボタージュしたケースを目撃しており、党支持層の6割程度しか固められなかったと推測できます。

■日本共産党広島県委員会は「議員へのお任せ民主主義」脱却の党員教育を
 日本共産党(広島県委員会)は、とくに党員に対して今一度、「平和・反核も、脱原発も、福祉もつながっている」ということを教育していくべきです。そのうえで、党員や支持者が「自分と違う課題に詳しい党候補」に対して斜に構えるのではなく、例えば、候補(議員)が不得意で自分が得意な分野があれば、議員にレクチャーし、場合によっては、質問を代わりにまとめて仕事をしてもらうということも必要ではないでしょうか?日本共産党内でも「議員へのお任せ」とその反動として「自分の関心分野が得意でない議員への応援サボージュがセットになっている」現状を是正すべきです。
そうでないと、広島市長選挙や県議選安佐南区のようなことの繰り返しがどこでおきるかわからず、今後、国民の期待に応えて自民党に対抗する上での障害となるでしょう。

■市民派・無党派は既成政党への斜に構えた態度を卒業し日本を安倍総理から取り戻そう。

 市民派・無党派自身が抱えている課題は日本共産党のそれどころではありません。
日本共産党と違い、マスコミにも報道してもらえず、このままではじり貧です。
市民派・無党派は「既成政党批判」というビジネスモデルから卒業しなければなりません。
 確かに、既成政党に限界があるのは確かです。しかし、それを批判してきた市民派・無党派政治家・勢力が既成政党以上に排他的になっていなかったか?
 たとえば、いわゆる新左翼学生運動ご出身の年配の市民派・無党派活動家の中には、いまだに日本共産党への恨み・不信感から、「既成政党批判」のビジネスモデルへの執着がみられます。
 一方で、20代、30代前半くらいの若手活動家が増えているのは頼もしい限りです。しかし、一方で、参院選や今回の統一地方選挙に至るまで、若手活動家の中には、既成政党・市民運動などとつながったりすることを拒絶してしまう傾向もありました。「ひとこと、既成政党にも相談があればうまくいったかもしれない」選挙もおおくありました。
 あるいは、せっかく、自分たちの活動を手伝おうと申し出てくれる年配者などを「緑っぽくない」などとレッテル張りして、意識・無意識に排除してしまう傾向もありました。活動家自体の数は実は多くても、活動家同士で盛り上がって、年配者も含む一般有権者にアピールすることが不足しているケースも見られました。自分たちの仲良しクラブはそれはそれとして、世の中全体を変える運動としてはまだまだ改善の余地が大きくあります。
 
■いまは戦時中、既成政党も市民派・無党派も共同へ努力を

「もはや戦後ではなく戦前だ」ということがようやく言われるようになりました。
しかし、わたくし・さとうしゅういちに言わせれば、「もはや戦時中である」と言わざるを得ません。
 第二次世界大戦中でも、「いまは戦争中だ」と認識し、「暗い気分」になっていた人は多くなかったのです。「学徒出陣」(1943年)や、サイパン島陥落(1944年)で、ようやく、「異変」に気づき、東京大空襲(1945年3月)で大被害が国民に及び始めた時は「手遅れ」だったのです。
いまの「戦時法制」の議論は、さしづめ、戦時中の「学徒出陣」にも相当する話ではないでしょうか?
たとえば、日本がアメリカの尻馬に乗って機雷除去といえども他国への攻撃に参加し、報復のテロを国内の原発にでも受けた日には、それこそ日本消滅になりかねないでしょう。
それくらいの危機感を、もっといわゆるリベラル派の既成政党も市民派・無党派も持たなければならないのです。そして、それに対応するためにも「無党派の時代から多党派の時代」に変化した市民の風潮に合わせた戦略を取らなければならないのです。
とはいえ、第二次世界大戦時よりは言論の自由もあるし、対抗する野党も健在です。70年前でも、大政翼賛会に反対する議員や、翼賛選挙を違憲とする判断を下した裁判官もいたのです。まだまだ、あきらめてはいけない。危機感を持ちつつ、あきらめずに、「ヒロシマの心活かす市民発・政界再編」へ広島瀬戸内新聞は奮闘します。

青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕日が 輝く小道を
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
戦争を知らない 子供たちさ

「戦争を知らない子供たち」
北山修作詞・杉田二郎作曲
 
2015年(核時代70年)5月 本紙社主・さとうしゅういち


 
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既成政党批判というビジネスモデルの終焉・・・市民派政治の岐路


統一地方選挙2015関連


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by hiroseto2004 | 2015-05-30 20:53 | ヒロシマの心活かす市民発・政界再編 | Trackback