御霊神社・祟り神となった井上皇后
祟り神となった井上皇后・御霊神社
井上内親王が背負った運命
聖武天皇や光明皇后、白鳳文化に東大寺、奈良時代には華やかな仏教文化のイメージが付いてまわるようですが、実は、とても暗い時代です。大津皇子謀叛事件、太政大臣高市皇子の死、長屋王謀叛事件(誣告)、藤原四兄弟疫病死、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の変、藤原仲麻呂の乱、聖武天皇も孝謙天皇も政変に翻弄されました。
それに、奈良時代の皇位継承者となるべき男子はほとんど長生きできませんでした。天武天皇の王子達は不幸でした。皇太子草壁皇子、天武帝が期待していた大津皇子、孫の文武天皇、みんな二十代で没しています。文武天皇のただ一人の後継者が聖武天皇でした。聖武天皇のただ一人の男子である安積皇子も若くして没します(暗殺説あり)。井上内親王は安積皇子の姉です。しかし、幼い時に斎宮に選ばれ潔斎の年月を送り、十一歳で伊勢斎宮となりました。母に甘える時期はほとんどなかったのです。
井上内親王が二十八歳の時、難波遷都の途次に安積親王が突然死します。そこで、斎宮の任を解かれ帰京したのです。やっと解放されたのではなく、井上内親王は聖武天皇のお嬢さんですから、やはり高貴な血は政争に利用されました。
酒におぼれていた(?)白壁王と結婚させられます。白壁王にとって内親王を妻に迎えるということは、皇位継承の地位に近づくことを意味しました。
井上内親王は四十四歳で他戸親王を生みます。(姫王も生んでいますが、この女性も斎宮に出され、後に山部親王と結婚させられます。山部親王が桓武天皇となるのです。高貴な女性に自由な選択肢はありませんでした。この内親王は出産しなかったので、聖武天皇の血統は絶えました)
770年、称徳(孝謙)女帝が崩御しました。そこで、藤原百川の謀で白壁王(光仁天皇)が即位しました。井上内親王は皇后になりましたが、井上内親王の役目は終わったのです。少なくとも藤原百川はそう判断しました。
皇后になって三年、聖武天皇の長女、井上内親王と息子の他戸親王を過酷な運命が襲いました。
呪詛したというので、廃后され、幽閉先で他戸親王と共に毒殺されたのです。
井上皇后の不可解な死は、天変地異とむすびついて当時の人々を混乱させました。朝廷も何とか鎮めようとして墓を改葬したりいろいろと手を尽くしたのでした。しかし、鎮まらなかったようです。
天災がその祟りだという迷信は、二百年経とうが三百年経とうが忘れられなかったということである。
元県社 御霊神社
鎮座地 五条市霊安時二二〇六番地
別称 御霊本宮 御霊宮大明神 四所御霊大明神 宇智郡大宮 御霊さん
ご祭神・
本 殿、 井上内親王(聖武天皇の皇女・光仁天皇の皇后。後、廃皇后・宇智郡没官の宅に流罪・逝去)
南脇社殿 他戸親王(井上内親王御子・皇太子・後、廃皇太子・宇智郡没官の宅に流罪・逝去)
北脇社殿 早良親王(他戸親王の異母兄弟・桓武天皇の御弟。皇太子・後に、長岡京遷都にからみ配流)
別 殿 火雷神(井上皇后配流の途中御誕生。雷神となられる。御山町に鎮座。式内社)
御縁起
御誕生 井上内親王は聖武天皇皇女として養老元年(717)御生誕。御母は県犬養宿祢広刀自。
斎王 養老五年、斎王に選ばれ、十一歳にして神宮に出仕。天平十七年、任を解かれ、帰京。
御結婚 白壁王とご結婚。天平宝字五年、他戸親王御生誕。
立皇后 宝亀元年(七七〇)白壁王即位。第四九代光仁天皇。井上内親王立皇后。
翌年、他戸親王立皇太子。
廃皇后 当時、政権を握る藤原百川は、山部王(桓武)を擁立し、逼迫した財政を立て直すため、井上皇后と他戸親王の失脚を謀り、宝亀三年、巫蠱(ふこ)の罪により皇后と皇太子を廃し、さらに、宝亀四年に井上内親王母子を厭魅(えんみ)の罪により大和国宇智郡没官の宅に流罪、幽閉。配流の途次、この地に至り、火雷大神をお産みになったと伝えられる。
御逝去 宝亀六年(七七五)四月二五日(二七日の説あり)井上内親王(五九歳)他戸親王(十五歳)にして、母子、暗殺され逝去と伝えられる。
御霊会 都に天災相次ぎ、悪疫流行した為、朝廷は内親王母子の霊魂の祟りと恐れ、都では御霊会を営み、墳墓を改葬する等して慰霊に勤めるも異変続く。
霊安寺:延暦十九年(八〇〇)七月、葛井王下向し、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立御霊を安め奉る。
創建 創建年代は不詳。霊安寺建立とともに御霊神社も創祀せられたと考えられている。
宮分け 宇智郡一円が氏子であったが、四条天皇、嘉禎四年(一二三八)豪族、吉原・牧野両氏の論争に起
因し、宮分けに発展したと伝えられる。論争の内容不詳。
当初十社に、徐々に宮分けが進み、最後に慶安四年(一六五一)に至り、野原に分社。
四百年の間に二十社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀された。
文化財
本殿 三間社流造。桃山様式。寛永十四年(一六三七)造営。棟札・古文書あり。県指定文化財 霊安寺
御霊大明神略縁起 祐成筆 長禄二年(一四五八)
大般若経 五三〇巻(天永三年の奥書)満願寺所蔵。国指定重要文化財。
祭典
例祭 十月二十二日、本社例祭。二十三日、五條御旅所例祭。今は、十月第四日曜日及びその前日。
太々神楽祭 隔年に斎行。四月第四日曜。
北脇社殿の早良親王は、桓武天皇の弟でした。父の光仁天皇が、皇太子に望んだのです。しかし、藤原百川や藤原種継とうまくいかなかったようです。藤原種継暗殺事件に絡んで天災がその祟りだという迷信は、二百年経とうが三百年経とうが忘れられなかったということである。
継体大王の物語を形象埴輪が語る
古代文化も人も西から東へ。古墳人は西から東へ移動した。
そこで、前回の話につなげるのですが、糸島の有力者は「お宝」を持って他地へ移動したのではないかと、書きました。しかし、彼らがお宝を持ちながら、次の為政者に近づき生き残ろうとしたと考えることもできます。
もちろん、皇后宮職という皇后直轄の役所で使われたのですから、一級品の紙だったのです。正倉院文書は現在も修復が重ねられています。なにしろ触れないほど経年劣化でボロボロなのです。しかし、「筑前国嶋郡戸籍川邊里」(国宝)の紙は立派です。国宝展で実物を見ましたが、修復されているとはいえ、その状態に驚きました。戸籍は公文書ですから、良い紙が使われたのでしょうが、このような紙を作る技術が嶋郡にはあったということです。
弥生時代を生き残るための糸島の有力者の選択
地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史
by tizudesiru
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173高市皇子の妃・但馬皇女の恋歌
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181藤原不比等とは何者か(2)
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187難波宮を寿ぐ歌
188孝徳帝の難波宮を寿ぐ
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190間人皇后の難波宮脱出
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192軽太郎女皇女の歌
193人麻呂編集の万葉集
194万葉集は倭国の歌
195聖武天皇と元正天皇の約束
196玄昉の墓は沈黙する
197光明子の苦悩と懺悔
198光明皇后の不幸と不運
199光明皇后の深い憂鬱
200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独
201家持と橘奈良麻呂謀反事件
202藤原仲麻呂暗殺計画
203藤原仲麻呂の最後
204和気王の謀反
204吉備真備の挫折と王朝の交替
205藤原宮の御井の歌
206古墳散歩・唐津湾
208飛鳥寺は面白い
209石舞台・都塚・坂田寺
210石川麿の山田寺
211中大兄とは何者か
212中大兄の遅すぎる即位
213人麻呂、近江京を詠む
214天智天皇が建てた寺
215中大兄の三山歌を読む
216小郡市埋蔵文化財センター
217熊本・陣内廃寺の瓦
218熊本の古代寺院・浄水寺
219法起寺式伽藍は九州に多い
220斑鳩の法輪寺の瓦
221斑鳩寺は若草伽藍
223古代山城シンポジウム
224樟が語る古代
225 九州の古代山城の不思議
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231神籠石築造は国家的大事業
232岩戸山古墳の歴史資料館
233似ている耳飾のはなし
234小郡官衙見学会
235 基肄城の水門石組み
236藤ノ木古墳は6世紀ですか?
237パルメットの謎
238米原長者伝説の鞠智城
239神籠石は消された?
240藤原鎌足の墓
240神籠石の水門の技術
241神籠石と横穴式古墳の共通点
242紀伊国・玉津島神社
243 柿本人麻呂と玉津島
244花の吉野の別れ歌
245雲居の桜
246熊本地震後の塚原古墳群
247岩戸山古墳と八女丘陵
248賀茂神社の古墳と浮羽の春
249再び高松塚古墳の被葬者
250静かなる高麗寺跡
251恭仁京・一瞬の夢
252瓦に込めた聖武帝の願い
253橘諸兄左大臣、黄泉の国に遊ぶ
254新薬師寺・光明子の下心
255 東大寺は興福寺と並ぶ
256平城京と平安京
257蘇我氏の本貫・寺・瓦窯・神社
258ホケノ山古墳の周辺
259王権と高市皇子の苦悩
260隅田八幡・人物画像鏡
大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
270邪馬台国論争なぜ続くのか
271長屋王の亡骸を抱いた男・平群廣成
272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
290柿本人麻呂が献歌した天武朝の皇子達
291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
293彷徨える三角縁神獣鏡?赤塚古墳
294青銅鏡は紀元前に国産が始まった!
295三角縁神獣鏡の製造の時期は何時?
296仙厓和尚が住んだ天目山幻住庵禅寺
297鉄製品も弥生から製造していた
298沖ノ島祭祀・ヒストリアが謎の結論
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300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
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310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
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324三国志魏書倭人伝に書かれていること
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和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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