金融市場における学習と非線形性の出現

というNBER論文が上がっている(ungated版)。原題は「Learning and the Emergence of Nonlinearity in Financial Markets」で、著者はIan Dew-Becker(シカゴ連銀)、Stefano Giglio(イェール大)、Pooya Molavi(ノースウエスタン大)。
以下はその要旨。

Financial markets (and more generally the real economy) display a wide range of important nonlinearities. This paper focuses on stock returns, which are skewed left – generating crashes – and whose volatility moves over time, is itself skewed, is strongly related to the level of prices, and displays long memory. This paper shows that such behavior is almost inevitable when prices are formed by investors acquiring information about the true, but latent, value of stocks. It studies a general model of filtering in which agents receive signals about the fundamental value of the stock market and dynamically update their beliefs (potentially with biases). When those beliefs are non-normal and investors believe crashes can happen, prices generically display the range of nonlinearities observed in the data. While the model does not explain where crashes come from, it shows that investors believing that prices can crash is sufficient to generate the rich higher-order dynamics observed empirically. In a simple calibration with iid shocks to fundamentals, the model fits well quantitatively, and regression-based tests support the model’s mechanism.
(拙訳)
金融市場(そして実体経済一般)は、幅広く重要な非線形性を示す。本稿は、株式のリターンに焦点を当てる。株式のリターンは左に歪んでおり、それが暴落をもたらす。また、そのボラティリティは時間とともに変動し、それ自体が歪んでおり、株価水準と強い相関があり、長期記憶を示す。本稿は、投資家が株式の真ではあるが潜在的な価値に関する情報を得ることで株価が形成される場合、そうした振る舞いはほぼ不可避であることを示す。本稿は、主体が株式市場のファンダメンタルバリューに関するシグナルを受け取り、自分の考えを(おそらくはバイアスを以って)動的に更新するというフィルタリングの一般モデルを調べる。そうした考えが正規分布ではなく投資家が暴落が起き得ると考えているならば、株価はデータで観測される各種の非線形性を一般に示す。モデルは暴落の原因を説明しないが、株価が暴落し得ると信じている投資家が、実証的に観測される豊富な高次の動学を生成するのに十分であることを示す。ファンダメンタルズに独立同分布に従うショックを与える単純なカリブレーションで、モデルは定量的に良く当てはまり、また回帰ベースの検証はモデルのメカニズムを支持する。

結論部では、情報獲得の問題は経済学で一般的な話で、正規性の仮定がデータの良い近似になるとは限らない、と指摘し、例としてインフレを上げている。従って、ここでの分析は、歪みが大きくボラティリティが水準と相関しているインフレ予想の推移の理解に役立つかもしれない、とのことである。

なぜ債務GDP比率を気にする?

というNBER論文が上がっている(H/T タイラー・コーエン、昨年5月時点のWPへのリンクがある著者の一人の大学のページ)。原題は「Why Care About Debt-to-GDP?」で、著者はJonathan B. Berk(スタンフォード大)、Jules H. van Binsbergen(ペンシルベニア大)。
以下は過去40年に債務GDP比率が英国は倍、米国は3倍、日本は4倍になったことを示す論文の図。

以下は米国について債務GDP比率以外に2つの債務指標(債務株式比率、利払い費GDP比率)を描いた図。後者の2指標は現在最高水準にあるわけではなく、債務株式比率はむしろ低下傾向にある。

19か国について集計しても同様の結果が得られる(19か国はアルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、日本、メキシコ、オランダ、ロシア、スペイン、スウェーデン、英国、米国)。

この結果について論文では以下のように考察している。

  • 債務GDP比率はストックとフローの比率である。ストックとフローの比率を使うのは経済学者にとって異例のことではないが、そうした比率が有用であるためには強い定常性の仮定が必要となる。債務GDP比率の場合は、債務とGDPが共和分関係にあることが重要な仮定になる。最近の成長と金利の長期トレンドに鑑みると、データでその仮定が成立している可能性は低い。
  • 長期トレンドが存在する非定常的な世界では、フローとフロー、ストックとストックの比率の方が有用だろう。例えば成長の変化は株式の評価と政府の債務利払いの両方に反映されるだろう。また、企業価値(将来のキャッシュフローの現在価値)は課税可能な将来のキャッシュフロー(資産)の重要な指標である。
  • コーポレートファイナスとマクロ経済学の両方で、完全に合理的な主体のいる完全市場では債務水準は実質的な結果に影響しない、という結果が出ている。その結果は、コーポレートファイナンスではモジリアニ=ミラーの命題、マクロ経済学ではリカードの中立性として知られている*1。どちらの命題も実証結果を完全に説明しないことを経済学者は確認している。ただ、そこから両者の研究は分岐している。
    • コーポレートファイナンスでは、どの仮定が成立していないかの識別を追究し、その洞察を企業の資本構造の決定を精緻化して債務の最適水準を導出するのに用いた。
    • マクロ経済学では、リカードの中立性は導出のための強い仮定の結果と見做された。実際にその仮定が成立するとはほとんど誰も考えなかったため、どの仮定によって理論が実証面で成立しなかったかが追究されることは無かった。そのため、政府債務は経済成長と債務不履行の可能性の両方にとって重要、という一般的な概念は展開されたものの、アルゼンチンのような見たところ低い債務GDP比率(40%)で債務危機が発生し、同比率が250%に達する日本がそうした危機に直面していないように見える理由についてあまり理解が進んでいない。
  • リカードの中立性の不成立をもたらした主要な仮定からの乖離を識別しない限り、どの債務指標がこの問題について有用かを決定することはできない。政府の債務不履行が経済の悪化と関係しているのは誰しもが認めるところだが、完全市場ではその因果関係は一方向ではない。
    • 例えばコーポレートファイナンスでは、完全市場における企業の債務不履行と企業の経済的な苦境の因果関係を推定するためには、何らかの摩擦が必要となる。そのため、既存の研究はそうした摩擦の識別とその大きさの評価に注力してきた。

ベネズエラの件の雑感

素人なりに思い付いたことを取りあえず書いてみる。

  • トランプは企業買収の枠組みで物事を捉えているのではないか。即ち、ビジネス上目障りな会社の株式を買い占めて緊急動議でCEOを追い出し、最大株主としてその会社を支配する、という感覚で動いているのではないか。取りあえずは副大統領に国家運営を任せる、というのは、買収直後にいったん従来のNo.2を暫定CEOに据える、という感覚か。
    • 企業買収の枠組みで考えているので、国際法の枠組みがどうこう言っても話が通用しない。本人がプロレスのつもりでやっていることを、ボクシングのルールを守っていないと批判しても、アリと猪木の異種格闘技戦と同じくらい噛み合わない話となる。
    • 企業買収ならば、皆が企業関連の法規を守ることが前提なので、株式を握ってしまえばかなりのことが思い通りに進む。また、米国のような法治国家においては、大統領になってしまえば、やはりかなりのことが思う通りに進む。そうした個人的な成功体験が今回の行動の背景にあるかもしれないが、余所の国、しかも失敗国家の運営についてはそう易々と事は運ばないだろう。
    • 株主総会や役員会での決議と違い、軍事作戦では人命が失われる。第1期政権の初期には、トランプは人命の損失を忌避する傾向があるとされてきたが、米議会襲撃事件の際は、自らの思い込みによる扇動で人命が失われても平然としていた。権力の座にあるうちにその点について段々と感覚が麻痺してきた可能性もある。
  • ベネズエラ国民の多くは独裁者が去って喜んでいるが、指摘されている通り、これは今回の作戦の目的ではない。喩えるなら、DV親父が居なくなって子供が喜んでいるが、別に親父はDVが咎められて公的機関に捕縛されたわけではなく、ビジネス上のトラブルでライバル組織に拉致されただけ。
  • その伝で行くと、中国の行動は、国内でDVを振るっている親父が、近隣の家庭に対し、そもそもそこの土地は俺のものだとして勢力範囲を広げようとしている感じか。ロシアのウクライナ侵攻は、分家して大きくなった組織が、別の道を歩もうとしている本家を支配しようと殴り込みを掛けている構図。
  • 五大国のうち三大国がこのように勝手気ままな行動を取っている状況では、指摘されている通り、国際法は無力に近い。いわば、各国がロイ・ビーン*1気取りで手前勝手な法律解釈により行動している状況。他の国は、彼らロイ・ビーンたちに少しでも良識と正義感が残されていることを期待するしかない。だが、頼みの綱だった米国も、元々独善的だったにせよ、ワン・オブ・ゼムに堕しつつある。各国はこれを固唾を呑んで見守るしかない。
  • 今回の件、ないしこれまでの国際政治の推移から得られる教訓は、非民主的で国民を弾圧する国は、力を付けると、いずれ他国にも牙をむく、ということではないか。中露はもちろん、米国も強権体質の人をトップを据えたことで民主主義が少しおかしくなるとあっという間に他国に対し威圧的・暴力的な行動を取るようになった。抑止理論は、そうした国を抑え込むための戦略理論で、いわばex postに専制政治を抑え込むための理論だった。今後は、ex anteに専制政治を抑え込む理論、言うなれば経済危機についてのFRBビューではなくBISビュー的な理論をもっと真剣に考える必要があるのではないか。その場合、国際法の根幹の一つである内政不干渉についても見直す必要があるかもしれない。

*1:cf. Roy Bean - Wikipedia。

購買力平価と実質実効為替相場の間に潜む罠

表題の件に関する思考実験として、二国一財モデルを考えてみる。ここでは便宜上、二国を日本と米国とする。なお、あくまでも素人考えなので、その点は割り引いて受け止められたい。
当初時点(時点1)で、財が、日本国内では100円、米国国内では1ドルで取引されているものとしよう。購買力平価から、為替相場は1ドル=100円となる。この時点では、為替相場が購買力平価に等しいものとする。
時点2で、米国の物価が倍増し、日本の物価はそのままだったとする。即ち、財が、日本国内では100円、米国国内では2ドルで取引されるようになる。
この場合、購買力平価は1ドル=50円となる。仮に、為替相場が購買力平価に沿って実際に1ドル=50円になったとしよう。その場合、円の名目実効相場は、当初時点を100とすると、200となる。一方、円の実質実効相場は、同じく当初時点を100とすると、100のまま変わらない。
ここで両国のGDPを考えてみよう。単純化のため、時点1と時点2で両国とも実質GDPは変わらなかったとする。その場合、名目GDPは、日本は不変だが、米国は倍増する。購買力平価や名目実効相場で換算して両国のGDPを比較した場合は、時点1と時点2でその比率は変わらない。一方、実質実効相場で換算すると、米国が倍になったことになる。
この差はなぜ生じるのだろうか? 簡単に言えば、購買力平価の考え方において物価上昇(インフレ)は購買力を毀損するものとしてネガティブに働くのに対し、実質実効為替レートの考え方においては物価が上昇するとその通貨の価値が上昇したのと同等の扱いになる、といういわば正反対の捉え方をしているためである。
現実には、物価上昇についてどちらの解釈が当てはまるかはケースバイケースになる。あるいは、両者の組み合わせになるかもしれない。それによって、為替相場が購買力平価に沿って動くか、それとも乖離するかが決まる。加えて、現実世界では、金利や経常収支といった要因が為替を大きく左右する。上例で、仮にドルが1ドル=50円まで下がらずに1ドル=75円の下落に留まった場合、両国の実質GDPには変化が無いにもかかわらず、米国の相対的な名目GDPは1.5倍になる。
また、昨今の経験に照らすと、物価上昇がコストプッシュによるものだからと言って通貨価値を毀損する方向に働くとは必ずしも限らない。コロナ禍やウクライナ戦争を経て海外の物価は日本より大きく上昇し(特にエネルギー価格)、その分、生活は苦しくなったことが報告されたが、賃金もそれなりに引き上げられ、実質成長率もそれなりの水準を維持した。一方、日本はインフレ率は海外ほど急騰しなかったものの、その分上昇が長引き、足元ではむしろ海外を上回っている(このことには、政策でインフレを抑えたことも寄与していると考えられる)。また、金利差と貿易赤字により、為替相場ではむしろ円安が進行した。そのため、(海外に比べれば低かったかもしれないが)そこそこの実質成長率を維持したにもかかわらず、名目GDPは海外に比べて一層小さくなった。
ここから得られる一つの意外な教訓は、物価上昇は、たとえそれがコストプッシュによるものであったとしても、実質成長率を維持できる範囲のものであれば、海外との比較において名目GDPを押し上げるブースト効果を持ち得る、ということである。ただしその代償として、インフレ対策による金利上昇や、所得上昇が物価上昇に遅れをとることによってもたらされる国民の厚生の低下が生じる。そうした点からも、厚生の低下を限定的なものとする程度のインフレは望ましいと言えるのかもしれない。

人的資本と発展

というNBER論文をアギオンらが上げている。原題は「Human Capital and Development」で、著者はPhilippe Aghion(コレージュ・ド・フランス)、Ingvild AlmÃ¥s(ノルウェー経済高等学院)、Costas Meghir(イェール大)。
以下はその要旨。

Human capital is central to efforts to promote growth, convergence, and the elimination of poverty. Drawing on the seminal macroeconomic frameworks by Nelson-Phelps, Lucas and subsequent developments, alongside macro and microeconomic evidence, we examine the role of human capital in driving innovation and growth. We highlight how different types of human capital, characterized by education level, matter in different stages of development. Despite documented increases in years of schooling, the world’s poorest regions still see stagnating outcomes in learning and education quality, potentially creating poverty traps where investments in neither physical nor human capital materialize. We discuss obstacles to human capital accumulation through a simple analytical framework and present evidence from randomized interventions spanning early childhood programs to school-age initiatives, assessing policies that can effectively remove barriers to skill acquisition and establish foundations for sustained growth.
(拙訳)
人的資本は、成長の促進、収斂、および貧困の除去のための努力の中心にある。ネルソン=フェルプス、ルーカスの影響力の大きいマクロ経済の枠組みとその後の展開、ならびにマクロとミクロの経済学の実証結果に基づいて我々は、イノベーションと成長における人的資本の役割を調べた。教育水準によって特徴付けられる異なる種類の人的資本が発展の異なる段階でどのように重要になるかを我々は明らかにした。学校教育期間の増加が報告されているにもかかわらず、世界の再貧困地域では学習と教育の質における成果が未だに上がっておらず、おそらくは物的資本、人的資本いずれへの投資も具現化しない貧困の罠を生み出している。我々は、単純な分析の枠組みを通じて人的資本蓄積への障害を論じ、幼児期のプログラムから学齢期のイニシアティブに亘るランダム化された措置による実証結果を提示し、効果的に技能獲得への障壁を除去し持続的な成長のための基礎を確立する政策を評価する。

ungated版は見当たらなかったが、アギオンは昨年共にノーベル賞を受賞したピーター・ホーウィット(Peter Howitt)らと2010年に「The Relationship Between Health and Growth: When Lucas Meets Nelson-Phelps」という論文を書いている(Nelson-PhelpsはNelson, R. and E. Phelps (1966). Investment in Humans, Technological Diffusion, and Economic Growth. American Economic Review, vol. 61, 69-75.、LucasはLucas, R. (1988). On the Mechanics of Economic Development. Journal of Monetary Economics, vol. 22, 3-42.)。

家計と企業の不均一性を備えたニューケインジアン経済学

というNBER論文が上がっている(ungated版)。原題は「New Keynesian Economics with Household and Firm Heterogeneity」で、著者はThomas Winberry(ペンシルベニア大)、Adrien Auclert(スタンフォード大)、Matthew Rognlie(ノースウエスタン大)、Ludwig Straub(ハーバード大)。
以下はその要旨。

The Heterogeneous-Agent New Keynesian literature has revisited the transmission of monetary and fiscal policy to consumption using models where heterogeneous households face idiosyncratic income risk and borrowing constraints. We show that the key lessons from this literature also apply to investment using a model where heterogeneous firms face idiosyncratic productivity risk and financial frictions: constrained firms’ investment depends on their free cash flow, generating indirect effects of monetary policy and implying that transfer payments stimulate investment demand. Quantitatively, the strength of these new mechanisms is governed by firms’ marginal propensities to invest (MPIs), similar to the role of marginal propensities to consume (MPCs) for households. But unlike MPCs, we currently lack quasi-experimental evidence about MPIs that we can use to directly discipline the new mechanisms.
(拙訳)
不均一主体ニューケインジアンモデルの研究は、不均一な家計が各自固有の所得リスクと借り入れ制約に直面するモデルを用いて、金融財政政策から消費への伝播を再検討した。不均一な企業が各自固有の生産性リスクと金融摩擦に直面するモデルを用いて我々は、その研究からの主要な教訓は投資にも当てはまることを示す。制約のある企業の投資はフリーキャッシュフローに左右されるため、金融政策からの間接的な影響が生じ、移転支出が投資需要を刺激することが導かれる。定量的には、この新たなメカニズムの強度は企業の限界投資性向(MPI)で決まる。これは、家計にとっての限界消費性向(MPC)の役割に似ている。しかしMPCとは異なり、現在我々は、MPIについて新メカニズムを直接律するのに使える疑似実験的な実証結果を欠いている。

結論部では、ニューケインジアンの第一波を代表的個人モデル、第二波をHANKと位置付けた上で、第三波はHANKに不均一な企業を組み入れたものになるのではないか、として、今回の論文が今後の研究の予告編となることを望む、と述べている。

日本経済の個人的な理解

新年を迎えたからというわけでもないが、何となくこの辺りで自分の日本経済に対する理解をまとめておきたくなったので、Q&A形式でまとめてみる。自分でもきちんと考えを詰めていない生煮えの話があったりするので異論は多々あろうかと思うが、取りあえずのあくまでも個人的な理解のまとめということで。


Q. 日本経済低迷の最大の原因はつまるところ何だったのか?

A. クルーグマンが早くから見抜いていたように、人口減少。
日本の人口減少は、まず総需要不足という形で日本経済を襲った。その結果、金利をゼロにまで下げても需給が均衡しない状況が続き、デフレ経済に陥った。
バブル崩壊と重なったため、不良債権をはじめとする金融システム問題が根本原因かと思われたが、小泉=竹中体制下で不良債権を最終処理してもデフレ経済からは脱却できなかった。
人口減少と経済成長は関係ないことは実証されている、という意見もあるが、そこで参照されている実証例は途上国経済であることが多い*1。需要不足経済における人口減少の影響は比較的未知の領域で、日本が先頭ランナーになった格好。人口減少、ないし正確にはそれによる自然利子率の低下については、最近研究ã‚„議論がなされている。


Q. 人口減少は労働力減少も同時に招くので、総需要だけでなく総供給も下げるのでは?

A. 人口の減少の影響は供給よりもまず需要に現れる、というタイムラグがあると考えられる。また、前回エントリで示したように、就業人口は2000年代初めに低迷した後に2010年代半ば以降は労働参加率の上昇によって回復しており、総人口のように低下一辺倒ではない*2。さらにそこで示したように、生産性の上昇によって人口減少の供給への影響は十分に逆転可能*3。


Q. 日本の生産性はなぜ低いのか?

A. これについては様々に議論されており、おそらくそのどれもが一因になっているのであろう。思い付くままに挙げると:

  • 戦後の高度成長をもたらしたダイナミクス(アニマルスピリット)が失われた
    • 経営者や政治家の小粒化
  • 冷戦という「幸運」の「喪失」
    • 戦後、冷戦がもたらした政治的要因に足を絡めとられてアジア諸国などが経済的離陸をなかなか果たせない中、日本が世界の工場としての立場を享受し躍進することができたが、冷戦終結とともに新興国にその役割が取って代わられた
  • 長引く不況による悪影響
  • その他、日本の構造的要因(cf. 「不振」から「活発」へ:今日におけるアダム・スミスの重要性 - himaginary’s diary)
    • いわば、かつて欧州について取沙汰された「ユーロスクレローシス(cf. Eurosclerosis - Wikipedia)」の日本版
      • これにも高齢化の影響という面がある?
    • プロジェクト運営の下手さ(cf. 日本人とプロジェクト - himaginary’s diary)
      • ともすれば過去の成功体験を模倣するだけ(カーゴ・カルト)に堕してしまう傾向
    • 少し前にこちらのツイートでまとめられていた点も参照


Q. 生産性を高めるためにどうすれば良いか?

A. クルーグマンはかつて「クル-グマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫 ク 17-2)」などで、「(Productivity isn't everything, but, in the long run, it is almost everything)生産性はすべてではないが、長期的にはそれがほとんどすべて」と述べたが、同時に、生産性の減速と加速の原因を突き止めるのは非常に難しいこと、政策的に生産性を上げる余地は限られることを指摘した。ただ、教育水準の向上や産業研究コンソーシアムの支援などに可能性があるという見解も示した*4。
最近では、公的な研究開発の社会的収益 - himaginary’s diary、経済成長を高めることによって連邦財政赤字を減らす政策 - himaginary’s diary、研究投資の経済ならびに予算への効果の推計 - himaginary’s diary、政府の研究開発支援は自らを賄うのか? - himaginary’s diaryで紹介したように、研究開発への支援が生産性に及ぼす影響に関する研究も出始めている。経済学的にはまだ因果効果が確立した段階には至っているとは言えないかもしれないが*5、大学や企業への研究開発支援は生産性を高める有望な方策であるように思われる。


Q. 為替相場と日本経済低迷の関係は?

A. デフレは円高につながったと考えられる*6。円高が進んだ時代は、消費者の海外製品に対する購買力が高く、また、ドル建てGDPが大きくなることで日本経済が国際経済の中で占める位置が相対的に高かったので往時を懐かしむ人もいるが*7、一方で輸出産業の海外移転が進むという副作用もあった。
製造業の海外移転が進んだことで円安に戻っても輸出が伸びず、また、現地生産の利便性が意識されることで国内に生産が戻る動きも乏しかった*8。その結果、東日本大震災(この時も円高が進んだ)を機に生じた貿易赤字が定着した。そのように貿易赤字が定着した上に、現地生産で得た利益はそのまま現地企業で保持する円に換える動きも乏しく、それが最近の円安を進めた、というのは唐鎌大輔氏などがつとに指摘していることである。


Q. アベノミクスの評価は?

A. ゼロ金利制約に非伝統的金融政策で対応しようとした、という点でアベノミクス(クルーグマン流に言えばクロダノミクス)は海外の主流派経済学の知見に沿ったものだった。その前から日銀は非伝統的金融政策を進めていたが、半身で進めている面が目に付き、本腰を入れたのがアベノミクス以降、と言える。その点について例えばDell'Ariccia et al.(2018)(H/T 伊津野英克氏ツイート)では

the unconventional monetary policy measures adopted by the Bank of Japan between 2010 and 2012 had a muted impact on inflation probably because the central bank’s commitment to deliver sustained inflation was undermined by decades of mild deflation. Stronger effects were associated with the unconventional monetary policy measures adopted in 2013 when Prime Minister Abe provided political backing for the Bank of Japan to provide aggressive monetary stimulus.
(伊津野英克氏訳)
日本銀行が2010年から2012年にかけて採用した非伝統的金融政策手段は、インフレ率へのインパクトが弱かった。おそらく、持続的なインフレを実現するという中央銀行のコミットメントが、数十年にわたる穏やかなデフレによって損なわれていたからであろう。2013年に採用された非伝統的金融政策は、安倍首相が日銀に積極的な金融刺激策を提供するよう政治的支援を提供したため、より強い効果をもたらした。

と述べている*9。喩えるなら、ねじを外そうとしたが本腰を入れて取り組まなかったので何度も失敗し、ねじ山を擦り潰してしまって、その後の試みがやりにくくなった格好である*10。
なお、クルーグマンは流動性の罠を根絶したはずの疫病に喩えていた*11。その疫病に対処するためにクルーグマンが提唱したのがリフレ政策で、いわば疫病に対して経済学者が処方したワクチンに相当し、実際にそれを本格的に適用したのがアベノミクスということになる。そうした政策に対して賛否両論あるのは自然なことだが、本物のワクチンに反対するいわゆる「反ワク」と同様、非科学的な批判も散見される。コロナウイルスに対応するmRNAワクチンについては長期的な影響を過大評価している批判が良く見られるが、現在の円安やインフレをすべてアベノミクスのせいとする批判もそれに類似している*12。インフレについてはウクライナ戦争やコロナ禍、円安についてはそれらの要因に加えて上述のような日本経済のより幅広い構造に起因する面も大きいと考えられるが、アベノミクスにひたすら責めを負わせる人はその点を無視してるように思われる*13。
逆に言えば、(政府はまだ宣言していないが)最終的なデフレ脱却はアベノミクスだけでは十分ではなく*14、コロナ禍とウクライナ戦争によるインフレを要したということであり、それだけ流動性の罠の脱出は大変、ということを今回の経験は指し示しているように思われる。その点は、米国において大恐慌の影響を払拭するのがニューディールでは不十分で、第二次世界大戦を要した、という議論*15と同様と言える。


Q. 今後の日本のインフレはどうなるか?

A. 直近の展望レポートでは、「消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、米などの食料品価格上昇の影響が減衰していくもとで、来年度前半にかけて、2%を下回る水準までプラス幅を縮小していくと考えられる。この間、消費者物価の基調的な上昇率は、成長ペースの影響などを受けて伸び悩むことが見込まれる。その後は、成長率が高まるもとで人手不足感が強まり、中長期的な予想物価上昇率が上昇していくことから、基調的な物価上昇率と消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率はともに徐々に高まっていくと予想」となっている。ただ、「中長期的な予想物価上昇率が上昇」が本当に実現するかが問題で、人口減少が続く中、長期停滞の再来の可能性は否定できないようにも思われる。この点は(日本に限らず先進国について)サマーズとブランシャールで意見が分かれたところである(cf. 長期停滞は終わらない - himaginary’s diary、サマーズ対ブランシャール:今後の金利を巡る議論 - himaginary’s diary)。また、クルーグマンが、流動性の罠が例外的な事態ではなく常態となるという、1998年のIt’s Baaack論文で想定していなかった状況として懸念したところである(cf. 20年後のIt’s Baaack・その4 - himaginary’s diary)。長期停滞の再来の可能性についてサマーズとブランシャールのどちらが正しいか、ないし、クルーグマンの懸念が当たるか否かは、現段階では確言するのは難しいのではないか。


Q. 財政政策はどうあるべきか、ないし、財政赤字や国の債務はどうすべきか?

A. 個人的には、その問題はHDDレコーダーの残り時間が一つの比喩になるのではないかと考えている。見るかどうか分からない番組も含めて闇雲に録画していけばHDDレコーダーの残り時間が無くなってしまうのと同様、闇雲に財政を拡大すればいつか財政破綻が訪れる可能性がある。自国通貨建てならば財政破綻はしない、という意見もあるが、そういう論者もインフレが生じることは認めている。反緊縮財政論者が良く引き合いに出す21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略 (日本経済新聞出版)の著者のブランシャールも、無制限な財政ファイナンスには与しておらず、最近は母国フランスに対して緊縮財政を訴えている(cf. ブランシャールのタカ派とハト派論 - himaginary’s diary、ブランシャール「今は財政緊縮をすべき時」 - himaginary’s diary)。
ただ、だからと言って見たい番組も録らずにHDDレコーダーの空き時間をひたすら増やすのは、HDDレコーダーの本来の機能を活用していないということで馬鹿げている。同様に、財政黒字を貯めて債務を減らすことに血道を上げ、本来支援すべき国民を支援しないのは賢い行動とは言えないだけでなく、残酷でさえある。HDDレコーダーと違い、財政黒字にはマクロ経済を収縮させるという副作用もある(cf. 財政黒字ギャンブル? - himaginary’s diary、財政赤字ギャンブルの得失 - himaginary’s diary)。
では、どの程度の債務が適切か、ということが問題になるが、流動性の罠に陥った時には政策の総動員が必要になるため、財政政策を臆せずに打つべし、というのはかねてからクルーグマンやターナー(cf. 財政刺激策と中央銀行の独立性を調和させる - himaginary’s diary、鎖につながれたヘリコプター - himaginary’s diary)が訴えていることである。
それ以外の時における適切な財政赤字や適切な債務水準は、経済学者も分からない、というのが実情(cf. ノア・スミス「どうしてみんな政府の赤字を心配してるの?」(2021年10月8日) – 経済学101)。
そうした現状に鑑みると、「野放図な財政政策は避けるべきだが、『野放図な緊縮財政』も避けるべき」、ということくらいしか今は言えないように思われる。経済学が進歩し、反緊縮派と緊縮派がモデルや実証結果に基づいて議論できるようになれば、両者が同じ土俵で定量的・定性的な議論ができるようになり、財政赤字を巡る論点整理の一つの試み - himaginary’s diaryで論じたようにEBPM重視で話が収斂していく可能性はあるが、そこまでの道のりは遠いと言わざるを得ない。
ただ、そうした理想に少しでも近づくためには、CBO的な組織=独立財政機関はやはりあった方が良いかと思われる(cf. 中銀・財政機関の「独立性」、本質再考を 鶴光太郎氏 - 日本経済新聞での鶴氏の論考、ある金融財政協調策の提案 - himaginary’s diary、中銀の独立性はそれでも必要? - himaginary’s diaryで紹介したYatesの議論(特に英国の予算責任局の役割についての提案)、財政ルール:愛されやすく誤魔化しにくいものとすべし - himaginary’s diaryで紹介したIMFブログでの財政ルールの議論)。一部の人が懸念するように緊縮一辺倒の組織になってしまう可能性もあるが、最近の世論や政治の動向を考えるとならない可能性も十分にあるように思われる。

*1:cf. himaginaryのブックマーク / 2010年10月18日 - はてなブックマーク。

*2:なお、そこで示したグラフでは、総人口が減少し始める前に名目GDPが低迷している。これについては、人口減少というほぼ確定した将来が現在の行動に影響するという予想効果で説明できるのではないかと考えている。

*3:この点については、例えば生産性についてドイツを見習うべし、という指摘もある(cf. だから「勤勉な日本人」は貧乏になった…「定時で帰るドイツ人」に追い抜かれ、GDP4位に転落した決定的理由 日本企業が「非正規を増やしたツケ」で失ったもの | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン))。

*4:3年前には、ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンが激白「日本経済を復活させるには、定年を廃止せよ」(週刊現代) - 3ページ目 | 現代ビジネス | 講談社で日本の生産性悪化の一因として定年制度を挙げたりしている。

*5:こちらのツイートなどで指摘されているように、その点については、日本の大学法人化以降の傾向も一つの有力なエビデンスとなり得る可能性を秘めているように思われる。もしそれがエビデンスとして確立するならば、米百俵の精神を唱えていた小泉純一郎氏自身が、率先して日本にとって最も重要な米俵の一つを潰してしまった、という皮肉な結果が実証的に確かめられることになろう。そうした結果に至った背景には、ともすれば左派的な傾向に流れがちなアカデミズムへの自民党(ないし清和会)の反発があったのかもしれないが(あるいは腕時計をハンマーで修理するなかれ - himaginary’s diaryで指摘したような単なる反知性主義だったかもしれないが)、そこは鄧小平の「白猫黒猫論」(黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ - Wikipedia)よろしく「左派の学者でも右派の学者でも優れた研究開発を進めるのが良い学者だ」と割り切ってほしかった気がする。

*6:cf. デフレは“トロイの木馬”によりもたらされたのか? - himaginary’s diary、円、なぜ「安全通貨」か 経済の実力と隔たり - 日本経済新聞。

*7:菊池誠氏がこちらのツイートで指摘したように、その当時のドル建てGDPは明らかに実力から乖離していたと考えられる。実力から乖離した状態は長く続かないというのが普遍的な真理だとすれば、アベノミクスはその乖離の解消を早めただけと言える。個人的には、実力以上の円高への郷愁は、第二次大戦前・戦中に実力以上に版図を広げた日本への郷愁に類似した傾向と受け止めており(前者が左派、後者が極右にみられがちな傾向というのは皮肉な話ではあるが)、Wikipediaの「その他の用法/消費社会」における説明の「表層にだけ拘り実態を見ない」という点で一種のカーゴ・カルトであると考えている。また、実質実効レートで円相場の現在の弱さを強調する人もいるが、前々回エントリで指摘したように、このレートは海外のインフレが日本に比べて高進すると円下落を増幅するという問題がある。

*8:こうした履歴効果の悪影響が強く残るという点でも太平洋戦争に類似していると言える。当時の日本のアジア各国への行状が未だに尾を引き、未だに国益を損ねていることは、中国が折に触れ歴史カードを持ち出すことに良く表れている(なお、このように書くとそうした中国の主張に何らかの正当性があると考えているように誤解されそうだが、当時の日本の行状の最大の負の遺産は中国共産党政権そのもの、というのが小生の以前からの考え)。

*9:これは、論文が考察した非伝統的金融政策が効果を発揮する3つの環境(1.金融危機が高まった時に効果が強まる、2.デフレ圧力が長引き経済がゼロ金利下限に長く留まると予想された時に効果が弱い、3.持続的な金融緩和を提供しようとする点において中銀が信頼される必要)の3点目の例証として挙げた記述である(ちなみに2点目についても日本が象徴的な例証として挙げられている)。なお、この論文の表3に記された日本における非伝統的金融政策の効果は、本ブログの日本における非伝統的金融政策の効果 - himaginary’s diaryで紹介した。

*10:昨年2月のこちらのツイートでブランシャールは、利下げを出し惜しみした結果として、一層厳しい制約下での一層の金融緩和策が後で必要になる状況について警告した。これは、日本のこうした経験が念頭にあったと思われるが、Shirakawa(2023)対白川(2002) - himaginary’s diaryで引用した白川(2002)のゼロ金利制約の厳しさに関する指摘は、まさにブランシャールが警告した状況に陥った現場からの悲鳴のような趣きがある。

*11:The Return of Depression Economics (1999)では「The truth is that the world economy poses more dangers than we had imagined. Problems we thought we knew how to cure have once again become intractable, like temporarily suppressed bacteria that eventually evolve a resistance to antibiotics. More specifically, the problem of aggregate demand -- of getting people to spend enough to employ the economy's productive capacity -- is not, as we might have thought, always a problem with an easy solution. While it may often be possible for countries, especially large, stable, self-sufficient economies like the United States, to handle recessions simply by printing more money, we are finding an increasing number of cases in which countries find either that they cannot apply that same medicine or that the medicine is ineffectual. There is, in short, a definite whiff of the 1930s in the air.」と書いている。以下の本では、「実際のところ、世界経済は私たちが想像しているよりもはるかに大きな危機の様相を示しているのである。私たちが解決策を知っていると思っていた問題が、一時期は撲滅されたと考えられていたバクテリアが最終的に抗生物質に対する抗体を作り出したように、ふたたび手に負えないものになってしまったのである。もっと具体的にいうと、総需要の問題(経済の生産能力を十分に活用するように人々にどのようにしてお金を使わせるかという問題)は、私たちが考えていたほどいつも簡単な解決策がある問題ではないのである。アメリカのように特に大きく、安定し、自給自足的な国なら、単に通貨を増刷することでリセッションに対処することはできるかもしれないが、同じ薬を使えないかあるいは薬の効果がないような国の数が増えているのである。現在、明らかに一九三〇年代的な異様な雰囲気が漂い始めているのである。」と訳されている。

*12:確かにETF購入のように後処理に非常に長期を要する政策もあるが、リフレ政策の結果、経済が成長を取り戻して株価が上昇するならば、その後処理がもたらすのはキャピタルゲインの獲得という負ではなく正の影響である。そうした正の影響は、いわば「バグではなく当初の政策に織り込まれた仕様」と見做せるように思われる。

*13:そうした批判は、安倍氏に対するイデオロギー的な反感も大きな要因になっていると考えられる(その点では、1960年の安保反対闘争が、安倍氏の祖父である岸首相への反感で拡大したことと通底している面もあると言えそうである)。仮に民主党政権が同じ政策を実施していたら、という(いわば)反転可能性テストを適用した場合、批判を維持する人はぐっと減るのではないだろうか。以前、民主党政権がリフレ政策を実施していたら自民党が消し飛んでいたはず、という趣旨のツイートを見掛けたことがあったが、誇張気味にしてもそのツイートは幾分かの真実を含んでいたように思われる。
ちなみにクルーグマンは、NYT執筆コラムを「リベラルの良心」と名付けたことから分かるように(cf. The Conscience of a Liberal - Wikipedia)、自他共に認める民主党系のリベラルである。それでもアベノミクスを支持する、というスタンスは、経済学者が独裁者を支持する時 - himaginary’s diaryで紹介した「ここで重要なのは、経済学は道徳劇ではない、ということだ。時には悪人が良い政策を実施することがあり、その逆もある。そして経済分析の仕事は、誰が実施したかとは無関係に政策を評価することであり、またそうあるべきである」という信念から来ている。
ここで言う「悪人」による経済政策の成功とそれによる政権基盤の強化は、喩えるならば悪人が国を豊かにする鍵を手に入れて権力を確立するという良くある童話のような話であるが、アベノミクスが良くある童話と違うのは、「悪人」はその鍵を何らかの悪辣な手段で手に入れたわけではなく、「公開鍵」になっていて賢人が頻りに指さしていたにもかかわらず「善人」が頑なに無視していたのを、普通にひょいと手にしたことにあるかと思われる。その点でこの話は立派な「道徳劇」になっているのかもしれない。
(なお、日本の経済学界の主流が反リフレ的であったことが安倍政権のリフレ政策採用の妨げにならなかったという点では、上の注で指摘した自民党(ないし清和会)の反アカデミズム的な傾向が怪我の功名のような効果を発揮した可能性もある。その点からも「道徳劇」としての教訓が得られそうである。)

*14:ただし、アベノミクスが金融政策以外については物足りなかった、というのはアベノミクスを支持する人の多くも認めるところではある。

*15:cf. 経済学者の聖杯 - himaginary’s diary、バローはバーローか? - himaginary’s diaryで紹介したクルーグマンの主張。