2004年04月06日
■ 元は取る!
ツレアイは、ちょっと内股ギミに小走りしながら
「お土産屋さんのあたりで待っててね!」と言い残してトイレに向かったが、
はて、買う気がまったくない土産物屋で時間をつぶせと言われても…。
ただヒタスラぼぉ~っとエッフェル塔を眺めながら待つこと5分。
はぁぁぁ~~~、タイクツ…。
10分経過。
出て来やしない。
きっと41セントの元を取ろうと、ゆっくり滞在してるのね。しかしセコいぞ。
15分経過。
相変わらずエンエンと待たされる。
そんなところへ、流し(?)の土産物屋が私に話しかけてきた。
しかし「のー・さんきゅー」と言ったら、その場は何事もなく去って行った。
20分経過。
出て来るケハイすらなし。
25分経過。
さっきの流しの土産物屋が、また前を通る。
「まだ待ってるの?もう10分は経ってるのに!?」と言ってきた。
いや、もう30分ちかく待ってるんですけど………。
流しの土産物屋にこう言われ、トタンに不安になる私。
そーよね。いくら何でもトイレに30分って、長すぎよね。
中で倒れているのか!?救急車を呼ぶか?でもどうやって?
お義兄さんに連絡するか?でもなんて言う?
…って、それ以前に電話番号を書いた地図はツレアイが持ってるし!
と、一人でオロオロしているところへ
ツレアイが“すっきりぃ~”した表情で現れた。
時はすでに33分を経過していた。
やはり予想通り、元を取ろうとして長居していたらしい。
しかし、“花の都”パリのトイレで30分も過ごさんでもエェやろ!
この時、私は“やっとお母さんに対面できた迷子”の心情だった。
ばか!ばか!ヴぁか!(←ちょっと泣きべそ)
■ フレンチなランチ
まぁ、それから二人でかの有名なエッフェル塔を眺めたわけですが、
遠くから見るとすんばらしいが、近くへ行けば行くほど目に付くのは
世界各地から集まった“観光客”。
ここで取り合えずその観光客にお願いし、記念写真をパチリ。
思えばこれが唯一、旅行らしい写真だったか…。
ま、しかし私らも間違いなくそのオノボリさんの一部でしたわね。
だけどなんだか、人の群れを見ているだけで疲れてきた。
しかも、エッフェル塔の下には十重二十重に観光客がグルグルと
うずまいて入場券を買い求めていたのでした。
トイレに金払って、こんなのにもまた金を払うんかい。
ばかばかしくなって、エッフェル塔上りには参加しなかった。
ここでもシブチンな私たち。
まぁでもホラ、大阪人は通天閣に上らないって言うじゃないですか。
と、ここではパリっ子の気分にひたる。
そして、エッフェル塔の根元にあるベンチに座って、地下鉄に乗る前に
買ったバゲッドやチーズ、果物をランチとして食べた。まぁ、質素。
しかし思い起こしてみれば、フランスでフランスらしい(?)食べ物を
食べたと言えば、これくらいだったかも…。
そりゃ、お義姉さんの作ったパキスタン料理はとってもおいしいんだけども、
せっかく2人っきりで外出した時くらいは、本場のフレンチ食べろってか。
このあと、アラブ料理店に入って、カバブを食べたんだったっけ。
悪名高いイギリス料理はまぁエェとしても、フランス料理は………
………ちょっとオシかったかなぁ。
■ 車窓から
エッフェル塔の次は凱旋門じゃっちゅう事で、シャンゼリゼにバスで向かった。
ま、ここでもスンナリとバスに乗ったわけはなく、道ゆく人に聞いたんだけども。
しっかし、フランスのごくフツーの一般人は親切に対応してくれるのに、
なんでお給料をもらっている職員のアイソはあんなに悪いんでしょう?
職業意識がないんか?給料もらったらサービス精神なくなるんか?
ガイジンには不親切にしろっちゅうマニュアルでもあるんか?
謎はますます深まるばかり。
バスの中からぼぉ~っと外を眺めていると、何やら有名ブランドの店と共に
ショッピングバックを持った日本人観光客がわんさかと目に入ってくる。
不景気だの何だのと言いながら、日本てやっぱり金持ち国家なのね。
でもね、日本のみなさん。
なんで、こんなアイソの悪い国に高いカネ払って来て、また莫大なカネを
落として帰って行くの?
ブランドもん買うためだけに来たんだったら日本で買えばいぃのに。
これって隣町のスーパーで卵が安いからって、そこまでタクシーに乗って行く
ようなマネをしてるのでは?
と、ヒガんでいる私も正真正銘の日本人だった。
あぁ、ビンボーも金持ちもヤダヤダ。
でも、このへんってシャンゼリゼ通りだよね?そろそろバス降りる?
と思って横を見ると、ツレアイは無防備にもウタタ寝をしていた。
あ、疲れてるのね。今日も朝が早かったし。
しかもツレアイは4年前にフランス来た時、観光地は一通り見てるんだった。
なんか起こすのも、バスから降りるのもメンドくさくなり、そのまま行くトコまで
行っちゃえと思った。終点まで行ったら何があるんかな?って。
んで、しばらくしたらツレアイが目を覚ました。
寝ぼけマナコで“ここはどこ?”状態だったが、カクカクシカジカで観光地は
もーえぇよと告げたら、それもそーだねという事で、どこに着くかわからんが、
終点まで行ってみようという事になった。
■ だめだこりゃ
バスの終点に着いた。小さなバスターミナルっぽかったが何もない。
ま、周辺を歩いてみようという事で、しばらくウロウロしていると、巨大な
駅にたどり着いた。
ここがどこかはわからんけど、とりあえず駅だから、こっからお義兄さんの
家や店まで戻れるよねっちゅうことで、ともかく安堵。
あ、駅と言えば、ヨーロッパ各国は鉄道で繋がってるんじゃないかしらん?
聞くだけならタダだし、行ってみよう。
ドイツまでいくらなのか、イギリスまでいくらなのか。
しっかぁ~しぃ、インフォメーションに聞いたら切符売り場で聞いてくれだの、
時間や曜日によって料金が違うから、一律にいくらとは言えんだの、
料金表や路線表はない(時間表しかない)だの、
その路線はココ(3階)じゃなくて地下で聞いてくれだの、
なんだか“ぱーと3”や“ぱーと4”で体験したのと同じ事の繰り返しだった。
ここで、つくづく思ったのは、『日本のJRって、なんて素晴らしい!』だった。
日本のみなさ~ん、日本のJRって世界中に自慢してもイイですよぉ~!
はぁ~、もぉやっとれんわ、と思いながら外に出ると、何やら騒がしい集団が
いっぱいいた。どいつもこいつも緑のものを身に着けていた。
英語のアクセントや立ち居振る舞いとかからアイルランド人とすぐわかった。
(あ、私じゃなくって、ツレアイがね)
どうやらその日、パリ市内の競技場でアイルランドのナショナルチームと
どっかの国とのサッカーの試合があったらしい。
そいでもって、アイルランドが勝ったらしい。
ひゃぁ~、コイツら試合に勝った後の阪神ファンよりテンション高いぃ~。
六甲おろしアイリッシュバージョンみたいなの歌いよる。しかも人数多すぎ。
アッチからもコッチからもわらわらと出てきたぁ~。みんなミドリぃ~。
それを地元のフランス人たちは
「っち、ぅるせぇな」という感じで遠目に睨んでいる。
それを知っててあえて無視しているのか、アイルランド人たちのテンションは
ますます高まるばかり。ムードは最高潮に険悪。
この旅行で気づいたのは、ヨーロッパ統合だの、一つの欧州だの言っても
ヨーロッパ人って根っ子の部分でお互い仲悪いやん、という事だった。
いや、正確にはW杯の時にウスウス気づいてたけど、こん時に確信したさ。
「パリ見物はもういいよぉ。早くお義兄さんトコに帰ろうよぉ。」と訴える私。
はい。私はパリに負けました。負け犬です。だから早く帰りましょ。
ツレアイもそれに同意し、さっきの駅から電車に乗った。
車窓の風景が郊外に出るにつれて気持ちもなんだか落ち着いてきた。
アイルランドのフーリガン(いや、彼らは単なる気のいいサッカーファンだった
のかもしれんが)と、それを睨みつける地元のフランス人に囲まれた時は、
気が休まらんかったもん。
ARPAJON(あるぱじょ~ん)のお義兄さんのお店に戻ったのは、夕方の
5時過ぎくらいだったかな。いや~、やっぱりここで思ったさ。
殺伐としたパリ市内より、庶民生活の息吹が感じられるココは最高よ。
しかし早々に戻ってきた私らを見て、お義兄さんは開口一番
「へっ?なんでお前らもう帰ってきたの?」と聞いてきた。
それに対してツレアイがウルドゥー(パキスタン語)で弁明していた。
何を言っているのかはわからんが、お義兄さんの顔には大きく
『だめだこりゃ』と書いてあった。
《遍路はつづくよどこまでも・ぱーと12へ続く》