12月24日のハンギョレ新聞に掲載されていた高橋哲哉氏のコラムです。
この記事を翻訳しながら考えてしまったのは、“抗争”という単語についてです。日本では一般的に
光州“事件”と言われている歴史上の出来事は、韓国語では光州“抗争”とも言われているんです(もちろん立場や時代によって様々な表記がありますが)。日本語ではなんとなく「ヤクザ同士の抗争」みたいなイメージのある“抗争”という単語ですが、漢字をそのまま読むと「抗(あらが)う争い」なんですね。
教育基本法が「改正」され、共謀罪の導入、日本国憲法の改正などへの流れが加速化している昨今、日本でもこのような“抗争”が必要になったということなのかもしれません。
苦痛のない場所には歴史もない/高橋哲哉
去る12月18日、キム・サンポン全南大学教授とドイツ・ベルリン韓国研究交流センターのチェ・ヒョンドク所長という韓国の哲学者二人を東京大学に招聘し、討論する機会があった。経緯はこうだ。3週間前の11月28~29日に全南大学哲学科主催で“相互文化哲学” (Intercultural Philosophy)に関する国際シンポジウムが開かれた。私も招請を受けたが、同じ週にソウルとパリで開かれるシンポジウムに参加することになっていたため、応じることができなかった。そこで東京大学の“共生のための国際哲学交流センター”で意見を交わしたいと提案したのだ。
チェ・ヒョンドク所長は『9.11以降の政治的文脈での相互文化哲学』という主題でプレゼンテーションをした。
「9.11以降、世界は人々を“われわれ”と“他者”に分けるようになり、それに善悪二元論が重なった。その結果、“悪い他者”を敵対視して排除・攻撃しようとする傾向が強まっている。相互文化哲学はこのような傾向を批判する。それと同時に、従来の哲学が圧倒的に西洋中心主義であり、西洋哲学以外の思想・文化を“劣等な他者”として排除してきたことに対しても批判の目を向けている。どのような文化の中にも存在する“われわれ”中心主義を自ら反省し、“他者”との対話を絶え間なく実践することで新しい“共生”の地平を開いていこうと思う。」このような内容の発表だった。
キム・サンボン教授のプレゼンテーションは、『応答としての歴史-5.18を考える』だった。キム教授は、朝鮮王朝→日本の植民地支配→軍事独裁政権へとつながる過程において、1980年の光州5月抗争を自由と解放を求めてきた韓国民衆の歴史の頂点として位置づけている。そこで現れた人々の共同性を哲学的観点から“絶対的相互主体性”として把握した。光州抗争で抗議の声をあげた学生たち、人々の移動を支援したタクシー運転手、食料を運んだ市場の商人、献血をした売春婦、傷ついた人々を治療した医師や看護士など、すべてが“客体”ではなくお互いを“主体”として奮い立たせる運動が展開された。苦痛を受けた他者のつらさに応答し、自発的に動く人々の集団が“歴史的主題”になった非常に珍しい運動だった。
キム教授はこのような解釈から出発し、“受難の歴史哲学”とでも言うべき価値のあるものを構想している。「歴史はつらい絶叫によってわれわれを呼ぶ。苦痛のない場所には歴史もない。歴史の苦痛に応答できるときのみ歴史は消えずに蘇生し、つながっていくのだ。」キム教授によると、光州の受難に応答するということは、光州抗争の偶像化ではない。その経験の意味を深く省察しながら、世界のいたる場所から聞こえてくる他者の苦しげな要請に自らを開いていくということだ。
キム教授のプレゼンは、会に参加した東京大学の研究者たちに感銘を与えた。特に私は日本軍慰安婦出身の女性たちの告発を聞いてからは、その訴えと応答の論理で“戦後責任論”を主張してきたため、深い共感を感じずにはいられなかった。通訳を務めた東京大学大学院の留学生、キム・ハン氏は以前“光州の記憶と国立墓地” というプレゼンをしたことがある。そこで提示した“光州のETHICA(倫理)”に対する省察を今月1日に共に参加したパリ第8大学のシンポジウムでも発表し、注目された。光州抗争の意味を考える哲学的・思想的探求が、このような形で“国際化”されていくことに感動したのは私だけではないだろう。
お二人との討論があった日、日本の国会では“改正”教育基本法が通過した。キム教授は韓国の学校における道徳教育を“国家主義的”だと批判し、新しい教科書の編纂を主導しているそうだ。愛国心教育を復活させる教育基本法改悪により、日本で国家主義的道徳教育が強化される憂慮があるという点で、私たちの考えは一致した。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学
*この記事を翻訳するにあたり、kuronekoさんの「
高橋哲哉さんの話 (対話集会2006 靖国・教育・天皇制)」を参考にさせていただきました。どうもありがとうございました。