教育基本法改悪法案のせいで遅くなりましたが、11月14日のハンギョレ新聞に掲載された李鍾元・立教大学教授のコラムです。
安倍内閣の主要閣僚や党幹部によるトンデモ発言の陰で、トンデモないことが着々と、しかも同時多発的に進んでいるように感じますねィ。それではどうぞ。
日本の核保有議論と核の傘/李鍾元
日本の核保有をめぐる議論が依然として続いている。最初に火をつけた中川昭一自民党政調会長は、「戦略的判断からこれ以上発言はしない」と一歩退いたが、今月7日には自民党の笹川堯党紀委員長が“非核三原則”を見直しを持ち出し、物議をかもした。さまざまなメディアで賛否両論が飛び交っている。“核保有”議論を政治的に“自由化”したという点では中川政調会長などの意図は成功したと言えるだろう。
安倍晋三首相も“非核三原則”の堅持を強調しながらも、現職の閣僚に対しても核の議論自体は抑制しないという姿勢をとった。安倍首相は以前から日本の核保有に積極的な姿勢をとっており、非核三原則に対しても改正論を力説したことがある。北朝鮮の核実験が大きなきっかけとなったことは事実だとしても、政権発足当初から主要閣僚と与党の政調会長が一斉に欠く議論を持ち出し、首相がこれを事実上“容認”する姿勢をとることが本格的な政策再検討の兆候であるのかは、もう少し時間をかけてみなければならない。
『朝日新聞』の報道(11月12日)を見ると、日本政府は1995年にも防衛庁を中心に、日本の核武装の得失と可能性に関する政策検討をしたが、その結果、核保有が日米同盟の弱体化、周辺国との関係悪化など否定的側面がより大きく、アメリカの“核の傘”依存が“最善の選択”だという結論を出したという。1995年は核拡散禁止条約(NPT)の無期限延長が決まった年であり、第1次北核危機直後のことだった。北朝鮮の核実験という新たな事態を受け、日本政府内だ政策の再検討作業が進められる可能性もある。安倍政権の核心をなす有力政治家たちの一連の核発言の背景には、このような既存の政策的選択と結論に対する不満があるのかもしれない。
安倍政権に近い核保有論者たちの主張に共通する争点は、アメリカの“核の傘”に対する不安感だ。冷戦期のようにソ連や中国と全面的に対峙していたときは、アメリカの“核の傘”公約は具体的でほとんど自動的なものとして理解されていた。しかし対立関係が多様化し、局地的で流動的な冷戦以降の状況で、アメリカの公約が果たしてどの程度確実なのか疑問だということだ。日米同盟といえども多様な利害関係の違いは構造的に広がっており、中東地域を最優先するアメリカにとって、例えば日朝対立が先鋭化したとしても、これは“局地的”な紛争としてアメリカが全面的に介入する性格のものではないこともありうる。2期目のブッシュ政権で見られるように、アメリカと中国の間では潜在的な対立と同時に戦略的共助が推進されている。
日本の核議論が出てきた直後、日本に立ち寄ったライス国務長官はアメリカの対日抑止力と防衛協約が“全面的”だと力説した。“全面的”という単語を2回も繰り返して“強調”したという。“どんな場合でも対応する”という意味だ。日米の議論のある断面を示している。
東北アジアの地政学的構図と安全保障の状況は大きく変わりつつある。北朝鮮の事態が集約的に示したように、不安感から核保有を志向するという衝動も潜在的に拡散しやすい状況だ。独自の“核保有”と“核の傘”という冷戦期の二分法的な図式から抜け出すことのできる新しい枠の模索が必要だ。狭い国土と密集した人口、資源や市場の高い海外依存度など、独自の核保有という選択が軍事的にも賢明ではないという点では韓国と日本は共通している部分が少ないくない。東北アジア地域を念頭に置いた新しいレベルの“非核外交”を構想する時期だ。
李鍾元 立教大学教授・国際政治