韓国では共産党が未だに非合法であるため、大統領が外国の共産党とちょこっと交流したり、許容するような発言をすれば、たちまち
アカのレッテルを貼られて保守側から
ムキーッ!と叩かれるんですね。
下のコラムにもあるように、盧武鉉前大統領の政策は決して左派的ではなかったのですが、それを「左!左!」と叩いてるやつらの頭の中はどれだけ右なんだ・・・。今の政権はどこまで傾いちゃってるんだ・・・。冷戦も終わって久しい今どきねぇ。
[東京から]「大きな政治を行うべき」/キム・ドヒョン
盧武鉉前大統領が在任期間中にした様々な過激発言の中でも、強度が高いのが「共産党許容論」だ。日本訪問最終日の2003年6月9日、衆議院議長主催の歓談会で、日本共産党の志位和夫委員長に「私は韓国で共産党が許容されて初めて完全な民主主義になれると思う」と語った。そして「韓国で共産党と交流する政治家がいるとすれば、それは私だ」と付け加えた。
野党と保守メディアは、待っていたかのように大々的に一斉批判した。パルチザンの義父(岳父)を持つ「目の上のコブのような」大統領の共産党許容発言は、保守勢力にとっては絶好の攻撃材料だったのかもしれない。論争が起きると、ユン・テヨン青瓦台スポークスマン(当時)は「共産党合法化は、西欧や日本のように制度化の枠内で活動し、制度圏に進出したような政党について話しただけ」だと弁明した。実際に、日本共産党は1960年代末~1970年代初頭の全共闘学生運動の主役だった新左翼の学生たちの主要打倒対象になるほど、兼ねてから議会主義を標榜した制度政党の一つだ。
今考えてみると、共産党許容論ほど盧前大統領の民主主義観と政治哲学をよく表しているものはないだろう。思想の自由を制度的に保障することこそ自由民主主義の実践だという考えが、彼の言葉の中から容易に読み取れるからだ。批判を恐れず、自分の信念を貫徹しようとする原則主義者の面もしっかり溶け込んでいる。
それから3年3カ月後の2006年9月5日、志位委員長は日本共産党の党首としては初めて韓国を訪問した。ソウルで開かれた第4回アジア政党国際会議に参加するためのものだったが、盧前大統領の開放的な姿勢がなければ簡単ではなかっただろう。彼は日本に帰った後の9月25日、党報告会議で「韓国は現在、民主主義がダイナミックに発展している」とし、「少なくとも“反共の壁”は、日本共産党との交流では感じられないほど崩れている」と所感を述べた。
志位委員長の評価とは違い、盧前大統領は在任中、ハンナラ党や保守メディアから左派政策を展開しているという非難に苦しめられた。これを受けて、一部の日本メディアも参与政府(盧武鉉政権)に対して左派、親北政権だと皮肉った。そうだとすれば、彼は本当に左派大統領だったのだろうか?数日前、韓国政治に精通している日本の学者4人に彼の在任時の政策評価について聞いてみたが、左派政策を展開したと主張した者は一人もいなかった。むしろ、木宮正史(きみやただし)東京大教授は「雇用政策面で、金大中政権よりもはるかに新自由主義的な政策を多くとった」と診断した。
盧前大統領が左派であれ、どうであれ、日本共産党内には、彼の時ならぬ死を哀惜する雰囲気が強い。志位委員長は先月27日、駐日韓国大使館を訪れ、弔問後にグォン・チョルヒョン大使に「突然の訃報に驚き、悲しんでいる」と哀悼の意を表した。「盧武鉉の熱狂的なファン」だという、日本共産党機関紙『赤旗』のある記者は、電話で「昨日の夜、憂鬱な気分で酒を飲んだが、やたらと涙が出た」と話した。「挑戦して倒れても、挫折せずに前面突破する姿が共産党と同じで共感する。庶民的な感性で行動したり、話す点は日本の政治家の中ではあまり見られないだろう」
金大中元大統領は28日、「ご覧ください。市庁前で焼香することさえ(政府が)阻害しています」と韓国の民主主義が危機に瀕していると嘆いた。共産党との交流までも許容した、韓国のダイナミックな民主主義の発展に対する賛辞から3年も経っていない。木宮教授は「大きな政治を行うべきだ」と李明博政府に注文した。
キム・ドヒョン特派員
『ハンギョレ』2009年05月31日
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