この世は正気ではいられない! 永田カビ『現実逃避してたらボロボロになった話』を読む

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先日、こちらの記事というか、漫画を読んだ。

これ、ネットで無料公開されている『一人交換日記』(部分)も読んで、買ってみようかな? と思った。『レズ風俗』も(すべてではないだろうが)ネットで読んだ覚えがある。

togetter.com

ともあれ、『現実逃避してたらボロボロになった話』である。おれは作者と次の点で共通点を感じた。

  1. 精神疾患者であること
  2. 酒がやめられないこと

以上である。しかし、ある人間を表すのに、十分すぎる特徴であるようにも思える。精神疾患者であること。それなのに、薬を飲みつつアルコールがやめられないこと。そういうたぐいの人間。

そして、もう一つ、著者に興味を持てる部分があった。それは、自分とその家族、身の回りの人間を切り売りしてエッセイ漫画を書くことに、痛烈な思いを抱いていることである。これは、表現者ではないおれが共感を覚えるところではない。おれの大好きな漫画家と共通しているな、と思ったのだ。その漫画家とはだれか。桜玉吉である。桜玉吉は、家族や身の回りの人間をネタにしてギャグ漫画を書くことにより病んだ。(おそらくは)大うつ病性障害を患った。漫画家をやめるか、やめないか。それでも描くか、描かないか。結局は、ひとり伊豆の山奥に移り住み、描くことをやめず、やや回復したかのように見える。

つまりは、自分を、自分の身内を切り売りする表現者の陥るところ、というところに興味を持った。悪趣味といえば悪趣味だろう。しかし、精神を病んだ人間は、健康な人間の言うことなど心に響かないのだ。シオランはこう述べている。

カイエ: 1957-1972

病気も病人も好きではないが、それでも私は、健康な人の言動を真に受けることはできない。

して、作者である永田カビさんは病んでる。病んでいて、酒がやめられない。この世に相対するのに、正気ではいられない。実によくわかる。いくら向精神薬を飲んだところろで、精神疾患者にとってこの世はつらすぎる。そこで、酒というドラッグが必要となる。中島らもはこう書いた。

水に似た感情 (集英社文庫)

 人と一緒に楽しく飲む酒ではない。食事がおいしく食べられるからとか、ストレスを発散させるためという酒ではないのだ。ただ酒のための酒。何の目的もない飲酒である。

 自分一人で時間を潰すことができる能力のことを「教養」というと、どこかに書いたことがある。自説に従えば、おれには教養がないのだ。酒を飲まなくてはどうにも時間を消費できない。一人でいる時間には、ウィスキーのボトルを手放せなくなっていた。

ここに行き着く。発散させるストレスといったものも見失い、ただひたすら酒を飲む。ただ、ただ、正気でいないで済むように。時間が潰れていくように。

著者である永田カビさんの多量大量飲酒の継続も、ある意味で目的を失っているかのようにも思える。そこに、表現者としての自責という重しすら乗っている。その結果が、γ-GTPが「1112」。アルコール性急性膵炎と脂肪肝である。おれなどは、「酒、飲み過ぎかな」と思いながらうけた血液検査でγ-GTPが「79」(基準値70以下)でわーきゃー言ってるのだから、甘すぎると言わざるを得ない。

goldhead.hatenablog.com

γ-GTP自慢では大負けもいいところである。というか、桁が二つ違う。勝負ではないけれど。

詳しくは知らないが、発達障害は依存症になりやすいそうである。おれの患う双極性障害もそうである。どちらにせよ、この世に適応しにくい人間である。そして、決定的な薬もない。正気でいることはあまりに苦しく、正気を失いたいと考える。おれにとってのそれは、酒とギャンブル(競馬)にほかならない。おれには酒以外に競馬もある。そこに少し救いがあるのかもしれない。泥酔状態では競馬はできない。さらにいえば、おれには金がない。外で酒を飲めない。安アパートで、度数の高い酒をつまみもなしに飲み下す。それがおれの飲酒だ。あ、余計悪いか? 永田カビさんも外飲みから始まって、家飲みに移行していく。

まあ、しかし、本書を読んでおれが思うのは、「人間の身体というのはけっこう丈夫なのだな」というあまりよくないであろう教訓と、「痛いのは怖いな」という少しよい教訓だ。おれは注射が怖くてしかたない。点滴経験は小学生の頃の扁桃腺の手術後に経験があるけれど(なにも食べなくてもお腹が空かない。点滴スタンドをキックスクーターのようにして同じ小児患者と廊下を走った)、ともかく痛いのは嫌だ。注射は嫌だ。

で、おれの飲酒状態についていうと、このごろ少し節制気味である。おれは先日、一日中39度以上という熱発をした。それが回復したときに焼酎を飲んだら、すぐに気持ち悪くなり、頭が痛くなり、残りを捨ててしまった。熱発で数日アルコールを断っていたせいか、まだ病気が残っていたせいかわからぬ。ともかく、それ以来、あまり酒が飲めない。悪くない話だろう。おれはおれの血糖値をコントールしたことに満足して、面白みを感じたのだから、γ-GTPと尿酸値(永田カビさんの尿酸値はどうだったのだろう?)をコントロールするのも一瞬ゲームだろう。

というわけで、おれは永田カビさんの『現実逃避してたらボロボロになった話』を読んだ。Kindleで買って読んだ。普通は紙の本で買うところだが、Kindleにした。一つにはカープの試合の配信が終わってKindle Fireをまったく使っていなかったこと、もう一つには、ネットではじめに接した漫画だったということだ。

ところで、集まったはてなブックマークなど見ると、「アルコール依存症者が自らのアルコール依存症を描いた作品にお金を支払うのは、作者のアルコール依存症を助長する行為ではないのか」といった声もあった。そうかもしれない。だが、それがなんだというのだ。たとえばスーパーで売ってる白菜を生産した農家の人間が、ひどいアルコール依存症者で、酔っては幼い子供に暴力を振るう人間かもしれない。そんなことを言い出したら、社会生活は送れない。それよりも、おれはこの漫画を書いた永田カビという人の力量に期待するし、おれが投じた数百円が酒に費やされようとも、その治療に費やされようともかまわない。次作がエッセイだろうがフィクションだろうがかまわない。そんなところだ。

 

 

現実逃避してたらボロボロになった話

現実逃避してたらボロボロになった話

 

 

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