大学院はてな :: カニューレ装着児の保育園入園

 研究会にて,保育園入園承諾義務付け等確認事件(東京地裁判決・平成18年10月25日・判例集未登載)を検討*1。
 喉に穴を開けてカニューレと呼ばれる装置を常時装着することで空気の通り道を確保しなければならない女児が保育園への入園を希望したところ,被告(東大和市)がこれを拒否したため,児童福祉法24条1項ただし書きにいう「やむを得ない事由」の存否が争われた事案。
 結論から言うと,請求が認められました。新聞報道によると,市の側が控訴しないことを決断したため,訴訟は終了している模様。国会で代議士が質問するなど運動が展開されていた。

 本件は《社会福祉政策》の観点からみれば喜ばしい判決――なのですが,《法律解釈論》からするとかなり問題がある。
 いったい何が本件で問題になっていたかというと,気管が詰まって呼吸できなくなってしまわないように数時間に一度,吸引器を用いて痰(たん)や唾液を除去しなければならない。このような除去作業(医療的ケア)は法律上は「医行為」と評価されるものなので,保育士などが行えば医師法違反になる。ところが東大和市にはたまたま,ゼロ歳児向け特別事業のために看護師が配置されている保育園があった。加えて,たんの吸引については医療事故の発生する確率が低いとの実態がある。さらに,本件の当事者になっている児童の障害は中程度(6段階のうちの4等級)と評価されており,自分でも吸引ができるまでに成長していた。
 こうした事情から,裁判所は次のように判示している。

 以上の事実関係によれば,原告Bは,平成15年当時は,種々の機能障害等を有していたものの,成長につれてこれが改善され,本件各処分当時は,呼吸の点を除いては,知的及び精神的機能,運動機能等に特段の障害はなく,近い将来,カニューレの不要な児童として生活する可能性もあり,医師の多くも,原告Bについて障害のない児童との集団保育を望ましいとしているものであって,たん等の吸引については,医師の適切な指導を受けた看護師等が行えば,吸引に伴う危険は回避することができ,カニューレの脱落等についても,十分防止することができたということができる。
 したがって,本件各処分当時,原告Bについては,たん等の吸引と誤えんへの注意の点について格別の配慮を要するものではあったが,保育所に通う障害のない児童と,身体的,精神的状態及び発達の点で同視することができるものであって,保育所での保育が可能であったと認めるべきである。
 そうであるとすると,原告Bの保育所での保育が困難であって,児童福祉法24条1項ただし書にいう「やむを得ない事由」があると判断した処分行政庁の判断は,上記事情を考慮すべきであるにもかかわらず考慮しなかったという点において,裁量の範囲を超え,又はその裁量権を濫用したものというべきである。したがって,原告Bの保育所入所を承諾しなかった本件各処分は,違法であるといわざるを得ない。

一見すると妥当に思われるかもしれないが,これでは何が決め手であったのが判然としないため,法律論としては不備が多すぎる。この女児は障害を持たないのと同視できるから普通保育園に通わせられるの? それとも,保育園に看護師がいるから受け入れるべきなの? あと,判決にいう看護師「等」って誰のこと? もし事故が起こってしまった場合の責任の所在は?
 さらに私見を展開しておく。
 私だってノーマライゼーションの理念には賛同します。本件事情の下であれば,この女の子を普通保育園に通わせてあげたいとは思う。しかし,そのためには政治の問題――要するに,カネの配分と人員の配置を伴う政策問題を解決しなくてはならない。普通児童だけで構成されることを前提として組まれている保育園に受け入れを命じると,福祉実施施設と福祉労働者が負担に耐えきれなくなるという歪みを生じてしまいます。本件の場合,この児童の受け入れが可能であるかどうかは行政裁量に委ねられる範囲ぎりぎりのところだったのではないか,と思います。受け入れが「可能である」ということは,受け入れ「なければならない」ことを意味しない。この判決が拡大解釈され,もともと看護師が配置されていない保育園であっても軽度な障害を持つ児童が受け入れを希望してきた場合に行政裁量が収縮するという方向に進むのは好ましいことではありません。
 結局のところ,判決でも引用されている雇用均等・児童家庭局長(厚生労働省)の国会答弁に課題が集約されています。

 たんの吸引ということが,これが医療行為とされておりますことから,保育所に看護師が配置をされておるかどうかということが決め手になるわけでございます。
 現在,全国に2万カ所ございます保育所のうち,看護師が配置されておるのが四千四百カ所程度でございます。これは,必ずしもこういったたんの吸引とか障害児のためということではなくて,乳児保育,最近,低年齢児保育等が進められておりますが,乳児保育の一環で,保育士の配置にかえて看護師を配置しておる,その結果が,この四千四百カ所において看護師が配置をされておるという状況でございまして,こういったところでは状況によっては受け入れが可能ではないかと思いますが,どこの地域でも受け入れるというような状況になっていないことは御指摘のとおりでございまして,このあたりを,保育所で一般的に受け入れる体制にすべきなのかどうか,可能かどうかといったようなことも含めて,総合的に考えていくべきことではないかなというふうに思っております。

 なお,伝え聞いたところによれば,東大和市ではその後に看護師を増員することで受け入れ態勢を整えたそうです。この対応は褒められるべきものであって,本件については一件落着かもしれません。しかしそこから翻って,児童福祉制度全体の設計についてもきちんと考え直しておいた方がいい*2。本件のような「なし崩し」判決には反対です。

*1:この事件には「仮の義務付け申し立て事件」もある(東京地裁決定・平成18年1月25日・判例時報1931号10頁)

*2:地方から産科・小児科が消えつつあることが社会問題になっていますが,その背景には医療訴訟の頻発があると言われています。個々の事例を見ていると被害者を救済すべきに思うのですが,それが積み重なると制度全体に無理がかかって崩れてしまいます。これを教訓とすべきでしょう。