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多様性には2つあると思いませんか? 周りを見渡して、日本人もいればベトナム人もいて中国人もいて黒人も白人もいる、という多様性(個人レベルのミクロな多様性)と、日本という国、文化もあれば、ベトナムの文化もあって中国の文化もあって、各国の文化がある、という国-文化レベルのマクロな多様性です。 . よく多様性という言葉を糾弾する人がいますが、このようなことでは、「ミクロな多様性を推し進めることによってマクロな多様性が破壊されるのは良くない」というのが一般論な気がします。私はどちらかというと左派的な感性なのでこの一般論がズレてる可能性がありますが。 皆さんはどう思いますか?

回答(4件)

そういう言葉自体に何が問題かって言うと IQや知|的レベルが低い層には なんでもありだと曲解されてしまうことですね・・・ これは宗教の過激派なんかにも全く同じことが言えます それに生じる文化常識摩擦や論理矛盾による衝突を 考えられない人が大量発生するので 結局そういう言葉を使わないほうが良いという結論に辿り着きます

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多様性とかいう、その言葉はクセモノです。 それぞれの国には、その国の歴史と文化、風習、決まりや法律があるわけですよ。 それなのに、ズカズカと外国人が多くやってきて、自分達の国の文化や宗教、価値観を認めろと主張、ゴリ押ししてくるわけです。ならば元々いた地元民とトラブルになり揉めたり犯罪が多く発生して治安が悪くなるのは当たり前だと思う。 そんなんだったら多様性だとかグローバリズムなんて少なくとも日本には必要ない。 人口が減少してるから外国人が必要なんだ、労働力確保するためだとか言ってる人達がいるが、日本の9倍の面積を持つドイツなんて6000万人だし韓国も同じくらい。イギリスとかメキシコとか日本と同じくらいの国でも日本よりも人口は少ない。 だから多少減っても日本に別に何の問題もない。 そんな事を言うと人を差別するな!多様性認めろ、右翼だとか騒ぐ人達がいるが、それで私は結構だよ。

あなたが言っているのは多様性ではなく 単なる「多様」のありようです。 中華料理もあれば、イタリアンも 日本料理もある。 それって、多様性じゃなくて 多様なだけですよ? 一般的に言われている多様性とは 従来の通念に対して 選択肢を加える様子のことです。 美容室にネイルサロンを併設したり 回転寿司でショートケーキを出したり することです。 それを受け入れるかどうかという段階で 用いられる言葉が「多様性」です。 選択しないのも自由なので、 多様性を否定することはできません。

多様性が糾弾されるのはまさにそれですよ 多様性という言葉をかざして今まで少数派だった思想や価値観をゴリ押しし、それだけならともかく旧来の多数派の思想や価値観を否定するダブルスタンダードを押し付けてくるからです 多様性と言ってますが全然多様性じゃないんです エセ多様性だから糾弾されるんです

では私みたいに使い分けたらエセ多様性を回避して少数派の価値観をゴリ押しすることは可能ですよね。 「マクロな多様性が破壊されるとしてもミクロな多様性の方が重要だと考える」ということができるし、その逆、「マクロな多様性が守られればミクロな多様性は排されてもいい」という考えもできる。 どちらがダブスタでエセかという話ではなく、単純に「違う意見」というだけだと思うんですけど。