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映画の評価は高いけど、『国宝』の主人公はクズ男 歌舞伎役者としては最高なのでしょうが、 男としては、顔と肩書き以外何もいいところのないクズ男だと思いました。 父親としても、ドクズ。 制作者が、どうしてああいう主人公にしたのか謎です。
日本映画・251閲覧
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映画の喜久雄は確かにそうですね。 原作の喜久雄は違います。あんなにオラついてもいないし、綾乃と市駒をちゃんとずっと見守っている優しい父親です。 制作側、脚本家があんな風にアレンジしてしまったことが残念。 原作ではエロシーンも一切ありません。もっと静謐な物語です。
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作品的な評価は高くないですよ。それに歌舞伎は芸術だとしても映画は娯楽です。あの上映時間を最後まで苦痛なく見させるだけでも大したものだとおもいます。
そうか、クズ男か。 まぁ捉え方になってはそうなりますよね。 私にはそうは見えないんですが、芸以外の全てを削ぎ落した男の業を描いていると思うので、 芸以外の部分をクズ男と思われたなら、ある意味描き方として成功しているのかもしれないですね。 確かに父親としては失格だったでしょうが、私は喜久雄は翻弄された側だと思っています。 運命や自身の美貌と才能や、周りの人の期待や嫉妬や、歌舞伎そのものに、振り回されたのは喜久雄の方だったと思います。 個人的見解です。
そこが国宝で伝えたかった主人公像です。 初めは習い事の趣味程度で歌舞伎を嗜んでいた喜久雄が、半二郎の部屋子としてスカウトされてからどんどん歌舞伎にのめり込んでいく中で、人間国宝である万菊の演目を見て衝撃を受ける。 ここが喜久雄にとってのターニングポイントでした。 人間国宝の芸はレベルが違いすぎる。自分もああなりたいと思い、誰よりも芸に打ち込みますが、世襲制、血族問題がでてくる。そして、身寄りが無くなった喜久雄には自分を守ってくれる親や親族などの後ろ盾がいません。 花井家しか頼れず、しがみつくしかなかった。 どうすれば過去の自分の身分(ヤクザの息子)や血族問題から逃れつつ、日本一の歌舞伎役者(人間国宝)になれるかを考えた結果が、『芸は一生懸命磨き、色んな人を利用してでも、歌舞伎の世界にしがみつく』でした。 結果人間国宝になれましたが、失う物が多すぎた。 物語途中で神社にお参りした際の『悪魔との契約』がここでかかってくるわけです。
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