回答(2件)

昔の中国で日本(日本人)を指していった語で、『山海経』(せんがいきょう、山海經、拼音: Shān Hǎi Jīng)という、中国大陸で書かれた地理書に出てきます。戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされます。◆

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「倭」には意味は無いと考えられています 音から作られた字です 簡単に説明すると、古代日本人が自分のことを「ワ」と呼んでいたのを、大陸側でなるべく近い発音の「委」を用い人を現す義符「亻」をつけてできた結果でしょう もともと「倭」という字は存在していましたが、本義は不明で、「倭遅」など畳韻語にしか使用例は見つかっていません(オノマトペのようなもの) 「倭遅」に対応する畳韻語は「威夷」「委蛇」などと表記され、この手の畳韻語は、個々の字に意味は無く音だけのために用いられているので、「倭」の本義は分からないのです というか音だけで作られた字でしょう 「倭」の字が当てられたのは後漢当たりかと思われますが、その頃の「倭」の発音はBentleyの研究(John R. Bentley 2008: The Search for the Language of Yamatai )によると韓音왜を根拠に後漢音*uɑiと推定されています また高句麗人名の漢字には人偏の字を用いるという一種の配慮があったようで、日本人にも亻をつけた「倭」が選択されたものと考えられます なお、「倭」にはチビという意味がある蔑称だという説がありますが、これは藤堂が「矮」との語源関係を解説した仮説が元になっています しかし、「矮」は*Ɂoiのように推定されていて発音が異なることから関連はないということが現在の音韻学では分かっています ちなみに「矮」字は、宋代の字書にようやく出てくるぐらいだいぶ後にできた形声文字で「㾨」の異体字らしいです

書き忘れてました 「倭」をヤマトと読むようになったのは6世紀初頭大和(ヤマト)王権が統一した頃からです それまでは、対外的に(中国などに対して)民族名として「倭」と書いていたので、ヤマト王権はやむなく「倭」と書いて「ヤマト」と読むことに その後、対外名も日本(ヤマト)と名乗るようになった(『新唐書』より) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%8F%B7?wprov=sfla1