大分県の「分」を「いた」と読むのは、どんな理由からでしょうか。手持ちの漢和辞典(福武漢和辞典)には「いた」の読みはありませんでした。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

とても興味深く拝読いたしました カテマスの称号の素晴らしさも感じ取りました まことにありがとうございます

お礼日時:9/30 14:04

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大分県のホームページより https://www.pref.oita.jp/soshiki/10400/symbol04.html 県名の由来 「日本書記」における景行天皇の九州巡幸の記事では、「冬十月に、碩田國に到りたまふ。其の地形広く大きにして亦(また)麗し。因りて碩田と名く。碩田、此れをば於保岐陀と云う」とあります。 また、「豊後国風土記」では、同じく景行天皇の発言として「広大なる哉、この郡は。宜しく碩田国と名づくべし」との記載があり、この“碩田(おおきた)”がのちに“大分”と書かれるようになったとされています。(諸説あります) ※景行天皇・・・古墳時代の第12代天皇で「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の父とされています。