以前、わたしは、ワイマール憲法における緊急事態条項の危険性について書きました。改憲勢力が衆参とも2/3を超えた現在、この危険性はさらに膨らんでいます。反改憲勢力(護憲勢力)は、以前にもまして、緊急事態条項の危険性に警告を発しなければなりません。
今年に入り、世界が大きなテロに見舞われる事が増えました。ダッカ事件では、日本人がターゲットになりました。その仲間だとして、バングラデイシュ政府に手配されている人物が、バングラデイッシュ出身の立命館大学准教授だったという報道もなされています。いよいよ、日本もテロの恐怖が他人事ではなくなりつつあります。
テロの恐怖は、実は、テロリストのテロ攻撃だけではないのです。テロ攻撃の無慈悲な殺戮が、人間の心を蝕んでいくのが最大の問題なのです。
父親がよく言っていたのですが、「戦場では人の死に慣れてしまう。突撃という命令で突撃をしていると、隣の人間が死ぬ事など日常茶飯事になる。人の死に何の感情も動かなくなる。これが怖い。本当にこれで良いのだろうか、と考えてしまう」と。
テロが日常化すると、人々は、残虐で無慈悲な殺し方、死に方、殺され方に慣れてしまうのです。人間的な感性が麻痺してしまうのです。こういうものが日常化した社会で育った子供たちの心はどうなってしまうのか。考えただけでもぞっとします。こういう殺伐とした社会だけにはしたくないものです。
実は、緊急事態条項を作成する側の感性は『テロ』に対抗する権力の暴力に依拠していると思わざるを得ません。要するに『暴力』を排除するためには、それを上回る力(暴力)が必要である、という理論に基づいているのです。
実は、『荒れた学校』時代、それを抑えるために実施された『管理教育』は、【緊急事態法】の理念そのものでした。たとえば、荒れる学校には、必ず荒れの中心になる子供が存在します。その子供を排除すると、必ずその次の中心になる子供が育っているのです。学校や教師にとっては、それはたまらないのです。そのため、中心になる子供を排除する前に、その次の中心になりそうな子供も排除しようとします。その子供が特別な非行行為をしていなくても、その恐れがあるとして排除の対象にしようとしたのです。
その為に生み出されたのが、髪の毛の長さ、スカートの長さなど、日常生活のありとあらゆるものを『教育』=『生徒指導』と称する取り締まりでした。それに反抗する子供は、問題児だというわけです。
これは、戦前に『予防拘禁』と呼ばれ、国家にとっての危険分子(共産主義者など)を事前に逮捕してしまうやり方と酷似しています。
緊急事態法を与えられた権力側は、玩具を与えられた子供と同じだと考えて間違いありません。必ず使いたがるのです。極端に言えば、ポケモンGOと同じです。必ず使います。そして、子供と同じで、必ずやり過ぎます。戦前の治安維持法もその運用は行き過ぎました。
頻発するテロ事件の中で、わたしが注目しているのは、フランスのニースで起きたテロ事件とトルコのクーデター未遂事件です。どちらの事件も多数の人命が犠牲になった悲惨な事件ですが、その後の両政府の対応が非常に似通っているのです。
フランスのオランド大統領は、ニース事件の直前、「戒厳令」の撤回を発言していました。「いつまでも、国民の自由を奪うような事を続けるわけにはいかない」という言い方でした。その発表後、すぐ、ニースの事件が起こりました。当然のごとく、『戒厳令』の撤回は取り消され、延期されました。
欧米の評論家の中には、このニース事件について、グラディオ事件との類似性を指摘する人もいるようです。
・・「フランス革命記念日の花火見物のためにフランス人が集まっている閉鎖された区域に、大型トラックを運転する単独の人物が入れたのは奇妙に思える。実行犯とされる人物の家族が、彼は全く信心深くなく、宗教的動機はないと言っている人物を、テロリストとレッテルを貼るのも奇妙だ。
我々は真相を知ることはあるまい。またしても実行犯とされる人物は死亡し、好都合にも、身分証明書が残された。
その結果、フランスが、恒久的戒厳令状態になるということのようだ。この社会機能停止は、資本主義者の傀儡オランドによる、フランス労働者保護の撤廃に反対する抗議も不可能にしてしまうことになる。苦労して手にいれた権利が取り消されることに反対する動きも、戒厳令の下では遮断されてしまう。
オランドの新“労働改革”の主たる受益者、グローバル資本主義にとって、余りに好都合な事件には驚かされる。」・・・http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8135.html
※グラデイオ事件
カレイドスコープhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2033.htmlによれば、以下のようになります。
・・・「NATOの短剣」といわれている極秘作戦です。
「民間人を、人々を、女性を、子供を、無辜の人々を、あらゆる政治的ゲームとは縁もない、名も無き人々を攻撃しなければならない。
理由はきわめて単純だ。
一般大衆を、より大いなる安全を求めて、国家を頼らせるようにする為だ」。・・
ウィキペディアの解説では以下のようになります。
(英語: Operation Gladio、イタリア語: Organizzazione Gladio) は、冷戦期にアメリカ合衆国と北大西洋条約機構(NATO)が操っていた謀略活動である。
中央情報局(CIA)などの諜報機関が、当時ユーロコミュニズムを唱えてソ連と距離を取っていたイタリア共産党が大きな勢力となっていたイタリアにおいて、極右政治家のリーチオ・ジェッリが代表を務めていたロッジP2などの協力のもとに右翼集団を使い、反共の強力な指導者を国民が求める、もしくは反共政権に指示が向くようにし向けるため、一般人を標的とする極右勢力とマフィアにが仕掛けたテロ事件が、極左勢力による犯行と見せかける秘密工作を行った。
1969年のフォンターナ広場爆破事件、1980年のボローニャ駅爆破テロ事件をはじめ、1970年代前後にイタリアで多発したテロ事件が含まれる。
1991年、現職首相であるジュリオ・アンドレオッティがこの作戦の存在を暴露、自身も関与した事実を認めて1992年4月に辞任している。[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E4%BD%9C%E6%88%A6・・・(ウイキペデイア)
いずれにしても、戒厳令や非常事態宣言(基本的人権の制限など)の権限は、権力者にとってきわめて魅力的である事を物語っています。その権限を手に入れるためには、自作自演のテロ事件をでっちあげる事も厭わないのが、権力だと言う事をグラディオ事件の教訓は物語っているのです。
さすがにフランスの場合は、民主主義先進国でもあり、人権の国だと言う歴史も自負もあるものですから、それほど露骨な動きは目立ってはいません。ただ、オランドの新自由主義的労働改革である新“労働改革”の本質が明らかになるにつれて、戒厳令の延長が大きく意味を持ってくるだろうということは、容易に想像できます。
しかし、トルコは違います。トルコの非常事態宣言以降、多くの民衆がクーデター共謀者として弾圧される経緯を注視しておかねばなりません。エルドアン大統領の体質は、安倍首相と非常によく似ています。彼らのような体質の人間が、全権を掌握した時、どのような方法で民衆を弾圧し、その反対者がどのような運命を辿るか、その結果トルコという国家がどのような運命を辿るか。わたしたちはそれこそ全神経を集中してみなければなりません。
※日本とトルコは違う、と言う人は、現在沖縄で行われている激しい弾圧を見てください。あれは沖縄だからではありません。いずれ日本全国にあのやり方が蔓延するようになります。権力の弾圧は必ず例外からはじまるのです。
「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
今年に入り、世界が大きなテロに見舞われる事が増えました。ダッカ事件では、日本人がターゲットになりました。その仲間だとして、バングラデイシュ政府に手配されている人物が、バングラデイッシュ出身の立命館大学准教授だったという報道もなされています。いよいよ、日本もテロの恐怖が他人事ではなくなりつつあります。
テロの恐怖は、実は、テロリストのテロ攻撃だけではないのです。テロ攻撃の無慈悲な殺戮が、人間の心を蝕んでいくのが最大の問題なのです。
父親がよく言っていたのですが、「戦場では人の死に慣れてしまう。突撃という命令で突撃をしていると、隣の人間が死ぬ事など日常茶飯事になる。人の死に何の感情も動かなくなる。これが怖い。本当にこれで良いのだろうか、と考えてしまう」と。
テロが日常化すると、人々は、残虐で無慈悲な殺し方、死に方、殺され方に慣れてしまうのです。人間的な感性が麻痺してしまうのです。こういうものが日常化した社会で育った子供たちの心はどうなってしまうのか。考えただけでもぞっとします。こういう殺伐とした社会だけにはしたくないものです。
実は、緊急事態条項を作成する側の感性は『テロ』に対抗する権力の暴力に依拠していると思わざるを得ません。要するに『暴力』を排除するためには、それを上回る力(暴力)が必要である、という理論に基づいているのです。
実は、『荒れた学校』時代、それを抑えるために実施された『管理教育』は、【緊急事態法】の理念そのものでした。たとえば、荒れる学校には、必ず荒れの中心になる子供が存在します。その子供を排除すると、必ずその次の中心になる子供が育っているのです。学校や教師にとっては、それはたまらないのです。そのため、中心になる子供を排除する前に、その次の中心になりそうな子供も排除しようとします。その子供が特別な非行行為をしていなくても、その恐れがあるとして排除の対象にしようとしたのです。
その為に生み出されたのが、髪の毛の長さ、スカートの長さなど、日常生活のありとあらゆるものを『教育』=『生徒指導』と称する取り締まりでした。それに反抗する子供は、問題児だというわけです。
これは、戦前に『予防拘禁』と呼ばれ、国家にとっての危険分子(共産主義者など)を事前に逮捕してしまうやり方と酷似しています。
緊急事態法を与えられた権力側は、玩具を与えられた子供と同じだと考えて間違いありません。必ず使いたがるのです。極端に言えば、ポケモンGOと同じです。必ず使います。そして、子供と同じで、必ずやり過ぎます。戦前の治安維持法もその運用は行き過ぎました。
頻発するテロ事件の中で、わたしが注目しているのは、フランスのニースで起きたテロ事件とトルコのクーデター未遂事件です。どちらの事件も多数の人命が犠牲になった悲惨な事件ですが、その後の両政府の対応が非常に似通っているのです。
フランスのオランド大統領は、ニース事件の直前、「戒厳令」の撤回を発言していました。「いつまでも、国民の自由を奪うような事を続けるわけにはいかない」という言い方でした。その発表後、すぐ、ニースの事件が起こりました。当然のごとく、『戒厳令』の撤回は取り消され、延期されました。
欧米の評論家の中には、このニース事件について、グラディオ事件との類似性を指摘する人もいるようです。
・・「フランス革命記念日の花火見物のためにフランス人が集まっている閉鎖された区域に、大型トラックを運転する単独の人物が入れたのは奇妙に思える。実行犯とされる人物の家族が、彼は全く信心深くなく、宗教的動機はないと言っている人物を、テロリストとレッテルを貼るのも奇妙だ。
我々は真相を知ることはあるまい。またしても実行犯とされる人物は死亡し、好都合にも、身分証明書が残された。
その結果、フランスが、恒久的戒厳令状態になるということのようだ。この社会機能停止は、資本主義者の傀儡オランドによる、フランス労働者保護の撤廃に反対する抗議も不可能にしてしまうことになる。苦労して手にいれた権利が取り消されることに反対する動きも、戒厳令の下では遮断されてしまう。
オランドの新“労働改革”の主たる受益者、グローバル資本主義にとって、余りに好都合な事件には驚かされる。」・・・http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8135.html
※グラデイオ事件
カレイドスコープhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2033.htmlによれば、以下のようになります。
・・・「NATOの短剣」といわれている極秘作戦です。
「民間人を、人々を、女性を、子供を、無辜の人々を、あらゆる政治的ゲームとは縁もない、名も無き人々を攻撃しなければならない。
理由はきわめて単純だ。
一般大衆を、より大いなる安全を求めて、国家を頼らせるようにする為だ」。・・
ウィキペディアの解説では以下のようになります。
(英語: Operation Gladio、イタリア語: Organizzazione Gladio) は、冷戦期にアメリカ合衆国と北大西洋条約機構(NATO)が操っていた謀略活動である。
中央情報局(CIA)などの諜報機関が、当時ユーロコミュニズムを唱えてソ連と距離を取っていたイタリア共産党が大きな勢力となっていたイタリアにおいて、極右政治家のリーチオ・ジェッリが代表を務めていたロッジP2などの協力のもとに右翼集団を使い、反共の強力な指導者を国民が求める、もしくは反共政権に指示が向くようにし向けるため、一般人を標的とする極右勢力とマフィアにが仕掛けたテロ事件が、極左勢力による犯行と見せかける秘密工作を行った。
1969年のフォンターナ広場爆破事件、1980年のボローニャ駅爆破テロ事件をはじめ、1970年代前後にイタリアで多発したテロ事件が含まれる。
1991年、現職首相であるジュリオ・アンドレオッティがこの作戦の存在を暴露、自身も関与した事実を認めて1992年4月に辞任している。[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E4%BD%9C%E6%88%A6・・・(ウイキペデイア)
いずれにしても、戒厳令や非常事態宣言(基本的人権の制限など)の権限は、権力者にとってきわめて魅力的である事を物語っています。その権限を手に入れるためには、自作自演のテロ事件をでっちあげる事も厭わないのが、権力だと言う事をグラディオ事件の教訓は物語っているのです。
さすがにフランスの場合は、民主主義先進国でもあり、人権の国だと言う歴史も自負もあるものですから、それほど露骨な動きは目立ってはいません。ただ、オランドの新自由主義的労働改革である新“労働改革”の本質が明らかになるにつれて、戒厳令の延長が大きく意味を持ってくるだろうということは、容易に想像できます。
しかし、トルコは違います。トルコの非常事態宣言以降、多くの民衆がクーデター共謀者として弾圧される経緯を注視しておかねばなりません。エルドアン大統領の体質は、安倍首相と非常によく似ています。彼らのような体質の人間が、全権を掌握した時、どのような方法で民衆を弾圧し、その反対者がどのような運命を辿るか、その結果トルコという国家がどのような運命を辿るか。わたしたちはそれこそ全神経を集中してみなければなりません。
※日本とトルコは違う、と言う人は、現在沖縄で行われている激しい弾圧を見てください。あれは沖縄だからではありません。いずれ日本全国にあのやり方が蔓延するようになります。権力の弾圧は必ず例外からはじまるのです。
「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水