「最低限の衣食住とインターネットがあれば、それなり以上に人生を楽しめる」という事実が俺に希望を与えてくれる。
「人並みの幸せを得るのに必要なのは死なない程度の金を稼げるぐらいのことで十分なのだ」という実感が福音なのだ。
去年の直木賞受賞作を読もうとして図書館で予約待ちの人数を見た時、それが0人だったりしたら「本当にただ市民権を持ってるだけで人並みに暮らせるんだな」と感じ取れるのだよ。
無料チケットで読み進めた漫画が最終話を迎える時、全話無料キャンペーンの最後の1話分だけをどこかで貰った課金コインで読み終える時、「娯楽に使えるような金なんて無くたって人生は楽しめるぞ」と叫びたくなる。
元々は値札がついていたものや、虚栄心を煽られた小金持ちがジャブジャブ金を使っているものなんかだともっと嬉しい。
実際には月5千円も使えば10円キャンペーンや80%OFFセールで同じぐらいに楽しめるんだとは思う。
それを100%OFFのものにばかり拘るのはタイパが良くないんじゃないかと思うことはある。
でも確かに違うんだ。
たった10円を出さないことが、「そのたった10円を出さないですら人生の中に楽しみはいくらでも見いだせる」という希望に繋がっていくんだ。
一度も課金すること無くアニバを迎えたスマホゲーム、溜めた石でアニバ限定キャラクターを引く。
すり抜けも合わさって戦力は一気に増強され、新システムの導入に合わせてインフラしたはずの高難易度コンテンツがバッタバッタとなぎ倒せてしまう。
そうしたときにふと感じるのだ。
時間という財産の使い方を少し買えるだけで、多少の小金持ちとぐらいなら張り合えるんだと実感した時、俺は自分の貧相な人生が年収の金額から想像するよりずっと豊かなんじゃないかと思えるんだよ。
多少の時間と健康さえ何とか維持できていれば、金が稼げなくてもそれなりだって、そう思いたいんだ。
金を使うコンテンツはその逆だ。
金を使わなきゃ何も手に入らないと感じさせるから嫌いだ。
金がないだけで何も持ってないような気持ちにさせられる。
目が見えて耳が聞こえて手足があって指が揃ってる、ただそれだけの俺が、金を払ってもいないのに、大いに俺を楽しませてくれるものを俺は愛してるんだよ。
嫌いなやついないよ